第178話 EMETHシステムを解除せよ!
突然のEMETHシステム解除発表が人々を驚かせた一時間前。アゼルパイン城の王室の中で、アルケミナ・エリクシナは、首を傾げた白髪のヘルメス族幼女に目線を合わせるため、両膝を曲げた。
「ルス・グース。私たちと一緒にEMETHシステムを解除してほしい」
無表情のアルケミナの口から飛び出した願いを、近くで聴いていたクルスは、戸惑いの表情を浮かべた。
「えっと、先生。何を言っているんですか?」
「クルス。これが最適解。神の使いでもある聖人、ルス・グースが仲間に加われば、ヒュペリオンが大地に刻んだ生成陣が残されたあの神殿への侵入が容易になる」
「なるほどなのです。あの忌まわしいシステムを解除するというのなら、協力を拒む理由が見つからないのです。なんとなくは分かるのですが、詳しい作戦が聞きたいのです」
アルケミナの話に興味を示したルスが首を縦に動かす。
「あの神殿に刻まれたEMETHシステムの術式の生成陣を、クルスの能力で打ち消す」
「なるほど。あの神殿について調べたようなのですね。選ばれし者と同伴者のみしか入れない秘密の入口は、確かに存在するのです。そこから入れば、最小限の戦いをするだけで、問題の座標に近づくことができるのですが、神殿に足を踏み入れることができる人数が限られてしまうのです。そこで問題になるのは、私の同伴者の選出なのです」
腕を組んだルスに対して、クルスが首を傾げた。
「ルスさんの同伴者ですか? それは作戦の要の僕しかいないのでは?」とアルケミナの助手が尋ねると、ルスが右手の指を四本立てる。
「私の同伴者は一人だけ。創造の槌の使い手、アルケミナ・エリクシナと聖人の私が、あの神殿の秘密の入口から入れば、最大四人で解除作戦に挑むことができるのです。当然のように、クルス・ホームを三人目の仲間として選出されるのですが、この場合、一枠余ってしまうのです」
立てた指を三本折り畳み、右手の人差し指だけを立てたルスが困った顔を見せる。
「ちょっと待って。もしかして、私? 確かにあのシステムの不具合の原因は私かもだけど、あまり危ないことはしたくない、だけど、原因が私にあるんだったら、ここで私が頑張らんないと後悔する。ああ、どうしたらいいの?」
慌てた表情のアルカナ・クレナーが頭を抱えながら、クルスの右隣に並ぶ。それから、顔を上げ、ジッとアルカナの顔を見つめていたルス・グースが、あっさりと首を左右に振る。
「確かに、アルカナの能力は防御面において優秀なのですが、出会ってばかりの人を同伴者として認めるわけにはいかないのです」
「よかった……じゃないわ。なんか悔しいかも」とアルカナが胸を撫でおろす隣で、クルスは目を点にした。
「アルカナさん?」
「だって、そういうことでしょ? 不具合の原因を作った人が、システムが解除されるのを見てるだけって、おかしくない? 私だって、なにかしたい!」
悔しそうな表情を見せたアルカナを、無表情のアルケミナが見つめる。
「アルカナ。大丈夫。今後のシステムの運用方法の検討やマスコミ対応。他にもやらなければならないことはたくさんある」
「そうね。じゃあ、システム解除はアルケミナたちに任せるとして、私は私にしかできないことをやっちゃうわ♪」
納得したアルカナが腕を組む。一方で、アルケミナは小さな子どもの姿のルスに視線を向け、問いかけた。
「ルス。心当たりは……」
アルケミナの問いかけに対し、ルスが腕を組む。
「そうなのですね。私が頼めば、エルメラ守護団のみんななら了承してくれるのですが、相手はヒュペリオンの守護神獣。あの神殿の主にケンカを売るわけにはいかないのです。ここは……」
そう聖人が口にしたその時、王室の扉が開き、テルアカ・ノートンとマリアが並んで顔を出す。その姿を目にしたルスが表情を明るくして、彼の背後に体を飛ばす。
「テルアカしかいないのです」
スーツ姿の男性の右腰に、ルスが手を触れる。その一方で、テルアカの隣にいたマリアが慌てて両手を振った。
「ちょっと、ルス。何のこと?」
「テルアカをEMETHシステム解除作戦のメンバーとして選んだのです」
「だったら、私も……」
テルアカの左腕に抱き着いたマリアに向け、ルスが首を横に振る。
「人数制限のため、それはできない相談なのです」
「ええっ」
頬を膨らませるマリアの頭をテルアカが撫でる。
