→はい、交換します
シリルがようやく選び終えて全員が注文を済ませたのちに、一旦店の外へと出る。名入れを頼んだので、それを待つあいだカフェテリアに行こうという話になったのだ。
皆でワイワイと話しながら、マルリーヌ様おすすめのカフェへと足を運ぶ。空いている席につくと注文を終え、あとは各々寛いたように会話を弾ませだした。
要注意だった殿下はというと、意外にもマルリーヌ様と話が盛り上がっている。
なんだかんだで二人とも付き合いは長いだろうし、仲が悪いわけではないのかもしれない。それに今は、マルリーヌ様もいい方向にがんばっているみたいだし。殿下も決して彼女を疎かに扱っているわけではない。
あとは殿下の好みど真ん中のコゼットちゃんにどうにかお相手が見つかれば、殿下も大概に諦めがつくだろう。そのコゼットちゃんも、今はシリルといい感じで話している。
会話がないのは、ビジネスライクな関係のわたしたちだけだった。
「……ピピ・オデット」
「その名前で呼ばないでください」
イヤそうに顔を顰めたわたしに、エドガーがおやと片眉をあげる。
「“アンジェ”と呼ばれるほうが、しっくりくるんです」
「そうでしたか、これは失礼」
「別に隠してるとかではないんですけど」
とにかく、最初に出会ったときにシリルがそう呼んでくれたから、わたしにとってこの体での名前は“アンジェ”で定着しつつある。“ピピ・オデット”と呼ばれるほうが、違和感があった。
「それにわたし、多分“ピピ・オデット”じゃないんです」
突拍子もないことをボヤくわたしに、エドガーはますます眉を顰める。
「それはどういう意味ですか?」
「なんて言ったらいいか、わからないけど……でもそうですね、たとえば二重人格のようなものだと思ってもらえれば」
この体に入っている今現在のわたしを“アンジェ”と呼ぶのならば、わたしがいなくなったあとのこの体を“ピピ・オデット”というのだろう。
「だから“ピピ・オデット”のことはわたしもよく知らないんです。わたしはただ、シリルを幸せにしたくて産まれたような人格ですから」
エドガーは思案げに視線を落とした。
「にわかには信じられませんが……ですが、たしかに以前見かけたときのあなたとはまるきり雰囲気が違いますね。あのとき話しかけられたときも、すぐには気づきませんでしたし」
また言われた。以前のわたし、“ピピ・オデット”の話だ。ただのモブ令嬢だから背景が真っ白だと思っていたけど、ひょっとして違うのかな? ディートフリート殿下に関係があるなんて、本当にわたしはただのモブ令嬢なのだろうか。
「……以前のわたしって、どんな様子でした?」
思い切って尋ねてみる。エドガーは視線を上げ、あの探るような目でわたしを見てきた。
「そうですね、地味なところは変わりませんけど」
「おい」
「ですが、今のようなお転婆な感じはありませんでしたね。ごくふつうのお嬢さんでしたが、ただどことなく生気がなかったというか、とてもカサンドラに喧嘩を売るようには見えなくて……」
「そうですか……っていうか、わたしも別にケンカなんか売ってませんから!」
エドガーはかすかに笑い声をもらした。
「そうでしたか? でしたら、アレはなんと表現いたしましょうか。宣戦布告? 挑発? 煽り?」
「助けてもらったわりに、随分な言い方してくれますね!」
頬を膨らませたわたしに、エドガーは思わずといったように涼やかな笑い声をあげた。あ、今の、ちょっと素っぽかった。そうやって気取らずに笑う姿はさすがイケメン、目に眩しい。
「楽しそうに話しているな」
その姿を見て、隣のテーブルから殿下が興味深そうに話しかけてくる。
「エドがそんなふうに話すなんて、珍しいじゃないか」
「殿下、そうですね……不思議なことにアンジェ相手だと、構えずに済むんですよね」
……それって多分、わたしのこと女として見てないからだと思う。別に見てもらわなくて結構なんだけど、でもちょっとだけ悔しいのはなぜだろう。
「エドにもそんな相手が見つかって、本当に安心した。このままいくと結婚もできないんじゃないかと心配していたからな」
「殿下に心労を負わせて情けないばかりです」
殿下は見惚れるような、素晴らしい笑顔をわたしに向けてきた。
「アンジェ、このエドガーは見た目にそぐわず屁理屈だらけの天邪鬼者だが、根は優しくていい子なんだ。よかったら、これからも厭わずにそばへといてやってほしい。どうやらエドは君の隣が居心地良いようだから」
