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第174話 交差点のふたり

「記憶を失った世界で出会った様々な者たちから、この世界のことを学び、滅ぼすに値する世界かどうかを判断させる。そう言いましたよね? だったら、私には、それを伝える役目があるようです」


 再びルスを説得する覚悟を持つことができたアソッドが、世界の破壊者の前で微笑む。だが、そんな彼女をルスは冷たい目で見ていた。


「何を言っても無駄なのです。私は狂っているこの世界を正しい方向へ導きたいだけなのです。自らの欲望を満たすために争い、傷つけあう者たちがいるのなら、彼らを自由にさせすぎたと判断するしかないのです。だから、私は誰も傷つかない平和な世界を実現するため、民たちを管理しようと決めたのです」


 それはルス・グースが信じる正義だった。相対する少女の主張に対し、アソッド・パルキルスは彼女との間合いを詰め、世界の破壊者の体を優しく抱きしめた。


「……何をしているのです?」

「口ではうまく説明できなさそうだから、見せてあげます。これが私の見てきた世界です」


 ふたりの真下に生成陣が浮かび上がり、抱擁するふたりの体を白い光が包み込む。その瞬間、ルスの脳にアソッドの記憶が雪崩れ込んできた。


 ルクリティアルの森で彷徨っていたアソッド・パルキルスにブラフマは、地図と武器を与えた。


 森を抜け、辿り着いたのは、サンヒートジェルマンと呼ばれる大都市。そこで彼女はムーン・ディライトたちと出会った。彼らは記憶を失ったアソッドの居場所になろうとした。


 そして、クルス・ホームは記憶を取り戻す旅に出ないかと優しく手を差し伸べてくれた。


 どの記憶にも、悪意はない。純粋な善意の記憶は、冷たいルスの心を溶かしていく。


「……こんなの、ウソに決まっているのです。アソッド・パルキルス。あなたは騙されいるのですよ」

「いいえ。それは違います。私が出会った人たちは、みんな優しくて、見返りを求めようとしませんでした。この世界は優しさで満ち溢れています。少し、信じてみませんか? 民たちを」


 アソッドの記憶は、ルスの価値観を揺るがした。純粋な優しさを持った人々をルスは知らない。困惑の表情を浮かべたルスの体からアソッドが手を離す。


「これが私が守りたい世界です。それでもあなたは、この世界が狂っていると思いますか?」


 アソッドに問いかけられたルスの中で迷いが生まれる。そんな彼女に向けて、アルケミナが一歩を踏み出した。


「これ以上の戦いは時間の無駄」


「……そうなのですね。敵は五人。元の姿に戻った創造の槌の使い手と私の術式を無効化する能力者。厄介なふたりの登場で戦力が逆転してしまったようなのです。しかし、まだ負けるわけにはいかないのです。悪の化身を完全に支配して、私がこの世界を……」


 ルスは、アルケミナの前で右手の薬指を立て、空気を叩いてみせた。そうして召喚されたのは、二メートルほどの大きさの金色の槌。禍々しい黒い霧が漏れたそれを目にしたアルケミナが創造の槌の持ち手を強く握りしめた。

 

「あの槌は、トールが持ってた……」


 顔を上げたクルスが、ルスが手にした巨大な槌を見て呟く。そんな助手のアルケミナが並ぶ。

「アレは破壊の槌。創造の槌と対を成す神器。アレを叩くだけでその場にいる者の生命活動を停止させることができる」

「つまり、アレを振るわれる前になんとかしないといけないようですね」

「その前に、アルカナ。アビゲイルを連れて逃げて。この相手は危険すぎる」



「えっ」と戸惑うアビゲイルの右手を、アルカナが引っ張る。

「逃げるわよ。あの人と戦ったら、確実に命を落とすわ」


 女剣士と手を繋ぎ、出入口である扉に向かい、ふたりが駆け出した。



 王室の中で黒い霧を漂わせる巨大な槌を手にしたルス・グースは、遠ざかっていくふたつの気配を感じ取り、頬を緩めた。


「逃がさないのです」


 ルス・グースが宙に浮かび上がり、左手を開く。その瞬間、アビゲイルとアルカナの前に五つの光の線が伸びた。天井から伸びた線がふたりの行く手を阻むと、今度は彼女たちの四方を囲むようにいくつもの光線が射す。その中で、アルカナは周囲を見渡しながら、歯を食いしばった。


 気が付くと、アビゲイルと共に光の檻の中へ閉じ込められている。


「アルカナさん! アビゲイルさん!」と呼びかけたクルスが、慌ててふたりの元へ急ぐ。だが、それをルス・グースは許さない。


「同じ手は通用しないのです」


「ぐっ」


 不意にクルスの視界が揺れ、腹部から誰かに蹴られたような鋭い痛みが広がる。どこかで受けた衝撃が蘇り、クルス・ホームは右手で腹を抑えた。


「この衝撃、知っています」

「その目。どうやら、覚えていたようなのですね。元々、トールは運だけがいい最弱の研究者でしたが、エルメラに封印された悪の化身に憑依され、最強のチカラを得たのです。つまり、同じ悪の化身のチカラを解放した私もトールと同じ体術が使えるということなのです」


