第86話 アンサー
「あの、お願いしたいことがあります」
ステラの部屋で一通りの話を聞いたアソッドが右手を挙げる。その動きを見て、アルケミナたち五大錬金術師とステラ、リオ、カリンが全員視線を彼女に向けた。
「何です?」とその中にいた水色メイド服の少女、ステラ・ミカエルが首を傾げる。
「ステラさんたちは私がどこで暮らしていたのかを知っているんですよね? だったら、私をその場所に連れて行ってくれませんか? みんなは私のことを覚えてないかもしれないけれど、気になるんです。記憶を失う前の私が、どんな場所で暮らしていたのか」
自身が抱える想いを継げたアソッドの声を耳にしたステラは唸り声を出した。
「うーん、カリン、どうするです?」
「そうですわね。私個人の意見としては、賛成したいのだけれど、一つだけ気がかりなことがありますわ。その選択が最悪な未来に辿り着くきっかけにならなければよいのだけれど……」
心配な表情を見せたカリンと顔を合わせたティンクが首を捻る。
「どういうことだ? 姉ちゃんを故郷に帰してはいけない理由でもあるのか? それと、さっき気になったんだが、なんで姉ちゃんが見た夢の話を聞いたら、表情を曇らせたんだ?」
「《《あの事実》》を話すわけにはいきませんわ。選択を誤れば、大変なことになるかもしれませんし、それこそ最悪な未来に辿り着くきっかけになります。あの町の残酷な真実にアソッドが絶望したら、この世界が滅んでしまいますわ。だから、実際にあの町を訪れるとしたら、一緒に真実を受け止めてくれる仲間が必要不可欠になりますわね」
「そうです。思い出の詰まった故郷を訪れても、誰もアソッドのことを覚えていないんです。家族からも自分が娘であることを信じてもらえず、帰る家もない。そんな虚しい想いをするくらいなら、あの町に行かない方がいいです」
ステラがカリンの意見に同意するように首を振った。すると、水色メイド服の少女の意見を聞いたアルカナが首を横に振る。
「それは違うと思うわ。虚しい気持ちになるかは実際に行ってみないと分からないし、故郷の景色を実際に眺めていたら、記憶を取り戻すヒントが掴めるかもしれないでしょ?」
「そう。ステラたちは何か不都合な事実を隠しているように見える。そんな人の言うことを聞く必要はない」
アルカナの意見に同意するアルケミナが顔を上げ、ステラの顔を見た。
「別に隠しているわけではないです。この世界とアソッド・パルキルスを守りたいだけです」
「それはそうと、ステラ。先ほどから立場を忘れていますわよ。私たちエルメラ守護団は中立的な立場なのですから、反対意見を口にする権利はありませんわ」
カリンの忠告を聞き、ステラは黙り込んだ。それからカリンは真剣な表情でアソッドと顔を合わせた。
「アソッド。これだけは覚えてくださいませ。何かを取り戻すためには、何かを犠牲にしなくてはいけませんわ。あなたは全ての記憶を代償にして、チカラを手に入れましたわ。つまり、記憶を取り戻せば、チカラが弱まっていき、世界崩壊を防ぐという本来の役目を果たせなくなりますわ。それを踏まえて考えてくださいませ。決めるのはアソッドですわ」
「……カリンさん。その役目を果たしてからチカラを手放せば、記憶が戻るんですか?」
アソッドからの問いかけを聞いたカリンは首を捻った。
「それはルス本人にしか分かりませんわ」
「そうなんですね……」と悲しそうな表情を浮かべたアソッドは、カリンの右隣にいたリオに頭を下げる。
「リオさん。私はディーブさんの高位錬金術で記憶を取り戻しません。私が全てを思い出した所為で、この世界が滅んでしまったら、胸が痛みます。だから、私が生まれ育った町を記憶を取り戻す最後の旅の目的地にします」
力強い決意の声を聴いたリオの頬が緩む。
「ふわぁ。優しいんですね」
「そうですわね。それがアソッドの答えだというのであれば、エルメラ守護団側の人間として、説得する術はありませんわ」
「あとは、この場にいる人間の中で、問題に介入することを許されたフェジアール機関の五大錬金術師がどう思うかですね?」
リオに続き、カリンとステラが首を縦に振る。それから、ステラは話を聞いていたアルケミナたちに視線を向けた。
すると、今まで黙り込み話を聞いていたブラフマが顎を右手で触れた。
「問題に介入することが許されたというが、わしはお主らと同じじゃ。あの決意が揺るがないのなら、いくら五大錬金術師でも人の意志を打ち砕くことなぞできぬ!」
