第51話 裏切りの森
森の中を黒いローブを着た六人組が走っている。木の枝や落ち葉を踏みながら急ぐ集団の中で、七三分けにした前髪が特徴的な男、ラプラス・ヘアが右腕を振り下ろす。
その動作を見た彼の周囲にいる五人の錬金術師たちは立ち止まった。
「確か、この辺りだと思うのですが……」
そう呟いた突然変異の権威として有名な博士が周囲を見渡す。その手には地図が握られていた。だが、目的地であるこの場所には、誰もいない。
木の葉が風に揺られ、宙を舞う木々の間にラプラスの仲間たちが座り込む。
すると、茂みの中から、ウサギの耳を揺らした獣人の女が顔を出した。
「ラプラスさん。あたしのこと覚えてる?」
待ち人は、長い耳と大きな胸を揺らし、ラプラスの元へと歩み寄ってくる。
「確か、メランコリアでしたね? いつものようにルスが来ると思っていましたが……」
尋ねられたメランコリアは首を縦に動かし、指を鳴らした。
「覚えていてくれて、嬉しいよ。それにしても、貧弱そうな御付きの人たちね。それがラプラスの選別した絶対的能力者なの? だったら、大したレベルの能力者は集まらなかったのね。ザコしか集まってないじゃないの」
そう言いながら、メランコリアはチラリと木の近くで休んでいた五人を見た。
直後、五人の中で一番大柄な男がメランコリアを睨み付ける。
「何だと! お前、言っていいことと悪いことの区別もつかねぇのかよ!」
五人の内一番の巨漢が叫び、拳を強く握りしめる。その動きを認識したメランコリアは頬を緩めた。
「どうしたの? 筋肉バカ。あたしを一発殴りたいんでしょ?」
「うるさい!」と筋肉を鍛え上げた大男は獣人の女に怒りをぶつける。だが、その体は動くことはなかった。
「これで、トールに褒めてもらえる。冥土の土産に説明しとくと、今あたしの発言に激怒している人は、一歩も動けないから。どんな絶対的能力を持っていようが関係ない。この場にいる奴ら、全員あたしのおもちゃにしてあげる」
メランコリアは楽しそうにスキップしながら、巨漢に近づく。
「さっきの威厳はどうしたの? 筋肉バカ。 こんなに近くまで来てあげたのに、一発も殴れないなんて、大したことないんだね♪」
巨乳の女が、動くことすらできない巨漢の腹をサンドバッグに見立てて、連続で殴っていく。防ぐことすらできず、全ての打撃を巨漢は全身で受け止めていった。
「普通に戦ったら、勝てる相手にボコボコにされる気分はどう?」
「ぐわぁ」
女とは思えない重たい打撃を受け、巨漢は思わず叫んだ。
やがて、大男の膝は地面に落ちていく。それを見たメランコリアは大男に背を向け、両手を一回叩く。
「あっ、ラプラスの仲間の皆さんにチャンスをあげようかな? こんな筋肉バカと同じ目に遭いたくなかったら、持ってる全ての槌をここに置いていってね。見逃してあげる。とりあえず、気分を落ち着かせたら、動けるようになるからさ。すぐにここから逃げるといい。あっ、要求に従ったと見せかけて、不意打ちを食らわせようとしたら、容赦しないから!」
恐怖に支配されたラプラスの仲間たちは、一斉に右手の薬指を立て、所持している全ての槌をその場に捨てていく。それを見たメランコリアは嬉しそうに両手を叩いた。
「みんな、いいね。ホントは強制的に槌を引き出させる槌持ってるんだけど、アレ使うと疲れちゃうから、素直に要求を受け入れてくれて嬉しいよ」
「何が目的ですか? 話が違うじゃないですか?」
ラプラスからの問いを聞き、メランコリアは顔を合わせることなく、鼻で笑った。
「ああ、これはトールからの命令。もうラプラスは必要ないから、ここで始末しろだってさ。それにしても、バカね。こんな罠に落ちるなんて。仲間はみんな、所持してた全ての槌を手放して、逃げていったよ。じゃあ、突然変異の権威さんに質問です。仲間に見捨てられた気分はどう?」
