→はい、弁明します
「ちゃんと舞台は整えてあげたわよ」
マルリーヌ様の声に、シリルはやっと顔を上げた。
「これでジャクリーヌが懸念するとおり、クロード様に想いを告げたなんて言い出したら、あなたは二度とこの国の社交場に顔を出すことはできないわよ、アンジェ」
「ええ、ええ。わかっておりますとも。でもそれだけは絶対にあり得ませんので!」
脅すようなマルリーヌ様の言葉に怯むわけもなく、言い返す。
だから、さっきから全然違うって言ってるじゃん! なにを話したのかぶちまけないと信用できないって気持ちもわかるけど、あの極寒のマルリーヌ様に対してそんな嘘を突き通せるほど、わたし、面の皮厚くありませんから! こう見えても意外と繊細ですから!
「……事実は、思われていることとは違います」
突っ立っているわたしを尻目に、顔を上げたシリルは一歩マルリーヌ様に近づくと大声ではっきりと告げた。
「アンジェはわたしのコゼットへの想いを成就させようと手伝っているに過ぎないのです。こういうことは今までにも幾度となくありました。近づいてくる男子生徒たちからコゼットがトラブルに巻き込まれないよう、アンジェはいつも身を張って守ってくれています。……昨日のミシェル様との会話も、その延長上のものかと」
マルリーヌ様の凍るような目が、今度はわたしに向けられた。
「だったら昨日あったことを話してもいいでしょう。どうしてそうまでして頑なに話すことを拒むの。そんな態度をとられるから、話が余計に拗れてしまったではないの」
「それは……」
……言ってしまったら、マルリーヌ様はコゼットちゃんを虐めないだろうか。
「なにをそんなに躊躇っているの」
「一つ、誓っていただきたいんです。でなければ話せません」
マルリーヌ様は憮然とした顔で睨んでくる。だけど、これだけは譲れなかった。
「レオナール殿下の婚約者という誇りにかけて、当事者たちを今後も理不尽に扱わないと誓えますか」
「そんなこと、おまえに言われるまでもないわ」
「もし誓いを破りでもしたら、今度こそ殿下には見限られて、コゼットちゃんのところに逃げられちゃうかもですよ?」
「……なんだか、以前もそんなことをおまえに言われたわね……」
マルリーヌ様は首を振ると、しつこいと扇を軽く振った。
「いいから、早く本題を言って」
シリルが心配そうにこっちを見ている。それにわたしは頷きを返すと、緊張しながら口を開いた。
「昨日、クロード様は、コゼットちゃんを呼び出そうとしたんです」
余裕ぶっていたマルリーヌ様の目が見開かれた。
「クロード様、コゼットちゃんと仲良くなりたかったんですって。それがどういう意味かは、言わなくてもわかりますよね」
マルリーヌ様の扇を持つ手が、わなわなと震えている。
「以前クロード様がコゼットちゃんにちょっと見惚れていたときがあったんです。そのときの様子を覚えていたから、もしかしたらと思って……クロード様がとち狂って、色々と取り返しがつかなくなる前に動かなきゃって。だからわたしがクロード様に想いを寄せているなんてことは決してあり得ないんです!」
「そう……そう、だったの……」
なんだか、マルリーヌ様にしては珍しくショックを受けているみたいだ。彼女は言葉も出ないといった様子で、息を吐いた。
「アンジェ、ごめんね」
シリルはついに真実を吐き出してしまったわたしを支えるように、背に手を当てた。
「俺たちを助けてくれたおかげで、こんな誤解を受けて責め立てられるなんて……」
「気にしないでよ。誤解はもう解けたし」
それにシリルがこうして駆けつけてきてくれて、それがなにより心強かった。
「それにしても、これは……まさか、そんな理由だとは……」
マルリーヌ様は頭が痛いとでもいうように、こめかみを擦りながら視線を伏せて俯いた。
「……わかったわ。あなたたちがそこまで言い張るのなら、だったら違うのでしょう」
マルリーヌ様はシリルに向かって扇を振った。指示されたシリルは、静かに講義室の扉を開けに行く。開け放たれた扉に、しずしずと元の位置に戻ってきた取り巻きの令嬢たち。その中にいる俯いたジャクリーヌ様の姿に、段々不安になってきた。
ジャクリーヌ様は、はたして理由も告げられずに納得するだろうか。
