第80話 陰影の騎士団長
「まさか、こんなに早くボクの前に現れるなんて、想定外だよ。アルケミナ・エリクシナとティンク・トゥラ」
シルフドームの中心で両手を広げたスシンフリが、白いローブを脱ぎ捨てながら、目の前にいる二人の高位錬金術師の元へ一歩を踏み出す。
黒く染まった鎧で身を包んだ姿を晒すのと同時に、スシンフリの両隣に黒騎士たちが一瞬で姿を現した。
「あなたの目的は、カリンから聞いた。約二千万人の人々を犠牲にして、災厄の巨人兵を召喚しようとしている。どんな理由があるのかは知らないが、私はあなたを許さない」
銀髪の幼女の真っすぐな瞳を見たスシンフリは、肩をくすめた。
「まさか、カリンから話を聞いていたとは。あの日、ヘルメス村の大図書館で封印された錬金術書を見つけた時、これを使えって悪魔に囁かれたみたいで、嬉しくなった。これであの子を救うことができる。そのためなら、二千万人以上の人間がどうなっても構わない。それに、これはボクの復讐でもあるのさ。人間は、あの子に全ての責任を押し付けた。だから、多くの人間が分かち合うべきなんだ。あの罪の重さを! あんなに重たい十字架を背負わなくてもいいってことを、あの子に分からせるために、ボクは……」
両手を広げながら、ペラペラと話すスシンフリに対し、アルケミナの右隣にいたティンクが体を震わせた。
「お前は間違っている。お前が言うあの子に何があったのかは知らないが、どうして、そいつと一緒に戦おうとしなかった? それができていたら、この街は平和になっていたんだ!」
ティンクの怒りの発言を耳にしたスシンフリは、悲しそうな表情で首を横に振る。
「残念ながら、ボクはエルメラ守護団の一員なんだ。あの問題に対しては中立的な立場でなければならない。だから、ボクは別の方法を考えたのだよ。一緒に戦えないのなら、あの子が本来背負わされるはずだった罪を、多くの人間に償わせればいいって。そうすれば、あの子の命は助かる。ボクがあの子を助けるんだ! さあ、ボクの目的が分かったところで、もう一度聞こうかな? ティンク・トゥラ。アルケミナ・エリクシナ。ボクのモノになってくれないか? あのヒュペリオンを人為的に召喚できたキミたちなら、災厄の巨人兵を暴走させることなく召喚できるだろう」
「……断る。多くの人間の命を奪う災厄の巨人兵を召喚して、あなたが守りたかった人を助けるって聞いても、私の結論は変わらない。この方法は、あなたが守りたい人に、多くの人間の命と引き換えに生かされているという重たい十字架を背負わせることになるから」
今まで重たく口を閉じていたアルケミナが導き出す答えを聞いたティンクは、彼女の隣で首を縦に振った。
「アルケミナの言う通りだ。多くの命を犠牲にして、誰かを守るなんて、間違っているんだ!」
「残念だ……」
ティンクの熱い声が心に響かなかったスシンフリが自身の左手で額を触る。
その右手には、いつの間にか黒い槌が握られていた。
それが宙に振るわれた瞬間、彼の姿が、アルケミナたちの目の前から消えた。
逃げられたのかとティンクが周囲を見渡す。
「また逃げられたか?」
そう呟きながら、隣を見ると、アルケミナもいなくなっている。
「動くな」というスシンフリの声を前方から聞いたティンクが顔を上げる。
その先では、スシンフリに囚われたアルケミナの姿があった。
握られていた白い槌は地面に落ち、その首元には黒い煙を纏った魔剣を押し当てられている。
スシンフリに片手で体を持ちあげられた彼女は、両手足をバタバタと動かした。
「この剣は、アルカナの洗脳に用いたモノだ。この剣で斬られた者はボクに支配される。さあ、ティンク・トゥラ。キミの未来は、この瞬間に決まった。キミがボクや黒騎士に攻撃したら、アルケミナの体に、ボクの剣の傷が刻まれる。そうなれば、自動的にアルケミナはボクのモノになるだろう。それでも、ボクを拒むのならば、一方的にボクたちの攻撃を受け続けるがいい。気絶したら、ボクたちの術式を強制的に受けてもらう。いずれにしろ、ボクに支配される未来は変わらない!」
不敵な笑みを浮かべるスシンフリをティンクが身を震わせながら、睨みつけた。
「卑怯者。俺の仲間を離せ!」
「ボクはあの子を守るって決めた日から、手段を選ばなくなったんだ。あの子を守るためなら、悪魔に魂を売ってもいい。さあ、ティンク・トゥラ。降参して……」
「贈り物は舞い降りた鳥とディアナの剣が導く太陽の薔薇。王と王妃は月下の元で結婚する……」
その時、アルケミナの声がスシンフリの声を遮った。
瞳を閉じ、念仏のように何かを早口で唱える彼女の声を耳にしたスシンフリの顔は、次第に青くなっていく。
そんな彼が地面を見下ろすと、いつの間にか魔法陣が刻まれていた。
一方で、何がおきているのかとサッパリ分からないティンクは目を白黒させた。