前方に見える大量の槌を指差したメランコリアが首を傾げる。
「いつかはこうなると予測していましたよ」
冷静なラプラスの答えに対して、メランコリアは首を捻った。
「ふーん、そうなんだ。手紙の内容はこうだっけ? ルスがあなたの部下から受け取った槌の改良版を渡したい。因みに、あの槌を改良したって話は事実ね。コイツはルスが改良した、あなたの部下から受け取った槌」
そう言いながら、メランコリアは迷彩色の槌を見せた。それを地面に叩き、召喚されたのは、迷彩色の戦車をモチーフにしたナックル。
それを右手に装着したメランコリアはジッと観察を始める。皮手袋のように右手を覆うそれは、思いのほか重い。手の甲には戦車に取り付けられていそうな長い砲台。
「さあ、実験を始めようかしら」
そう呟き、ニヤニヤと笑い始めたメランコリアは、ラプラスの目の前に立ち、手の甲に沿い伸びている砲台を彼に向けた。
そして、砲台から出た緑色のヌメヌメした液体を浴びせる。特に何も説明を受けていないメランコリア本人も、それを見て驚きを隠せなかった。
それから数秒後、数十匹の赤色の羽と足を六本生やした数センチ程の大きさの蜂のような虫の大群が、ラプラスの体の上に降り立つ。虫の大群がラプラスの体に纏わりつき、一斉に尻の小さな針で彼の肌を突き刺す。
想像しがたい痛みに、ラプラスは思わず悲鳴を挙げた。
その様子を近くで見たメランコリアは、開発者の腹黒さを笑いながら、左手で顎に触れた。
「なるほど。あの虫はオコリバチ。刺されたら数時間怒りという感情をコントロールできなくなるって奴。多分、あの液体にはオコリバチが反応するフォロモンが含まれていたってことかな? この蜂に刺されてしまえば、怒りを鎮めることすらできなくなる。つまり、あたしの能力と組み合わせたら、相手を一方的にボコボコにできるっていう寸法かぁ。あたしにピッタリじゃん!」
ラプラスは悔しそうに唇を噛む。今の自分にはどうすることもできない。ただ、メランコリアのサンドバッグになるしかなかった。
連続して飛んでくる拳の反動で、ラプラスの体は前後左右に揺れていく。
密集した木々の間をクルスたちが歩みを進める。その一方で先頭を行くアルケミナは唐突に立ち止まった。
「先生?」と同じように歩みを止めるクルスが膝を曲げ、小さな五大錬金術師の顔を覗き込む。
「悲鳴が聞こえる」
その一言を聞き、クルスとアソッドは耳を澄ませた。静かな森の中で悲鳴と轟音が響く。
「先生。もしかして……」
「ニュースでやっていた盗賊が出たのかもしれない」
互いの顔を見合わせた五大錬金術師と助手は、声が聞こえてきた西の方へと体を向けた。
「クルス。アソッド。盗賊を倒しに行く」
「はい」と答えるクルスの右隣でアソッドは目を丸くした。
「ちょっと待ってください。アルケミナさん。なんで自分から危険なところに行くんですか?」
「絶対的能力を悪用しているかもしれないから。あのシステムの開発者として、悪事は見過ごすことはできない。それに、こっちの方向にはブラフマの獲物になりそうな怪物も生息している」
無表情のまま声が聞こえてきた方向を指差すアルケミナと顔を合わせたアソッドはハッとした。
その瞳には正義感が宿っている。そうして、アソッドが顔を上げると、同じ目をしたクルスの顔が飛び込んできた。
彼女たちがやろうとしていることは間違っていない。
そう思えたアソッドは首を縦に動かした。
「分かりました。私も行きます」
彼女たちと同じ正義感を胸に宿した記憶喪失少女は前を向いた。
そして、三人の女たちは悲鳴の響く森の中へと足を踏み入れ、道なき道を駆けだした。