→はい、続けます
翌日、コゼットちゃんは講義室に来るとすぐに謝りに来てくれた。
「アンジェちゃん。昨日は本当に……ごめんなさい!」
顔を真っ赤にして眉根を下げて、全身に申し訳なさを漂わせたまま、コゼットちゃんが頭を下げてくる。
「コゼットちゃんが謝る必要はないよ」
顔を上げたコゼットちゃんが縋るように上目遣いで伺ってくるものだから、ニッコリと笑うしかなかった。
「むしろ、わたしのほうが謝らないと。コゼットちゃんにイヤな思いをさせてしまってたのはわたしのほうだったから」
「違うの」
俯いた拍子に、コゼットちゃんのピンクブロンドのまつげが陽の光を反射してキラリと煌めく。
「わたし、アンジェちゃんが羨ましかったんだと思う」
そんな……こんな、誰もが好きになる美少女ヒロインに羨ましいと思ってもらえるような要素が今までのわたしにあっただろうか。
「アンジェちゃんって賑やかで楽しくて、初めての人とでもすぐに仲良くなれちゃうし、自分の意見もはっきりと言えて……そんなところが強くて、格好良くて。シリルもアンジェちゃんといるときは楽しそうだし……わたしはいつまで経っても友だちを作れなかったのに、それもアンジェちゃんと出会えてからはみるみるうちにお友だちが増えて……」
コゼットちゃんは、ポツンともらした。
「アンジェちゃんって、すごいなって」
ハハ、全然そんなことないのに。
わたし、ダメダメなんだなって再確認させられたばかりなのに。
助けてたつもりのシリルは追い詰めさせちゃったし、コゼットちゃんにはなんだか変なコンプレックスを植え付けちゃってる。
なんとか各攻略者のルートを回避させてたつもりだったんだけど――でもこれって、ただめちゃくちゃに場を引っ掻き回しているだけだよねと、唐突に虚しさがやってきた。
「アンジェちゃん?」
黙り込んだままのわたしに、コゼットちゃんが不思議そうに伺ってきた。
「……ところでコゼットちゃんは、昨日はシリルと仲直りできた?」
なんか、そういう落ち込んでいる気持ちを悟られたくなくて、とっさに一番気になっていることを訊く。その途端、コゼットちゃんはかすかに頬を染めた。
「……うん。シリルがすぐに追いかけてきてくれてね」
その様子に目を見開く。
――もうすぐ、わたしの役目も終わりだ。
そう実感して、そうしたらもうシリルやコゼットちゃんのそばにいる必要もないことを唐突に理解して。そのことをひどく恐ろしいと感じた自分の感情に、戸惑いを隠せなかった。
カフェテリアで一人、黄昏れていたある日のことだった。
「あらら?」
「……なによ」
突然同じテーブルに座り込んできた人物に瞠目する。今までずっとわたしを避けていた人物、カサンドラがぶすくれたように目を細めながら目の前で頬杖をついていた。
「なんのご用ですか?」
「あなたって、ほんっとうにムカつく」
……おまえもな。
出合い頭にいったいなんだ。そう言いたいのを我慢して、そっぽを向いているカサンドラが喋りだすのを待つ。
「……あなたのせいでわたし、しばらく学院を休むことになったの」
カサンドラは苦々しげに言った。顰められた横顔は、どこか心許ない子どものようだ。
「あなたを退学に追い込もうとして、逆に外交問題にまでなりかけたって。お父さまから今回のことはさすがに多目に見れないって。いい加減、どうにもならないことを我慢することも覚えなさいって……なによ、今までなんでもわたしの言うこと聞いてくれていたのに!」
ディートフリート殿下が揉み消した例の嘆願のことを言っているのかな? 殿下、いったいどれだけ強く抗議したんだろう……。
「それはわたしのせいではないのでは? それを世間ではなんて言うか知ってますか? 自・業・自・得って言うんですよ!」
「うるさいわね! あなた、そういうところがほんとムカつくのよ!」
カサンドラはやっと鋭い視線をわたしに向けてきた。
「あの日、あなたが割り込んできてから……わたしの人生めちゃくちゃよ。あれからエドガー様も人が変わったように余所余所しくなって、目も合わせてくれなくなったわ。このあいだなんか……」
急にブツブツと愚痴りだしたカサンドラに、苦笑を浮かべる。
それこそ、普段の行いのせいだろう。断じてわたしのせいではない。だから人を疫病神のように言わないでほしい。
「……あんた、覚えてなさいよ。帰ってきたら絶対に仕返ししてやるから」
その言葉に肩を竦め返す。いつ戻ってくるのか知らないが、今の調子でいくとそのころには、わたしはもう。
「……心配しなくてもそのころには、わたしはいませんから」
憎々しげに細められていた目が、開かれる。
「だから今のうちに言っときますけどね。相手を尊重しない好意はただの迷惑行為ですからね? わたしがいなくなったからって好き放題しちゃダメですよ。ほんとうに誰からも好かれなくなっちゃいますよ!」
「いなくなるってどういうことよ」
カサンドラはわたしの説教をまるきり無視してきた。
「わたしから逃げるつもり?」
「冗談! あなたから逃げるわけじゃないですよ。第一あなたなんて怖くないし、逃げる理由もない」
「……っ」
キッと向けられている目を、真正面から見返す。
