誰かにとっての奇跡は誰かにとっての必然
|あなたは奇跡を信じるだろうか。
「奇跡」それは思ってもいないことが起きること、とても発生する可能性の低い事象が発生すること、それらを世間一般では「奇跡」と呼ぶ。
しかし、昔の偉い哲学者は奇跡など本来存在していないと言う。
運命はすでに生まれた時点で定まっており、そこから外れることはない。
本人からすれば奇跡だと思うようなことすら、必ずその事象に対しては原因があって、それに伴う事象が一つあるだけだと。
それなら果たして奇跡とは何なのだろうか。
このお話は私にとって奇跡のような、でも誰かにとっては当たり前のようなそんな話である。
私の名前は鈴村ミク。この春高校2年生を迎える女子高生である。
短かった初めての春休みも終わり、2年生として初登校の朝を迎えた。
高校生活というのは私が思っていたようなものとは違い、キュンキュンするような甘酸っぱい恋愛もなければ、毎日目標に向かって汗と涙を流す青春真っただ中みたいな部活もなかった。
そこにあるのは、中学生が少し大人になっただけで、やってることは大して変わらない、そんな日常が広がっていた。
2年生になったからといって私のやることは大して変わりがない。
いつも通り出発の30分前に起き、やや急ぎ目に洗面所で身支度をする。
去年の秋に好きだった男子に彼女がいることがわかり、よくドラマに出てくる女の子がやるようにバッサリと髪を切ってからは、朝の身支度に少し余裕ができた。
多くの女子はここでもっと早く起きて、髪を整え、化粧をし、ばっちりカラコンをはめて、戦闘準備を整えるのだろう。
しかし、すでに敗残兵の私にとってはそんなことは大した問題ではなかった。
人前に出ても恥ずかしくない程度の身支度をして、化粧も一応して、眼鏡をかけて、朝の食卓へ向かう。
テーブルにはすでに朝ごはんが用意されており、父、2個下の弟が朝のニュースを見ながらごはんを食べていた。
私も遅れて席に着くと、母に「もっと早く起きて、女の子らしく準備したらいいのに。」と小言を言われながらいつもどおり「はいはい」と軽くあしらって席に着く。
今日の朝ごはんはトーストと目玉焼きとコーヒーである。
私は最初にトーストに手を伸ばすと、近くにあったいちごジャムを丁寧に塗っていく。
時間のない中でも、優雅な朝を演出することは、心に余裕を持つ上でとても大切な儀式である。
私はこの時間が好きだ。
こうして、ゆったりとご飯を食べるこの瞬間が。
しかし、そんなことは関係なく早々にご飯を食べ終えた弟があわただしく自分の食べ終えた食器をガシャガシャと片づける。
そして、一通りこの優雅な時間をぶち壊すと、「ごちそうさまー!行ってきまーす!」と言い残し、またまたあわただしく家を出て行った。
そんな弟を尻目に私の優雅な朝食は続く。パンを食べ終え、目玉焼きを食べ終え、少し熱めのコーヒーをすする。そして、朝食を済ませるとジャスト7時30分。出発の時間である。
いつも通り、学校指定のローファーを左から履き家を出た。
私の家から学校までは徒歩20分ほど。春の暖かな日差しを浴び、イヤホンで好きな音楽を聴きながらゆっくりと歩く。
私は、この登下校の一人で歩く時間が好きだ。一人で特に何も考えることなく学校まで歩く時間は、なんとなく贅沢な気持ちになる。
そんなふうに春の穏やかな陽気の中ふらふらと歩いていると、突然後ろからドンっと大きなものにぶつかられた。瞬間私の体は宙を舞い、コンクリートの塀に強かに打ちつけられた。
あまりの衝撃で体は動かず、言葉も発せられず、生暖かい感触が首筋を落ちていく。だんだん意識が遠のいていく。そこでようやく私の理解が追いつく。
「ああ、私車に轢かれたんだ。」
そして、もう助からないであろうことを悟る。
