第49話 最近のサメは地上にも現れるんですね?
どこまでも続きそうな森の中で、ウサギの長い耳を頭に生やした巨乳の女、メランコリアは退屈そうに欠伸をした。
その傍らには、白髪のショートボブで尖った耳が特徴的な、四歳くらいの年齢の小さな女の子、ルス・グースもいる。
「ルス。本当に退屈。あれから一週間よ。まだ決着が付かないのかしら?」
そうメランコリアが尋ねている間にも、森の奥地から激しい轟音が鳴り続けている。その音は激闘が始まってから今まで鳴り止んだことがなかった。
ルスは暇を持て余す仲間の顔をジッと見つめ、笑顔で答えた。その瞳は青く輝いている。
「大丈夫なのです。嵐は三時間後には通り過ぎるのです。そうなったら、ここから撤退できるのです」
「ルス。その目……」
何かを言いかけた仲間に対して、ルスは右手の人差し指を立てて、その指を唇に触れさせた。
「何を言いたいのかは大体分かるのです。あなたは、聖なる三角錐発足当時のメンバーの一人なのですから。あの件に関しては、今は心配ご無用としかコメントできないのです」
「あんまり驚かさないでよ。そんなことより、何とかならないの?」
「何のことなのです?」
とぼけるルスにメランコリアは呆れ顔になる。
「ルスが森に仕掛けた罠よ。あれの所為で、誰もここに来ないの。遊び相手も強力過ぎな罠の所為でやってこないし、暇すぎて死にそう。罠を仕掛ける前にやってきた錬金術師たちは逃がしちゃったし」
「ああ、あれのことなのですね。負担軽減のため放し飼いにしている五匹の子たち。実験通りの性能のようでうれしいのです。因みに、現在はあの子たちを産みだした魔法陣を応用して、別の怪物も開発しようとしているのです。コウモリとコブラ」
目を輝かせて嬉しそうに研究経過を報告するルスの頭をメランコリアが撫でる。
「マジメな錬金術研究、ご苦労様」
褒められたにも関わらず、ルスは頬を膨らませた。
「ラスに撫でてほしかったのです」
小さな女の子が純粋な言葉を呟く。そして、何かを思い出したルスは、トントンと巨乳女の太ももを叩いた。
「すっかりトールからの指示を忘れていたのです。一週間前に渡したアレの試験を兼ねて……」
ボスからの指令を聞き、メランコリアは気を引き締めた。
「それでは、戦いが終わった直後を狙って、迎えに行くのです」
そう伝えたルスは、一瞬でメランコリアの前から消えた。
木漏れ日が照らす木々の間を三人の女たちが通り過ぎていく。先頭を歩くのは、白衣を身に纏う銀髪の幼女。その後ろを歩く黒髪ロングの巨乳少女は、右隣を歩く黒髪
短髪の少女に視線を向けながら、右手を前に伸ばした。
「待ってください。先生。そろそろ本当のことを話してもいいんじゃないですか?」
そんな助手の声を聴き、立ち止まった幼女は切れ長な青い瞳を大きな胸の少女に向ける。
「本当のこと?」
無表情のまま首を傾げたアルケミナの前で、クルスは膝を曲げ、小さくなった五大錬金術師と視線を合わせる。
「アソッドさんに正体を明かすんです。幸い、近くには誰もいないようですし……」
周囲を見渡した助手と顔を合わせたアルケミナ・エリクシナは無表情のままで首を縦に動かす。
丁そうして、彼女は視線をクルスの右隣にいる少女に向けた。
「私の本当の名前はアルケミナ・エリクシナ」
「そうだったんですね」
特に驚く表情すら見せないアソッドに対して、クルスは目を点にする。
「驚かないんですか?」
「騙そうとしているわけじゃないってことは、その目を見たら一目瞭然……」
そう言いかけたアソッドが唐突に眉をしかめた。それと同時に、アルケミナは視線を右に見えた茂みに向ける。
「この匂い……」と呟いた無表情の幼女が茂みに飛び込む。その後ろ姿をクルスとアソッドも追いかけた。
その先にあったのは、一本の枯れ木。その前で周囲を見渡すアルケミナの元へ二人の少女が歩み寄る。
「先生……」と呼びかける助手の視界には、赤く染まった布が飛び込む。それは根本にいくつも落ちている。
アルケミナは腰を落とし、それを一枚拾い上げた。同様に興味を示したアソッドも地面に落ちているそれを拾おうとした。
その動きを察知したアルケミナは、彼女に静かに呼びかける。
「アソッド。触らない方がいい。この布には人間の血液が染み込んでいる」
「キャァァ!」
悲鳴と共に、女の手からソレがヒラヒラと土の上に落ちていく。
「先生。なんでこんなところにそんなものが……」
「正確なことは分からないが、ここで何かが起きた可能性が高い。それと、この場を観察すると、戦闘用の術式が施された形跡もあり、地面には槌も落ちている」
真剣な表情で現状を見つめる五大錬金術師の隣で、クルスも視線を根本に向けた。そこには、アルケミナの言う通り、無数の槌が落ちている。
「何か大変なことが起きていたことは分かりますが、一体何が……」
困惑の表情を巨乳少女が浮かべると、地面が小刻みに震えた。
「今度は地震ですか?」
咄嗟に体を低くしたクルスが近くにいるアルケミナに問いかける。だが、震える衝撃を受けたアルケミナは首を横に振る。
