第98話 疑念
曇り空の下で青白い小鳥たちが囁く。そんな商店が立ち並ぶ道を三人が通り抜けた。
急いで素早く足を動かす犬耳の少年騎士の後ろで、大きな胸を揺らしながら、長髪の女が荒い呼吸を漏らす。
「はぁ、はぁ、道場はまだですか?」
「ああ、この商店街を抜けた先にあるんだが、もしかしたら、もう終わってるかもしれないな」
背後を振り返ることなく答えたジフリンスの声を聴き、クルス・ホームは首を捻る。
「えっと、それはどういうことですか?」
「鳥たちが騒がしくないから。まだ戦闘中だったら、普通通りにあの小鳥が飛ぶわけないよ」
クルスの隣を走るユイが曇り空を見上げながら、疑問に答えた。その視線の先では、小鳥たちが優雅に飛び回っている。
「そうだが、結果が分からないんだ。もしかしたら、黒いドラゴン討伐に失敗して、逃げられたからかもしれない」
その推測を耳にしたユイは表情を強張らせ、その場に立ち止まった。
「あっ、待って。あそこで誰か倒れてるみたい」
同じように足を止めたクルスは、ユイが指差す前方に視線を向けた。その先で、大柄な誰かがうつ伏せに倒れている。
顔を見合わせたクルスとユイは、同時に前方に向かい駆け出した。その一方で、ジフリンスは体を半回転させ、ユイたちの元へと足を進める。
やがて、その距離が近づくにつれて、ユイは思わず「あっ」という声を漏らした。
「黒いドラゴンを一緒に倒してくれた人だ。でも、なんで、こんなところで倒れてるの?」
横たわる大柄な女と顔を覗き込んだユイが首を捻る。そのまま体を抱き起したユイが、仰向けに寝かせると、赤く染まった上半身が露わになる。その姿を見たユイは言葉を失った。
「酷いな」とユイの右隣に立ったジフリンスが女の体を凝視する。
「そうだね。でも、息してる。何があったか分からないけど、助けないと。お礼もまだ言えてないし」
「応急手当だけでも済ませて、病院に連れて行った方が良さそうです。僕はこの人に聞きたいことがあります」
ユイの意見に同意を示したクルスがその場に座り込み、右手の人差し指を立てた。
その動きを見たユイは、左腕を斜めに降ろす。
「待って。回復術式は、私が使うから。クルスさんは包帯とか持ってたら、それを召喚して!」
「はい」と短く答えたクルスが右手薬指を立てる。それに続いて、ユイは人差し指を立て、女の腹部にそれを近づけた。そうして、すぐに彼女は魔法陣を記す。
すると、腹部に記した円から緑色の光の線が伸び、女の体を包みこんでいく。
「回復術式発動。あとは、クルスさん!」
「はい。包帯です」
そう言いながら、クルスは丸まった包帯をユイに手渡す。その直後、傷だらけの女は目をパチクリとさせた。
「ここは……」
「良かった。気が付いたみたい。動かないで。今すぐ包帯巻くから!」
心配そうに女の顔を覗き込んだユイと対面を果たしたルクシオンは視線を逸らす。
「一応感謝するけど、私には行かないといけない場所があるの。こんなところで倒れてる場合じゃない!」
強引に体を起こそうとする女に対して、ユイは首を横に振った。
「ダメだよ。何があったか分からないけど、そんな傷だらけの体で何ができるの?」
慣れた手つきでユイが包帯を巻いていく。それと同時にルクシオンは黙り込んだ。
「それは……」
数十秒で一通りの応急処置を済ませたユイが視線を落とす。その先には黒い剣が落ちていた。
「そういえば、この剣、初めて見たよ。さっきは格闘技で戦ってたけど、もしかしたら剣士なの?」
興味津々な表情を浮かべるユイの隣でジフリンスは目を点にする。
「ユイ。変なこと聞くな」
「だって、気になるから。こんなスゴイ名刀、中々見ないよ!」
「これはあの女から奪い返した兄ちゃんの形見」
「そうなんだ。その人と剣を交えてみたかったな。一目見ただけで分かるよ。すごく強い剣士なんだって」
その一言を聞き、ルクシオンの瞳から涙が落ちた。突然泣き始めた女と顔を合わせたジフリンスとユイは慌てた表情になる。
「ユイ。お前が変なこと聞いたからだぞ!」
「嬉しくなったから泣いてるの。兄ちゃんは弱い剣士なんかじゃないって。だから、余計に許せなくなる。私から全てを奪っていったあの女たちのことが!」
女の力強い一言を耳にしたクルスは、「えっ」という声を漏らした。
彼女は極悪非道な錬金術研究機関に属しているはずなのに、今目の前にいる彼女からは悪意を感じ取れない。それとは正反対の正義感を胸に抱えているように思えてしまう。
疑惑の女と顔を合わせたクルスは、右手を挙げた。
「普通に会話できる状態なら、聞きたいことがあります。ルス・グース。ご存知ですか?」
その名前を耳にしたルクシオンが、右手を強く握りしめる。その表情から悔しさがにじみ出ていく。
「ルス。あの女に二年間も騙されていた。仲間だと思っていたのに、裏切られた気分だよ」
「仲間なら、知って当たり前ですよね? ルス・グースってどんな人なんですか?」
度重なる質問を聞き、ジフリンスの頭にハテナマークが浮かび上がった。
「待ってくれ。誰なんだ? ルス・グースって」
「それは……」
答えに迷うクルスの沈黙から数秒後、商店街に二つの影が飛び込んできた。