私はいつの間にか道路の真ん中にいたらしい。ただ、そんなことは今日が特別というわけではない。登下校に使っているこの道は普段車などほとんど通ることはないから、真ん中を歩くことなどままある。しかし、今日は特別ついていなかったらしい。さっき私を轢いたであろう黒い乗用車の後ろをパトカーがサイレンを鳴らして追っていく。警察から逃げている車に私は轢かれたのだ。
今日に限ってこんなことになるなんて。
高校生活に未練があるわけではないが、まだ16歳、人生これからというときにこんな簡単に死んでしまうのかと思うと悲しい気持ちになる。友達だって多くはないがそれなりにいる。勉強だって特別できるわけではないが、それなりにやっている。将来の夢はまだないが、これから出会うかもしれない。しかしもう手遅れだ。意識は遠のき、目も見えづらくなってきた。そして何より、直感が死を告げている。
あっけない人生だった。できるならもう少し生きたかった。今日死ぬとわかっていたら、好きな気持ちに気づいた時点で彼に告白していた。本当に後悔しかない。でも涙も流せない。悔しい。悔しい。悔しい。
そう思いながら、私は道路の片隅で息を引き取った。
視界が真っ暗になってからどのくらい時間がたっただろう。
ピピピピッという電子音で私は再び目を覚ました。
布団の上だ。しかも私の布団の上だ。私の部屋だ。ここは誰がどう見ても私の家だ。
夢だったのだろうか。いや、そんなわけはない。当たった瞬間の衝撃も、血が流れ落ちる生暖かい感触もはっきりと覚えている。決して夢などではない。ただ、ならなんだというのだろうか。時間を巻き戻す能力でも手に入れたのだろうか。私はそんな混乱した状態でいつものように階段を降りる。
「おはよーリン。今朝は早いのね。」
開口一番母が娘の名前を間違える。
「お母さん、娘の名前間違えないでよ。私はミクでしょ。」
母が笑いながら言い返す。
「あんた何言ってるのーまだ寝ぼけてるの?さっさと顔洗ってシャキッとしなさい。」
何が起きているのか全く分からない。
私は鈴村ミクのはずだ。なのに母は私のことをリンと呼んだ。いったい何があったんだ?あれは夢じゃなかったのか?私は洗面所に向かうと鏡で自分の顔を確認してみる。そんなに悪くない顔だが、明らかに依然と変わっている。以前はショートカットだった髪が今はミドルのボブになっているし、目も黒かったのがやや茶色がかった色になっている。鼻は前よりも低くなり、身長も5cmほどだろうか小さくなったことからどこか幼い印象になっていた。
次に私は玄関に向かいサンダルを履いて家を出てみた。
周りの景色は変わっていない私の知っているままだ。しかし、表札を見て愕然とした。
「鈴村」ではなく、「高梨」に変わっているではないか。
いったい何が。
すると、私の肩を何かが小突いてきた。
バッと勢いよく振り返ると、にっこりと笑みを浮かべた綺麗な女性が佇んでいた。
身長は私と同じ160cm程度で、黒いワンピースに長い金髪、翡翠のような透き通った碧色の瞳をしている到底日本人とは思えない容姿をしている女性だった。
「あなた、今びっくりしているでしょ?」
女性が唐突に話しかけてきた。
「さっきあなたは不運にも逃走中の車にはねられて死んでしまった。なのに、今はこうして自分の家に帰って来ている。そして、夢だったのかと思ったら、自分の名前が変わってしまっている。夢じゃなかったことがわかり、いえ、今もまだもしかしたら夢の中にいるんじゃないかと思っている。違う?」
思っていたことをすべて言われ、私はただただ頷くしかなかった。
「あははは!そうよねぇ!そう思うわよねぇ!でも残念これは夢ではないのです!分かりやすく言うなら、転生ね。あなたは転生したの。鈴村ミクから、高梨リンという新しい人物にね!どう、ワクワクしない?」
全く意味が分からない。転生なんていうのは漫画や映画の世界の話だ。そんなこと起こるわけがない。混乱する私をよそに女性はさらにヒートアップしてまくしたてる。