「聞きなさい」
整然と揃った令嬢たちに、マルリーヌ様の毅然とした声が通る。
「アンジェはクロード様に想いなど寄せてはいなかったわ。それはこのわたくしがきちんと確認いたしました。アンジェがクロード様に声をかけたのは、まったくの違う用件よ」
「マルリーヌ様、それは……本当に? だったらなぜ、アンジェはクロード様にずっと見ているだなんて……」
「……少なくとも、あなたたちにはまったく関係のないことだから話す必要はないわ。……でも、このマルリーヌがモンフォール家の名に誓って断言しましょう。アンジェにはクロード様を慕う気持ちなど微塵もないと」
「でも……」
「ジャクリーヌ」
なおも言い募ろうとするジャクリーヌ様に、マルリーヌ様の声の調子が変わった。あの冷たい目で見下されて、ジャクリーヌ様がヒッと息を呑む。
「今日で二回目ね。そんなにわたくしの言うことが信じられない?」
「……」
泣きそうに顔を歪めながらも黙り込んだジャクリーヌ様に、マルリーヌ様はひそかにため息をつく。
「アンジェ」
「……はい」
むりやりマルリーヌ様に促されて、わたしはジャクリーヌ様に向き合った。
「取りなしてくれたマルリーヌ様に誓って、わたしはクロード様なんかには想いを寄せていないことをここに宣言します! もちろん今までも、これからもです! もしも誓いを破ったら、誰にも言えない恥ずかしい秘密を十個書き出して、掲示板に貼り付けます!」
「そこまで仰るのなら……っていうか、クロード様なんかって、どういう意味よ!」
「誰にもいえない秘密があなた十個もあるの……」
渋々だが納得してくれたジャクリーヌ様に、ホッとする。最初から決めつけず、わたしの話を聞いてくれたマルリーヌ様にも。
「いい? この件はこれでもう終わりよ。このことは今後一切、他言無用。もしも面白おかしく広めたりなどしたら、以後モンフォーヌ家の庇護は受けられないものと思ってよろしくてよ」
マルリーヌ様の鶴の一声で、その場は解散になる。サッと糸が引くように去っていくマルリーヌ様とその取り巻きの令嬢たち。
残ったのは、わたしとシリルに、コゼットちゃん。
「……ねえ、シリル、アンジェちゃん」
コゼットちゃんは透き通るような、甘いピンクグレープフルーツの瞳を揺らして、所在なさげに立ち竦んでいた。
「これって、もしかしなくても……昨日のクロード様のことが原因だよね? クロード様、本当はわたしに用があるって言ってた。もしかして、またアンジェちゃんが……」
「コゼット、もう終わったことなんだ」
不自然に明るい声で、シリルはむりやりニッコリ笑ってコゼットちゃんの声を掻き消す。
「今回の件はもう丸く片付いた。終わったことを気にしてもしょうがないよ。次の講義もあることだし、もう行こう」
「どうしてなの」
コゼットちゃんの強い声が揺れる。
「シリルってアンジェちゃんにはなんでも相談するくせに、わたしには教えてくれないよね。いつも二人だけで話して……わたしって、やっぱりそんなに頼りないのかな」
「ああ、コゼットちゃん、違うよ! シリルはね……」
「アンジェちゃんにはわからないよ!」
思わずといったようにコゼットちゃんに遮られて、口を噤む。コゼットちゃんはハッとした顔をすると、「ごめんなさい!」と出ていってしまった。
「コゼット!」
シリルの叫びも虚しく、コゼットちゃんの姿はもう消えてしまっている。
「早く追いかけよう!」
これって、ちょっとヤバいんじゃ。なにやらコゼットちゃんの様子がいつもと違っておかしかった。焦燥のままにシリルにそう声をかけるけど。
シリルは扉のほうを見つめたまま、動こうとしない。
「なにしてるの? シリルってば!」
その肩を叩くと、シリルは情けない顔で振り向いてくる。
「コゼットちゃん、いなくなっちゃったよ!?」
「アンジェ」
伸びてきた手がポンと頭に乗せられ、軽く撫でられる。
「いつもイヤな役をさせて、ごめん」
告げれらた言葉に目を瞠る。すぐに背を向けられ、シリルの後ろ姿も瞬く間に見えなくなった。
もうこれ以上、がんばらなくてもいいからね。
そう押し出すように言われた言葉が、頭の中でリフレインを繰り返す。後を追うことはできなかった。