「そのころにはきっと、わたしの役目も終わってるでしょうから。だから自分の場所に帰るだけてす」
「居なさいよ!」
カサンドラは突然、怒鳴った。
「逃げるなんて許さなくてよ! わたしが戻ってくるまでそんなの絶対、許さない!」
「ちょっと! 声が大きいですよ! 急にどうしたんですか」
周りの生徒が振り返ってきたのに気づいて、彼女を窘めようとする。
「あなただってそのほうがいいでしょうに。わたしの顔なんてもう見たくもないでしょう?」
「そんなの当たり前じゃない! わかりきっていることをいちいち聞かないで! あなた、わたしになにをしたか忘れていないでしょうね? なによりも大切なエドガー様をあなたに奪われて、わたし、わたし……」
カサンドラは堪えていたものが一気に吹き出してきたように、突然泣き始めた。子どものように唇を噛み締めて、でもその涙を零す目だけはキッと睨めつけるようにわたしを見つめている。
「……あなただけなのよ、生意気にも歯向かってきたの。ほかの誰も、エドガー様自身でさえ、わたしのことを心の底から疎んでいるなんて教えてもくれなかった」
そばに誰かが立つ気配がした。振り向きざまに見上げる。少し青褪めた顔でシリルが立っていた。
「戻ってきた学院にあなたがいなかったら、わたしのこのぐちゃぐちゃの感情はいったい誰にぶつけたらいいのよ!」
「だからって、こうやって感情のままにアンジェにぶつけるのはやめてください」
カサンドラの鋭い目がシリルのほうへと移る。それにシリルは一瞬たじろいだけど、引かなかった。
「初めて面と向かってくれたアンジェに縋りたい気持ちもわかります。ですが、あなたの気持ちを整理するために、アンジェになにを言ってもいいわけではありません」
「ちょっと、シリル」
わたしと違って、シリルはこの先もこの世界で生きていかなければならない。あまり滅多なことを言うと後が怖いのではと、彼を止めようとしたが。
「そんなにアンジェと友だちになりたいのなら、素直にそう言わないと伝わりませんよ」
シリルの言葉に目を見開く。目の前のカサンドラは怒りからか、顔を真っ赤にしてブルブル震えていた。これは怒鳴りつけられるかなと少し構えていたが、結局それ以上なにも言われないまま、彼女は乱暴に立ち上がると足音も荒く去って行ってしまった。
「ビックリしたー……助けてくれてありがとう……なんだけど、シリルの立場上、あまりそういうことは言わないほうがいいんじゃない?」
「アンジェにだけは言われたくないんだけど……」
シリルは呆れたようにため息をつくと、今までカサンドラがかけていたその席に腰掛けた。
「ねぇ、アンジェ……なにか、あった?」
その言葉に目を逸らす。
「なんかって、なにが?」
「別になにもないなら、いいんだけどさ」
シリルは頬杖をつくと、わたしの顔を上目遣いに覗き込んできた。
「どうしたの?」
「どうしたの、って?」
「あの日から、なーんかよそよそしくない?」
「そう?」
そう言いつつも、目は合わせられなかった。
あの日、もうがんばらなくていいと言われてしまった日。あの日から、わたしは二人となんとなく距離をとっていたから。
「もうそろそろ、わたしがいなくてもうまくいくかなと思ってね!」
「……」
「このあいだはどうだった? コゼットちゃんからちゃんと仲直りしたとは聞いてたけど。あれ、実は結構いいチャンスだったんじゃない? 弱ったコゼットちゃんの心につけ込んでなし崩しに畳み掛ければ……」
「アンジェ、そのことなんだけれど」
――なにを告げられるのだろうか。
一瞬、聞きたくないと思ってしまった。
もしも、コゼットちゃんと両思いになれたと言われたら。そうしたらわたしはここで無事ゲームクリア、現実世界にはい帰還、ということになるのだろうか。
「あのさ、わたしからもそのことなんだけれど」
遮ったシリルをさらに遮って、わたしは宣言した。
「わたし、シリルのこと手伝うの、もうやめる」
シリルが思い切ってなにかを告げようとして、そして呆気にとられたように口を開けた。
「あ、別にシリルの幸せを願ってないわけじゃないよ? そこは勘違いしないでね。シリルには相変わらず報われてほしいとは思ってるよ。ただ、わたしの中で気持ち的になんというか、応援できないなにかができただけで」
「アンジェ……」
「おいシリル、もう用事終わった?」
そのとき、なにかを言いかけたシリルの声に、いつもシリルと一緒に講義を受けている友だちの声が被ってきた。
「いや、まだだけど……むしろ、本題が今からなんだけど」
「もう行くよ? おまえも早く行かないと、いつもの彼女がまた殿下に連れていかれるんじゃないの」
「いや、俺まだ用事があって……」
「シリル、早く行きなよ」
わたしのせいで躊躇うならばと、飲み終わったコーヒーカップを手に立ち上がった。
「まぁ、わたしの応援がなくてももう大丈夫でしょ! っていうか、応援っていうよりただ場を引っかき回していただけだしね、ハハハ……」
「待ってよアンジェ、あのさ、」
「んじゃ、またね!」
もう少しだけ、そばでその姿を見守れたら。
そう思ってしまった心に蓋をするように、ヒラリと手を振って、背を向けた。