「あなたはこう思っているはず。転生なんていうのはおとぎ話の世界でのことだと。そんな奇跡みたいなこと起きるはずないって。でも、あなたにとっては奇跡でも私にとっては必然なの。だって私はあなたを転生させようと思って転生させたのだから!私はね、神なの。再生を司っている神。名前はエレン。本来であれば、前世の記憶は消去して、赤ん坊から生まれ変わらせるのが私の使命なのだけれど、あなたは特別。もう一度同じ時代を別人格として生きてみなさい。記憶もそのままにね。あ、安心して。あなたの周りの家族含め人間関係にはほとんど手は加えていないから。じゃ、また何かあったら出てくるから以後お見知りおきをー。」
女性、もといエレンはそう言い残すとまた暗闇に消えてしまった。
なんなのだろうか。転生?意味がわからない。しかし不思議とそこまで嫌な気持ちはしなかった。
もう一度同じところから生を全うできる。少しうれしくもあった。名前は失ってしまったけれど、高梨リンとして生きていこう。素直にそう思えた。あと、道路の真ん中を歩くのはやめよう。
家に戻るといつも通りの朝がそこにはあった。
私もいつもと同じようにルーティーンを一通りこなすと、左足から学校指定のローファーを履き家を出た。今度はしっかりと注意して学校につくことができた。それだけのことがなんだかうれしい。学校につくと自分の下駄箱にローファーを入れて上履きに履き替え教室へ向かう。転生したことで下駄箱や教室の席が変わっているのではないかと疑ったものの、そこは手を加えずにおいてくれたらしい。
教室に入ると、アスカがいつものように話しかけてきた。
「リンーおはよー!ねぇねぇ昨日の恋旅見た?」
流行りのネット番組の話をするあたりいつものアスカだ。
アスカはザ・今どきのJKという感じだ。オシャレやインスタ、若者に人気のネット番組すべてチェックしている。性格は天真爛漫そのものでとにかく明るく、友達も多い。髪型はウルフカットで、目はパッチリしていて、結構男子からの人気はあるのだが、本人の理想が高く彼氏はいない。本人曰く、「銃を持って襲ってくる男から素手で私を守ってくれるようなたくましい男じゃないとときめかない」のだとか。
そんなふうにいつもと変わらないアスカとの会話を楽しんでいると、HRのチャイムが鳴った。
リンという名前にはまだ慣れないが、それ以外は本当に普通。何も変わっていない。転生というからもっと変わっているのかと少し期待をしていた分肩透かしを食らった気分だ。このままいつもと変わらない日常が過ぎていくのだろうか。私が考えを巡らせていると、橘先生が教室に入ってくる。
「みんなおはよう!今日からお前たちも2年生だ!上級生になったのだから、気を引き締めていけよ!」
「カオリちゃーん!去年もあんまり変わらないこと言ってたー」
「カオリちゃんはやめろっていっただろ!仕置きされたいのか!」
生徒に軽い野次を飛ばされながら橘先生(通称カオリちゃん)は挨拶をする。
私たちの学校では2年生までクラス替えがないため、担任含め去年と同じメンバーでまた1年過ごしていくことになる。カオリちゃんはまだ27歳の若手でありながら、バリバリ働くキャリアウーマンで私たちのクラスの英語を担当しながら、剣道部の副顧問もしている。スラッとしていて、切れ長にロングの黒髪を一本に結んでいる感じが、まさに武士という感じでかっこいい。
カオリちゃんはひととおり新学期の挨拶を終えると、少し改まった。
「今日からD組に新しい仲間が加わることになった。」
転校生の来訪に教室内からは「おぉー」という喜びの声が聞こえる。
「鈴村、入ってこい。」
カオリちゃんが呼ぶと、一人の女生徒が入ってくる。
(鈴村…)
まさかと思い、その転校生をよく見てみるとそこには転生前の私がいた。