「約束通り、全てが終わったら、帰ってきますから」
「絶対だからね!」
マリアの頭頂部のアホ毛が跳ねると、テルアカはゆっくりとアルケミナたちの元へ歩み寄った。そこに遅れて新たな影が扉から姿を現す。
振り向き、ブラフマの姿を認識したテルアカが、顔を前に向け、礼儀正しく頭を下げる。
「姿が見えないティンクには、後で謝るとして、まずは、一言。ごめんなさい。あのシステムの開発者でありながら、EMETHシステムの不具合の修正方法を考えることなく、今日まで姿を現さなかったことは、恥じるべきことだと自覚して……」
「テルアカ。そういう言葉は必要ないのです」
テルアカの謝罪の言葉を遮ったルスがテルアカの隣に体を飛ばし、微笑みかける。続けて、アルカナがルスの言葉に対して、首を縦に動かす。
「そうそう。それを言うなら、私も同じ。私だって、不具合が起きてるってわかってたのに、アルケミナたちと接触しなかったんだからさ。だから、私の分まで頑張りなさい」
「はい。頑張ります」
「テルアカ、マジメすぎ!」
「それで、アルケミナ。これからどうするつもりじゃ?」
腕を組んだブラフマがアルケミナに問う。それに対して、アルケミナは表情を変えることなく、頷いてみせた。
「今から二日後、EMETHシステムを解除するため、ヒュペリオンの生成陣が刻まれた座標へ向かう。アルカナはブラフマと共に、フェジアール機関の研究施設に行き、二日後にシステムを解除すると発表してほしい」
「それなら、私の出番なのです。テルアカが所長を務めるフェジアール機関の錬金術研究施設なら、この手ですぐに飛ばせるのです」
右手を挙げたルスに視線を向けたアルケミナが首を縦に動かす。
「お願い」と淡々とした口調で告げたその時、アルケミナ・エリクシナの身に異変が起きた。
大人の体が白い光に包まれていく。
男たちを魅了する大きな胸が萎んでいき、まな板のようになる。
高身長のスレンダーな体型は、少しずつ子どもらしい姿に変化。
白い光が消えると、ぶかぶかな白衣を身に纏う子どもの姿のアルケミナ・エリクシナが姿を現した。
「……予想通りの時間」と口にしたアルケミナの顔を、同じ子どもの姿のルスが覗き込む。
「なるほどなのです。どうやら、クルスの能力を使えば、一時的に元の姿へ戻ることができるようなのですね?」
「そう。ただし、元の姿に戻れば、EMETHシステムで付与された異能力が使えなくなる」
「そういうことならば、私はこの姿のままで作戦に参加するのです。あの能力は作戦成功の鍵になるかもしれないのです。この体でも聖人としての異能力は問題なく使えたので、それでいいのです」
「ルス。早くアルカナとブラフマを……」
銀髪の幼女に促されたルスが、アルカナの眼前に体を飛ばし、右肩に向けて、自身の右腕を伸ばす。
その手が触れた瞬間、アルカナ・クレナーの姿が王室から消失した。続けて、ブラフマの右隣に体を飛ばし、右肩に触れると、彼も姿を消す。
体を横に回転させながら、床の上に着地したルスが頬を緩める。
「指示通り、フェジアール機関の研究施設へ飛ばしたのです。早ければ、十分後には公式発表があるのですよ。さて、ここからは楽しいお茶会なのです!」
無邪気に笑うヘルメス族の幼女が手を合わせると、クルス・ホームは目を丸くした。
「こんな時に、お茶会ですか?」
「ルスが淹れる紅茶は絶品です。ここで一息入れるのも悪くないでしょう」
納得の表情を見せたテルアカの隣で、マリアが右手を挙げる。
「私も参加していい?」
「もちろんなのです。今すぐ、五人分の紅茶を淹れるのです。机や椅子の準備はマリアに任せるのです。その代わり、好きなお菓子を選ぶ権利を与えるのです。クッキー。パウンドケーキ。マカロン。どれがいいのですか?」
「じゃあ、いつものクッキーがいい!」
「了解なのです」
テルアカとマリア、ルスの三人の間に漂う空気感に圧倒されたクルスが目をパチクリと動かす。
その間に、マリアが慣れた手付きでお茶会の準備を進める。
すると、クルスの眼前に現れたルスが不思議そうな表情で覗き込む。
「もしかして、コーヒー党なのですか?」
「いいえ。そうじゃなくて、ルスさんは、いつもこんなことをしているんですか?」
「ふふふ。美味しい紅茶を飲めば、交友を深めることができるのです」
ルスがイタズラな笑みを浮かべ、クルスに背を向ける。そして、静かな王室の中で、決起集会という名のお茶会が始まった。