第75話 告白
いつの間にかティンクの腕に抱えられていたフゥが、目をパチクリとさせた。
「気が付いたみたいだな」と小声で語り掛ける巨漢に対して、フゥは首を左右に振った。
人が一人だけ通ることができるほどの広さの路地裏の中、フゥが尋ねる。
「ここは?」
「詳しい説明は後だ。兎に角、お前はコレを食べろ。この中に食料がある。お腹の音で居場所を突き止められたら、困るからな」
そう言いながら、フゥを地面に降ろしたティンクは、茶色い槌を彼に渡した。
「ありがとう」と頭を下げたフゥが槌を叩くと、茶色い小さなかごが地面の上に現れた。
その中に入っていた丸いパンを手に取ったフゥは、それを食いちぎった。
ティンクは、美味しそうに頬張るフゥから近くで頭を抱えているアルケミナに視線を映す。
「大丈夫じゃなさそうだな?」
そう語り掛けられたアルケミナは、ティンクと顔を合わせて、頷いてみせた。
「同じ曲が頭の中でグルグル回っているような感覚がある。リオの高位錬金術の効果は、自身と肉体を共有しているスシンフリが近くにいなくても持続するらしい」
それから、彼女は右手の人差し指を前に伸ばし、宙で魔法陣を記す。
「やっぱり、何も起きない。あの曲を強制的に聞かせることで、相手の力を奪う高位錬金術。それが私の見解」
「だったら、おかしくないか? アイツが持ってる端末を操作したら、仲間の黒騎士は強くなったんだ」
「あの端末で対象ごとに曲を設定しているとしたら、納得できる。あの黒騎士は、自身の身体能力を強化するような効果の曲を聞いたから、強くなった」
仲間の考察に対し、ティンクは納得の表情を見せた。
「それで、これからどうするんだ? あのまな板の姉ちゃんの高位錬金術を解除しないと、まともに戦えないんだろう?」
「だから、ティンクに確認をしてほしい。リオが術式を私の体に施したとしたら、頭を撫でられた時以外考えられない。私の頭を見たら、術式の解除方法が分かるかもしれない」
「まな板の姉ちゃん、どうせなら胸触れよ」
ティンクがブツブツと呟きながら、アルケミナの頭をジロジロと観察する。
「ヘンタイ。何か分かった?」
仲間の独り言に反応したアルケミナが尋ねながら、顔を上げると、ティンクは眉を潜めた。
「いや、特に変わったところはなさそうだ。なにか頭に取り付けられているんだったら、それを取り除けばよかったのだが……」
「指向性音響装置。肉眼では見えないほど超小型なそれを、あの時に取り付けられたのかもしれない」
ティンクが言い切るよりも先に、新たな考察を導き出したアルケミナを対して、ティンクは首を傾げた。
「なんだ、それ?」
「指向性音響装置。これを使えば、特定の相手に限定して音を届けることができる。スシンフリは、あの端末で体に取り付けられた指向性音響装置を操作しているだけだと思う」
「その仮説が正しいとしたら、スシンフリが持っているあの端末を、奪えばいいってことか?」
「他にも、端末を破壊するという方法も考えられるが、いずれにしろ、またスシンフリの前に姿を現さないといけない。リオの高位錬金術の効果範囲が不明な以上、最悪な場合、二千万人を相手に戦いを挑まなければならなくなる可能性も……」
最悪な可能性がアルケミナの頭を過る。すると、次の瞬間、彼女の体は無意識に痙攣した。
急に冷たくなった空気を肌で感じ取った彼女はフゥやティンクの体を観察する。彼らも同じように体を震わせているのを認識すると、ティンクが白い息を吐いた。
「なんだ? 異常気象か?」
ティンクが疑問に思いながら首を傾げると、アルケミナは瞳を閉じて、首を横に振った。
「違う。この感覚は余波。錬金術を使った時に波紋のように広がった効果が、ここまで及んでいる」
そうして、後方から気配を感じ取ったアルケミナは、後ろを振り返った。その先では、いつの間にか通路を塞ぐように黒騎士が一人立っていた。
同じように追手を認識したティンクは、咄嗟にアルケミナとフゥの手を握る。
「見つかったか。逃げるぞ」
そう二人にティンクが呼びかけると、アルケミナは彼の大きな手を振りほどいた。
「待って。様子がおかしい」
後方を塞ぐ黒騎士が一歩も動かないことを不審に思ったアルケミナは、ジッと黒騎士の姿を瞳に映した。
すると、目の前で黒騎士がうつ伏せに倒れていった。
その後ろには長身で耳を尖らせた女性が立っている。
「これで三人目ですわ」
白いローブで身を包み、水色の淵の眼鏡を着用した白髪の女性錬金術師が、うつ伏せに倒れた黒騎士に視線を送る。その背中には、白い文字でⅥと記されていた。
そして、彼女は物陰に潜んでいる気配を察したかのように、ゆっくりと足を動かす。
「あの騒動の後、雲隠れした人たちだから、どこかに隠れているんだろうって思ったけど、まさか本当に隠れているとは思いませんでしたわ」
腰の長さまで伸ばされたキレイな白髪と大きな胸にティンクが見惚れていると、アルケミナは彼の腕を強く引っ張った。
「ティンク、気を付けて。その人はヘルメス族だと思う。もしも、その人がスシンフリの仲間だったら……」
「大丈夫だ。こんなクールビューティーなお姉ちゃんが、あんな悪いヤツの仲間なわけないだろう!」
「それで騙されたから、こんな状況になったことを忘れたの?」
痛いところを突かれた、ティンクはギクっとした。そんなやり取りを気にしない白髪のヘルメス族女性は、両手を合わせた。