その次の瞬間、スシンフリは、なぜか彼女から手を離し、体を後ろに飛ばした。
「あなたの失敗は、私に同じ曲を何度も聞かせたこと。そして、カリンを仲間にできなかったこと」
アルケミナは、そう呟きながら、後ろを振り返った。
その手には、いつの間にか真っ赤に染まった太刀が握られている。
そして、右耳の穴は、黒いイヤホンのようなモノで塞がれていた。
「アルケミナ。何をしたんだ? なんでスシンフリは、お前をすぐに開放したんだ?」
状況が全く理解できないティンクが首を傾げると、アルケミナは真っすぐな視線をスシンフリに向けた。
「分かりやすく説明すると、カリンにリオの高位錬金術を解除してもらった。カリンからリオの高位錬金術の正体が曲だって聞いた時から、私は曲を構成する音符を解析していた。そこから術式の効果を打ち消す曲を推測して、それを再現したモノが流れる曲が録音された音響機をカリンに生成してもらって、それを私の元に送ってもらった」
「まさか、さっきの早口のヤツは……」
「そう。私が解析した術式をカリンに聞かせた。私がわざと落とした槌に刻まれた魔法陣を通して。それにしても、カリンが仲間で良かった。邪魔されないように、かなり早口で術式を伝えたのに、ちゃんと付いてきてくれたから。その作戦を見抜いたスシンフリは、私に反撃されると思って、すぐに私を開放した」
前方で佇むスシンフリに視線を向けたアルケミナが握った太刀を軽く振る。
そんな銀髪の幼女の姿を、スシンフリが余裕満々な顔つきで見つめた。
「アルケミナ・エリクシナ。流石、ボクが認めた高位錬金術師だ。だが、その程度でリオの高位錬金術を破ったなんて、思わない方がいいだろう」
スシンフリが頬を緩めながら、右手で黒い端末を握る。
その時、彼は異変に気が付いた。手にしていた端末は、急に氷のように冷たくなっている。
右手をよく見ると、なぜか端末が凍り付いていた。
「カリン!!」
顔面蒼白の独裁者は、ドームの中心で叫びながら、凍った端末を地面に叩きつけた。すると、氷を纏った端末が粉々になって壊れていく。
「あなたが、その端末を出して来たら、破壊してってカリンに頼んだ。私の作戦が成功したら、それを使って音量を操作すると予想していたが、まさか、本当に出してくるとは思わなかった。おかげで、私の頭から、リオの曲を消し去ることができた。もう、このイヤホンは必要ない」
冷静な態度で解説した銀髪の幼女が、自分の耳に取り付けたイヤホンを外す。
それに対し、スシンフリは両手を叩いた。
「素晴らしい。あのまま、端末を握っていたら、ボクの右腕も凍っていただろう。これで完全にリオの高位錬金術は使えなくなったが、まだ負けるわけにはいかない。アルケミナ・エリクシナ。この暗黒刀傀儡でキミを斬ることができれば、まだ駒を増やせる。そして、ボクはあの子を助けるんだ!」
スシンフリが狂気に満ちた暗い瞳をアルケミナに向けながら、左手で握っていた黒い太刀を握る。それに合わせて、アルケミナも真っ赤に染まった太刀を握った。
握られた紅の太刀が左右に振られた瞬間、スシンフリの両隣を固めていた黒騎士がバタバタと倒れていく。
うつ伏せに倒れた仲間を瞳に映したスシンフリが腕を組む。
「アルケミナ・エリクシナ。キミのチカラは素晴らしい。まさか、あの一瞬でボクの部下が倒されるとは思わなかった。もっとキミが欲しくなったよ」
そんなスシンフリの声を聞き流したアルケミナが駆け出す。
迫りくる銀髪の幼女を視認したスシンフリの剣から、黒色の気体が放出される。
それは、一瞬でスシンフリの左腕を飲み込んでいく。
そのまま、太刀を上下に振って発生した黒い気体が纏わりついた斬撃を前へ飛ばす。
相対する銀髪の幼女は、それを左手だけで持ち上げていた赤の太刀で受け流しながら、手の人差し指を立て、宙に魔法陣を記す。
すると、突如として水の柱が、アルケミナの足元に出現し、彼女の小さな体を、数百メートル上空へと飛ばした。
打ち上げられたアルケミナは、地上にいるスシンフリの姿を見下ろした。
そうして、小さな体を半回転させながら、彼がいる地上を目指し、剣を振り上げながら、落ちていく。
「そんな小さな体で、そこまで体を高く飛ばすとは。もっとキミがほしくなった」
上空から落ちてくるアルケミナの姿を瞳に捉えながら、呟くスシンフリは、左腕を斜めに伸ばし、剣の先を彼女に向けた。
半円を描くように動いた彼の剣とアルケミナの剣がぶつかり合う。
衝撃が伝わった地面は、小刻みに震える。
それと同じく、スシンフリの体を震わせた。
相対する五大錬金術師の真っすぐな瞳と剣からは、自分とは違う正義感が伝わってくる。
そのまま体を後進させようとしたスシンフリの姿を瞳に映したアルケミナが、自らの太刀を、縦に振り下ろした。
防ぐことすらできないまま、スシンフリの体が倒れていく。
黒い太刀は使い手から離れ、上空を舞い、ドームの地面に突き刺さった。