力強く言い放つブラフマの意見に同意するように、アルカナとティンクも首を縦に振った。
「そうだな。姉ちゃんが決めたことだ。俺たちにとやかく言う権利はねぇ」
「あたしはアソッドに会ってまで五分くらいしか経ってないけど、あの目を見てたら分かるわ。その町でエルメラ守護団が隠したがってる残酷な真実ってのを知っても、後悔しないって」
他の五大錬金術師の言い分と聞いたアルケミナも頷いた。
「私もアソッドの決意を尊重したいが、その前に聞きたいことがある。アソッドが暮らしていた町の住民たちからアソッドに関する記憶を消し去ったという話が本当なら、どこかに術式を使った痕跡が残っているのが普通。では、その術式を解除したら、どうなる?」
アルケミナの疑問の声に対して、ステラが右手を挙げた。
「そうですね。確かに、ルスがあの町、ムクトラッシュの住民たちに術式を施したと報告は受けているです。あの術式を解除した場合、あの町の住民たちは少しずつアソッドのことを思い出すと思うです。一度に膨大な記憶を思い出せば、脳の処理が追い付かず、廃人になってしまうので、あのルスならそうするでしょう。でも、あの町に施した術式の解除方法を知っているのは、ルスしかいないです。あの町のどこかに術式を施した石板を隠したそうですが、それを見つけるだけでも一苦労です」
「なるほど。分かった。それなら私もアソッドと一緒に行く。あの町に施してあるという術式を解除するために」
無表情の幼女の決意を隣で聞いたアルカナが右手を挙げた。
「だったら、アタシも行こうかな? 五大錬金術師同士で協力しあえば何か分かるかもしれないし、石板探しなら人手もいるでしょ?」
「分かった」と答えたアルケミナに続き、ティンクは首を横に振る。
「悪いが、俺は行かねぇ。ルスってヤツをぶっ飛ばすために、体を鍛えたいんだ」
「もちろん、わしも行かぬ。修行が始まったばかりじゃ」
「そういえば、どっかで修行するって言ってたな。俺も付きあってやるぜ」
ブラフマの修行という言葉に食いついたティンクが豪快に笑う。
そんなやり取りを見ていたリオは目を丸くした。
「ふわぁ。意見が男と女で別れました。五大錬金術師女性組があの町に行くっていうことですね? このまま自力で目的地へ赴く時間も惜しいから、リオがあの町まで飛ばします」
「どうやら、アソッドの同行者が決まったようですわね。それはそうと、ステラ、そろそろ解散してもよろしいかしら?」
「話すべきことは全て話したのでいいですよ」
そう認めたステラが同意して、ブラフマと共に部屋から真っ先に出て行った。
一方でカリンは、アソッドに視線を向け、彼女に対して頭を下げる。
「忘れていましたわ。アソッド。あなたから全てを奪い、世界崩壊を防ぐという大きな役目を背負わせてしまったことをエルメラ守護団を代表して謝罪いたします」
深く頭を下げたカリンと顔を合わせたアソッドは両手を左右に振った。
「そんな、謝らないでください。カリンさんは私に何の危害も加えてないんですから」
「アソッド。これだけは覚えてくださいませ。あなたは何も悪くないですわ」
「えっと、急に何を言っているんですか?」
真剣な表情になったカリンに対して、アソッドが困惑の顔つきになる。すると、カリンは数秒間沈黙した。
「……これが私からのメッセージですわ。それでは失礼いたします」
頭を下げたカリンがアソッドたちに背を向ける。その直後、ティンクは彼女を呼び止めた。
「待て。氷の姉ちゃんに聞きたいことがある。どうして、フゥに別れの言葉を伝えなかったんだ? 一緒にシルフを救い出した仲間として住民の前に姿を見せて、フゥに別れの言葉を伝えても良かったんじゃないのか?」
純粋な疑問の声を背後から聞いたカリンは振り返ることなく、答えを口にする。
「怖かったのですわ。あのままあの街の人々の前に同じヘルメス族が現れたら、私のことを糾弾するでしょう。その場にフゥがいたら、彼の心が傷ついてしまう。それが怖かったのですわ」
「そんなことないと思うぞ。フゥは姉ちゃんがスゴイって自慢してたし、ヘルメス族の中にもイイヤツがいるって証明できたかもしれん。だから、もう一度フゥに会ってくれねぇか? それから、まな板の姉ちゃんと一緒にあの街のみんなに対して謝ってほしい。それが俺の本音だ」
「……分かりましたわ」と短く答えたカリンは、背後を振り返り、ティンクに対して微笑んだ。