「どうやら遅かったみたいだにょん」
その声に反応したクルスたちが前方に視線を向けると、そこにはヘリスとイースが並んで立っていた。
目を丸くするクルスたちの前で、イースが周囲を見渡す。
「逃げ足が速い」
「えっと、イース騎士団長?」
状況を理解できないジフリンスの疑問の声を聴き、イースは頷いてみせた。
「広場に出現した黒いドラゴンを追跡していたら、その子がトドメを刺してくれたって、道場の前で出会ったアイリスに教えてもらってな。それから、黒いドラゴンの飼い主らしき人物とその子が交戦しているっていう話を聞いたんだ。だから、急いでここまで駆けつけたんだが、もうソイツは逃げたあとだったらしい」
「なるほど。この人が……」と呟くジフリンスの隣でユイが微笑む。
「この人、あの黒いドラゴンのこと相当恨んでるみたいだったね。すごく頑張ったと思う」
「ところで、ユイ。いつの間に元の姿に戻ったんだい?」
イースがジロジロとユイの体を見つめた。その支援を感じ取ったユイはイースと顔を合わせる。
「はい。クルスさんが私を助けた時、なぜか元に戻ってしまいました。その原因を突き止めるため、クルスさんと行動を共にする所存です」
騎士団長に対して敬語で話すユイに対してイースは腕を組む。
「なるほど。よく分からないが、いいだろう。ただし、ジフリンスとの同行は認めない!」
その指示を聞いたジフリンスは体をビクっとさせ、目を見開いた。
「イース騎士団長。それはどういう……」
「ジフリンスの思考回路は分かりやすいから、先手を打たせてもらった。妹を溺愛しているジフリンスなら、必ずユイと一緒に行くだろうが、殆どの騎士がディアナの手で病院送りにされたから、人手が足りないわけだ。使える騎士を野放しにするわけなかろう。一週間は治安維持に努めてもらう!」
「そんなぁ!」とジフリンスが思い肩を落とした。その隣でユイは苦笑いする。
「ジフリンス。私は大丈夫だから、あとのこと頼んだよ。まずは、この人を病院に連れて行ってね」
チラリと大柄な女をユイが見つめる。その直後、ルクシオンの体から力が抜けていった。
上半身を起こした状態から、背中に地面を付けた彼女は曇り空を見上げる。
「何だろう。あの村を滅ぼしたブラフマを倒すためなら、悪魔に魂でも売っていいって思ったのに、もうどうでもよくなった」
ブツブツとした呟きを耳にしたクルスが優しく微笑み、ルクシオンの顔を覗き込んだ。
「悪い人じゃなかったんですね」
「あっ、今思い出した。あなた、パラキルススドライで出会った人だね。連れの銀髪の女の子はいないみたいだけど。ルスのことが聞きたいんなら、いいことを教えてあげる。あの子は恐ろしくて不思議な子よ。それと、戦闘力は高位錬金術師や異能力者が束になっても勝てないほど」
「教えていただき、ありがとうございました!」
頭を下げたクルスがルクシオンから離れていく。その動きに合わせて、ユイも彼女の後姿を追いかけた。その一方でヘリスはクルスたちの元へ歩みを進める。
「あっ、まずはブラドラの毛髪を分けてもらえるように頼まないとね」
クルスの横に並んだユイが両手を叩く。その隣でクルスは首を縦に振った。
「そうですね。お願いします」と頭を下げたクルスはユイと共に、静かな商店街を歩いた。
日差しが遮られた洞窟の前に黒いローブを着た五人組が集まる。その中心にいた男は四人の仲間に呼びかけた。
「通報者によると、この洞窟の奥にブラドラを連れ去った犯人が拘束されているらしい。行くぞ!」
「はい!」と号令をかけた男たちは、一斉に洞窟の中へと足を踏み入れた。
その様子を木々の間に隠れていた影が見ていた。その女、ルル・メディーラは額に右手と触れさせ、溜息を吐き出す。
「まさか、あのディアナが拘束される結末とはね」
「助けに行かないの?」
聞き覚えのある声が囁かれ、ルルは右方に気配を感じ取った。それからすぐに右肩に触れられたルルは顔を上げる。
その視線の先では、アイリス・フィフティーンが微笑んでいた。
「アイリス、何の用だ?」
声を潜めたルルがアイリスに尋ねる。すると、彼女は真顔になった。
「聞きたいことがあって。ブラドラ連続拉致事件。あなたはどこまで関与しているのか?」
「あの子が勝手にやったことでしょ? 邪魔な獣人騎士団の調査が入ると知り、彼らを始末して、拉致したブラドラと行方をくらませようとした。だが、監禁場所を訪れた何者かに倒され、あの結末に至る」
「なるほど。あなたらしい答え」
「じゃあ、こっちからも聞こうか? あの村の生き残りを私の前に飛ばして、相対させたのはなぜ?」
そんな追求をされたアイリスは肩を落とす。
「強いて言うなら、あの子の気迫に負けたから」
「そういうことか。でも、ルス・グースは役者を見る目がないね。あの程度のチカラなら、役を演じ切ることもできないだろうから、あのまま降板してほしいな。そこに私が代役で出演。最高な物語になると思わない?」
「そうね。一つだけ忠告するならば、あなたの物語の結末はバッドエンドです」
真剣な仲間の声を耳にしたルスはアイリスに背を向けた。
「それでは、次の舞台でお会いしましょう」と短く答えたルルは、森の中へと姿を消した。