「違う。この揺れ方は地震ではない」
そう小さな五大錬金術師が結論付けたその時、地面に亀裂が生じた。その真上にはアソッドが立っていて、その足元から何かが飛び出る。
「なっ」と声を漏らしたクルスは顔を真上に向け、目を大きく見開いた。
地面から飛び出し、獲物を鋭い牙で喰らい付こうとしていたのは、頭に空のフラスコを乗せた大きなホウジロサメ。
いつの間にか、地面の揺れも収まっていき、数メートル程度の大きさのサメは血で染まった牙を光らせる。
「危ない!」
叫びながら、クルスがアソッドの元へ駆けた。足が竦み動けない女を鋭い牙が襲うよりも早く、クルスはアソッドを突き飛ばす。
そうして、巨大サメの真下に立つと、右手をサメに向けて伸ばす。だが、巨大サメは打撃を与えられるよりも先に、灰色の尻尾を真下に動かし、宙を飛ぶ。
それでも、クルスはジッと宙を泳ぐサメから視線を逸らさなかった。
一方で、突然現れた巨大サメをジッと見ていたアルケミナは、異変に気が付き、ハッとした。空だったサメの頭の上のフラスコには、いつの間にか赤い液体が満たされ、沸騰を始める。
血のような匂いと深紅の煙が漂う中で、クルスは地面を蹴り上げた。
胸を揺らしながら、数メートル飛びあがり、サメの体に触れるように右手を前に伸ばす。だが、その直後、クルスの鼻から煙が吸い込まれていく。
それを吸い込んだ瞬間、巨乳少女の全身に痺れが走った。さらに、深紅の煙はクルスの体に纏わりついていく。
その内、体も動かなくなり、行動不能になった体は地面に叩きつけられてしまう。
「くっ。うううぅ。はぁ、はぁ。ゴホッ」
胸を押さえながら、咳き込んだ巨乳女性の背筋は凍り付いた。顔を上げると、空中で跳ね、牙を光らせサメの姿が飛び込んでくる。
目を見開くことはできるが、その体は思うように動かすことはできない。
強引にも立ち上がろうとする人間を嘲笑うように、サメは獲物に向け、大きく口を開け飛び落ちた。
丁度その時、クルス・ホームの長い後ろ髪が風で揺れた。辺りを漂う深紅の煙が上空へ吹き飛ばされていく。
同時に、クルス・ホームの瞳は、宙に浮かび上がる魔法陣を映し出す。
一瞬で記されたそれから水の柱が伸び、巨大サメを空中へと押し上げていく。
「間に合った」と呟くアルケミナ・エリクシナは、柱から弾けた水を浴びながら、青空を見上げた。やがて、その姿はアルケミナたちの視界から消えていった。
彼女は、ゆっくりとずぶ濡れになり、うつ伏せに倒れた助手の元へ歩みを進める。
「大丈夫?」
「ぐっ。うううぅ」
うつ伏せのまま苦しそうに身を捩る助手を見下ろしたアルケミナは、腰を落とし、クルスの右手を優しく持ち上げた。
「応急処置として、薬草を使う」と呟いた銀髪の幼女は右手の薬指を立てた。
そうして、緑色の細い葉っぱを召喚すると、それを助手の右掌の上で搾る。
緑色の液体がポタポタとアルケミナの助手の肌に垂れた。同時にクルスの痺れは和らいでいき、数十秒ほどで五大錬金術師の助手は体を起こす。
「先生、酷くないですか? あのサメを飛ばすために、温浸水柱の槌を使ったんでしょうけど、あの間合いだと僕も被害を受けます。おかげでずぶ濡れです! くしゅん」
体が冷えてしまったクルスが身を小刻みに震わせる。その姿をアルケミナはジッと覗き込んだ。
「服が濡れたら乾かせばいいだけの話。あの場合は、ああやってサメを飛ばすしか方法はなかった。そんなことより、既存の痺れに関する対処法が通用して良かった」
改めて助手の体を観察したアルケミナが呟く。
「はい。ありがとうございます。ところで、先生は大丈夫ですか?」
「私は大丈夫。あの煙を吸い込むよりも先に、術式で上空に吹き飛ばしたから」
「そうだったんですね。あっ、ところで、アソッドさんは?」
「私はここです」
その声はクルス・ホームの近くから聞こえてくる。
クルスはアルケミナと共に視線を左に向けた。その先にはアソッド・パルキルスが立っていた。一瞬の内に色々なことがあったからなのか、彼女は目を点にしている。
「最近のサメは地上にも現れるんですね?」
疑問を口にしたアソッドに対し、アルケミナは首を横に振ってみせた。
「さっき現れたのは、この森に生息していない存在。高位錬金術師が生み出した合成獣ってところだと思う。血のような液体を蒸発させることで、相手を行動不能にする地上を泳ぐサメ。蒸血土鮫の槌」
アルケミナの薬草の効果で動けるようになったクルスが、その場に立ち上がり、アルケミナに尋ねる。
「どうしてそんな合成獣を放し飼いにしてあるのでしょうか?」
「それは分からない。でも、錬金術で生成されているのなら、クルスの絶対的能力を使えば、今後同じようなことがあったとしても対処可能」
だが、クルスは不安顔のまま弱音を吐く。
「でも、あの赤い煙を浴びてしまえば、さっきみたいに動けなくなってしまいます。理屈は分かりますが、そう簡単に上手くいくとは思えません」
あの煙を何とかしなければ、アルケミナやアソッドを守ることができない。クルスは焦り始めた。地面の下で新たな脅威が動いているとも知らず。