「私はエルメラ守護団序列十位のカリン・テインですわ。この街にいるフェジアール機関の五大錬金術師の捜索も依頼されたのだけれども、別件調査中に遭遇するなんて、私は幸運ですわね。ところで、先程から気になっているのですが、アルカナ・クレナーはどこかしら? そこにいる銀髪の女の子が、アルケミナ・エリクシナであることは分かるのですが……」
周囲を見渡す度にカリンの胸が揺れていく。それに鼻の下を伸ばしたティンクは、鼻から血を垂らした。
「アルカナは、スシンフリに洗脳された。今はスシンフリと行動を共にしているぜ」
正直に答えながら、指で鼻血を拭き取ったティンクの腕をアルケミナが引っ張る。
「ヘンタイ、少しは警戒して」
「とはいっても、あの姉ちゃんの胸、昔のお前と同じくらいじゃないか?」
「そうですのよ。公式プロフィールを閲覧したら、アルケミナ・エリクシナと同じ胸のサイズだってことが判明して、驚きましたわ。あら、初対面で胸のサイズの話なんて、はしたないって、怒られてしまいますわ」
ティンクたちの会話に乗っかったカリンに、ティンクは目を点にした。
それから、アルケミナは、ジッとカリンの顔を真剣な表情で見つめた。
「別件調査と私たちを追っていた黒騎士を倒したのは関係あるのか? 答えてほしい。もしも、私たちに近づくために、わざと仲間を傷つけたんだとしたら、絶対に許さない」
「なぜか警戒されているみたいだけれども、私はあなたたちと戦うつもりはありませんわ。私は仲間を大切にします。ところで、先程から気になっているのですが、あなたたちと行動を共にしている、その男の子は誰かしら?」
腰を落とし、小さなアルケミナに優しく接したカリンは、体を震わせているフゥを視線に向ける。
「ああ、現地で暮らしていた男の子で……」
ティンクの答えを耳にした瞬間、カリンはフゥに対して頭を下げた。
「ごめんなさい。私がもっとしっかりしていたら、スシンフリはシルフを占拠しなかったんですわ。私は彼を止められなかった責任を果たすために、ここに来たのですわ」
「カリン、あなたはスシンフリの仲間だったの?」
疑問を口にする銀髪の幼女に対し、カリンは首を横に振る。
「誤解を与えてしまいましたわね。私はスシンフリの計画に加担していませんわ。仲間と言ったのは、エルメラ守護団の仲間と言う意味ですのよ。スシンフリ。便宜上、彼と表現しますが、彼は陰影の騎士団長という二つ名を持つ、エルメラ守護団序列九位の高位錬金術師でしたわ。ところが、一年前のあの集会から彼は変わってしまいましたの。あの日から、スシンフリは大都市を占拠して、住民たちを自分のモノにするため、密に部下や助手たちに声をかけて、準備を開始しました。私もリオから計画に参加しないかと依頼されましたが、すぐに断りましたわ」
「スシンフリがシルフを占拠した理由が、その集会が関係しているのならば、その
内容を教えてほしい」
そうアルケミナが尋ねると、カリンは、チラリとフゥの顔を見下ろした。
「残念ながら、この場ではお話できませんわ。部外者に集会の内容を話してしまえば、最悪な未来が訪れてしまうかもしれません。この場に無関係な男の子がいなければ、お話できたのですが……」
「お前、今までの生活を奪われた人を部外者って表現するのか?」
ティンクが憤りを瞳に宿し、一歩を踏み出す。その一方で、カリンは冷静な表情で首を横に振る。
「ないがしろにするつもりはありませんが、そういうルールですので、ご了承くださいませ。その代わり、これだけならお伝えできます。スシンフリ、あの人は、この街に住んでいる約二千万人の人々を生贄にして、災厄の巨人兵を召喚しようとしています」
「災厄の巨人兵?」とピンとこない表情になったティンクが呟く。
「災厄の巨人兵。その昔、アルケアを滅ぼすため錬金術師が開発した最低最悪な巨大兵器のこと。伝承では、ヘルメス・エメラルドが開発者の錬金術師を倒し、錬金術書を封印したと言われている。もしも、そんなモノが召喚されたら、生贄になった二千万人だけじゃなくて、数億人規模の死傷者が出ると思う」
アルケミナの解説を聞いていたカリンは、首を縦に振った。
「そうですわ。このままでは、何の罪もない多くの人々の命が奪われてしまうでしょう」
「カリンはスシンフリの計画を知っていたのに、止めなかった?」
アルケミナに尋ねられたカリンは悲しそうな表情で頷いてみせた。
「その通りです。私はどこかの街が占拠されると知っていながら、リオを説得することすらできませんでしたわ。私がもっとしっかりしていたら、こんなことには……」
「ふざけるな! どうして今になって、助けに来たんだよ! この街がアイツらに乗っ取られる前に来てくれたら……」
怒りで目を充血させたフゥが、目の前で座り込むカリンのお腹を何度も殴った。
それでもカリンは一歩も動かず、頭を下げ続ける。
「許してほしいとは思いませんわ。どの街が狙われるのか分からなかったから、対応が遅れてしまったのです。シルフに到着するのが、もう少し早ければ、こんなことにはならなかったと後悔しています。だから、私は、罪を償うために、スシンフリを止めます」
現地で暮らしていた男の子に対する謝罪の言葉を近くで聞いていたティンクは、彼女の頭に優しく触れた。
「姉ちゃんは悪いヤツじゃないってことが分かった。そうやって仲間のために謝れるのは、スゴイことだと思うぞ」
ティンクの優しい言葉を聞いた瞬間、カリンはその場で泣き崩れた。