「いや、レオナール様。それは、ちょっと……」
はいともいいえとも答えようがなくて、言葉にできないままに口をパクパクさせる。
そんなわたしの様子を面白そうに眺めていたマルリーヌ様とエドガーだったが、やがて話題はわたしの知らない貴族たちの動向へと移っていった。
わたしはというと、少し離れた窓際の席で語り合っているシリルとコゼットちゃんを眺めていた。
殿下やエドガーの邪魔が入らないようにと、あえてそのテーブルへとわたしが追いやったのだが、思惑通り、二人きりの会話は盛り上がっているようだった。
窓際からの陽射しに照らされて、コゼットちゃんのピンクブロンドの真っ直ぐな髪はキラキラと光を放っている。それを柔らかく笑みながら見つめるシリルの目は優しい。
まるで絵になるような光景はわたしが望んだもののはずなのに、なんだろう……少しだけ、その光景の中に入れないことがほんの少しだけ、寂しかった。
先ほどの雑貨屋でそれぞれへのプレゼントを受け取って、やっと待ちに待った交換タイムがやってきた。
女の子らしく、恥ずかしがってなかなか渡せないマルリーヌ様とコゼットちゃんに代わって、わたしが先陣を切って渡すことになった。
「エドガー、どうぞ」
中身はなんてことのない、ただの実用的な万年筆だ。高給取りの彼ならばもっといいものをお持ちだろうし、そもそも女性に人気の彼のことだから贈り物は貰い慣れているに違いない。そう思って、気軽な感じで渡したのだが、エドガーは思いのほか嬉しそうに受け取ってくれた。
「カサンドラ以外の女性から贈り物をいただくのは、何年ぶりでしょう! ありがとうございます! アンジェ!」
……それはたしかに、よほど嬉しいに違いない。なんの思惑も孕んでいないプレゼントというものに感動しているエドガーのことは、そっとしておくことにする。ちなみにわたしがもらったものは先ほどすでに目にしてしまっていたので、なんの感慨もなくエドガーから受け取る。次こそは君の番だぞと、目配せでシリルを促した。
シリルは今度はわたしの意図をちゃんと汲み取ってくれたようで、若干緊張した面持ちながらも、男らしくコゼットちゃんに向かっていった。
「コゼット……その、これ。よかったら、受け取ってもらえると嬉しい」
コゼットちゃんは眩しい笑顔で受け取ると、「わたしからも」とほころぶような笑顔で可愛らしい包みをシリルに渡した。若干羨ましそうに前のめりになっている殿下の服の裾を、マルリーヌ様がしっかりと掴んで制御している。
包み紙を開けた二人の手元を、わたしたちは覗き込んだ。
「これは……」
感心したように、エドガーが思わず声を上げた。
うだつの上がらないシリルにしては珍しく、コゼットちゃんにピッタリの、可愛らしい万年筆をチョイスしていた。
淡いパステルピンク色のローズクォーツのペン軸に、可愛らしい小花模様が繊細に浮かんでいる、細身の万年筆。
あまり実用的ではないかもしれないが、コゼットちゃんをイメージしたというところがわたし的にポイントが高い。
エドガーもわたしをイメージしてくれたってよかったのになー。そう思ってジロリと見やると、まあまあと苦笑で返された。まぁ、わたしをイメージしたものが先ほどの地味な万年筆だということであれば、もうなにも言えないが。
対してコゼットちゃんが、シリルに贈ったものといえば。
深いモスグリーンのペン軸が爽やかな万年筆だった。ペン先に近いところに金の葉が散らされていて、まるで穏やかなシリルの瞳のようだった。
「まぁ」
マルリーヌ様が感嘆のため息をつくように、声を上げる。
「二人はまるで恋人同士のようにお互い想いあっていますのね。そうでなければ、これほどまでに相手に似合うものなど贈れはしませんわ」
その言葉に真っ赤になる二人。真っ青になる殿下。苦笑するエドガーとわたし。
「殿下?」
すかざずマルリーヌ様からのツッコミが入って、殿下は慌ててマルリーヌ様へのプレゼントを渡している。それを満面の笑顔で受け取った彼女は、なかなかどうして、とても可愛らしい笑みを浮かべている。
うん、とっさの思いつきだった万年筆作戦、思った以上に成功したな。これで少しはシリルの好感度も上がっただろう。そして、相対的に殿下の好感度も下がったはず。
そう思ってシリルにニッコリと笑いかけると、シリルからも案外とかわいらしい笑顔が返ってきた。
どこか胸がほっこりするような、それでいてなぜだがチクチクするような、不思議な笑顔だった。




