五月雨色のワンルーム・ロンド
何にでも色がある。そう感じるのはきっと私だけではないはずだ。でも、今の気持ちに何かしら色を当てはめるとしたら、明朗活発な黄色でも、落ち着きのある緑でも、冷たく湿った青でも、当然やる気の溢れる赤でもない。寒色系でも、深すぎず、浅くはなく、清々しくもなく、春先のしっとりとした雨のような、さらりとした色。小雨で貼りついた粒がぶつかって、すっと落ちていくような。
頭の中の映像では窓に指を這わせて憂うも、現実では寒くなってきた窓際にはいかない。冷え性を恨みながら寝る布団の中で、まだ明確に定義のないその色を、私の中では「五月雨色」とした。
両方のつま先を重ね合わせ、少ない温度を分け合いながら、最近会っていない恋人の名前を口にした。誰も聞いてなどいないというのに。
すっかり暗くなった日曜の夜。酒が入っているのか、若い男性たちが大声で話す声が聞こえる。もしかして窓を閉め忘れていたのだろうか。この辺りは準繁華街とでも言えそうなくらい飲み屋が多いから、週末の夕方からはいつも賑やかだ。
閉まったカーテンの奥を睨むと、その一瞬手元が緩み、平皿を落としてしまった。皿は底を下にして床に着地し、頭部を殴るような音で肩がびくつく。
指の腹をこすり合わせ、冷たく滑った感覚をなぞる。
「はぁ……」
誰が聞いてないとわかっていても、勝手に溜息や独り言は出てしまうものだ。悲しいかな、一人の時間が長くなり、慣れていくほどに、部屋の隅の観賞植物のように違和感がなくなる。
そう、皿だ。自分の独り言の激しさなどどうでもいいのだ、落ちた皿を出す不燃ごみの日が大事なのだ。それから実家でたびたびやっていたように、捨てるための新聞紙や破片を吸う掃除機を用意しなくては。
そう頭では考えながらも、脳の浅い部分ではぼうっとその皿を眺めるだけになってしまうのはいつものことだ。考えることと動きが一致しないまま、何となく眺めてしまうのは癖。皿は縁を沿って回転しながらも、描かれる円はフェードアウトするように緩んでいく。ぐわんぐわんと揺れるそれに向かって、膝を折り、ゆっくりと手を伸ばす。
だが、あと少しのところで、指先を引っ込めてしまった。ぱっと皿を掴む自信がなかったというのもあるし、失敗して指を痛める恐れがあったというのもある。もちろん、欠けた破片も本体も怖い。
痛いのは嫌いだ。
動きが止まるの待ち、じっと注視してしまう。一人でに踊るそれを、まるで舞台の主役かのように思ってしまう。負けたような気になるのは、一体どうしてなのだろうか。
静かになった皿に恐る恐る触れる。
「痛っ」
尖った部分に触れてしまい、反射的に手を引いた。痛みを感じた部分を睨む。赤い隙間から、風船のようにぷくっ血の球ができているところだった。それを確認して、溢れないよう触れないよう刺激しないように、腕を顔の横まで上げる。利き手ではない方の手で、今度は危ない箇所に接しないように、皿の残骸を寄せる。
お気に入りだったのに、貰ったお土産だったのに。でも、誰から貰ったのか思い出せない。
きらきらと部屋の明かりを反射する白い欠片は、星屑のようだ。初めて見た映画のような懐かしさを感じながら、古い記憶を探る。
でもやはり思い出せなくて、諦めて新聞を探そうと視線を外した。