 クルスの前で頬を緩めたルス・グースの白髪が闇の色に染まる。右手で握った破壊の槌から、黒い霧が漏れ、ゆらゆらと揺れる。




「あのふたりはいつでも裁くことができるので、残りは三人だけなのですが……どうやら、ここまでのようなのです。未熟なふたつの魂は、いつか分離するのです。囚われた罪人は鏡の迷宮で彷徨い続けるの……です」


 その直後、異変が起きた。

 突然、ルス・グースの表情が苦痛で歪む。

 間もなくして、ルスの喉から男の怪しい声が飛び出す。


「この時を待っていた。クルス・ホーム。キミは聖人のルスよりも破壊神を名乗るに相応しい。アルケミナ・エリクシナを拘束した枷を破壊したその能力があれば、この世界の人々に絶望を与えることもできるだろう」


 突然の口調の変化に戸惑うクルスの隣で、アルケミナが一歩を踏み出す。


「クルス。気を付けて。悪の化身は、クルスの体を狙っているらしい」


「ご名答。ルスは意図的に私のチカラを体に閉じ込めていた。それが破壊の槌を手にしたことで窮屈な世界から解放され、ルスの体を支配できた。まあ、こんな体は捨てて、クルスの体に乗り換えるつもりだけどなぁ。神の加護は受けられなくなるが、その体はトールよりも私のチカラを引き出せるはずだ。大体、ルスは考えが甘いのだよ。滅んだ世界は、二度と戻らない。一部の人間だけが生き残る世界は生ぬるいんだ。この世界は私が無にするのだ」


 豪快に笑う悪の化身が巨乳少女との間合いを詰める。その間に、クルスは深く息を吐き出し、右手の薬指を立てる。その指先から紺青色の小槌が落ち、真っ赤な絨毯の上に生成陣が叩き込まれると、クルス・ホームの周囲を直径五十センチの水の円が流れる。

 

 眼前に飛び込む悪の化身が握った右手を前に突き出す。その衝撃で水滴が散ると、クルスは体を前に飛ばし、ルスの拳を右手で受け止めた。そのまま、左足に蹴りを入れ、体勢を崩したヘルメス族の少女の腹を蹴り飛ばす。


 そうして、体を後方に飛ばした悪の化身は、体勢を整え、両手を叩いた。


「素晴らしい。そのチカラがあれば、この世界の人々に絶望を与えられそうだ。そして、世界が無となる。さあ、私の手を取り、この世界を終わらせよう。キミには、その素質がある」


「お断りします。このチカラは、そんなことのために使うものではありません」


 あっさりと答えたクルスが凛とした表情で胸を張る。


「そう。これ以上、私の助手に手を出したら許さない」


 創造の槌を手にしたアルケミナ・エリクシナが大きな胸を揺らしながら、クルス・ホームの元へ歩み寄る。少し遅れて、アソッド・パルキルスも悪の化身の元へと近づいた。


「あなたがこの世界を滅ぼすというのなら……」と口にしたアソッドの瞳が青く輝く。左手で開いた本のページが白く光り、悪の化身の真下の床に、生成陣が浮かび上がる。

 そこから二本の光の足枷が伸び、ルス・グースの体を床に釘付けにした。

 だが、悪の化身は余裕そうな表情を浮かべる。


「アソッド・パルキルス。この程度の術式で私の動きを封じたつもりか? だが、私にはこれがある。さあ、クルス・ホーム。大切な人の命が一瞬で消える最高級の絶望で心を殺し、私と一つになるがよい!」


 ルスの体を支配した悪の化身が右手で握った破壊の槌を振り下ろす。

「遅い」と呟いたアルケミナが、地面と槌の間に創造の槌を滑り込ませる。そのまま、巨大な槌を振り上げると、ふたつの神器がぶつかりあう。その衝撃は、眩い光を放ち、伝染する余波が城内に潜伏する兵士たちの意識を刈り取る。間近で衝撃を受けたアビゲイルの視界が歪む。


「何、これ……」と呟いた光の檻の中の女剣士が意識を手放す。倒れそうな体を両肩を掴み支えたアルカナが左目を閉じる。


「ちょっと、アルケミナ。本気出し過ぎ!」


 そんな高位錬金術師の言葉は、アルケミナ・エリクシナに届かない。一方で、気迫に圧倒された破壊の槌の使い手の少女が、全身から黒い霧を放つ。


「クソ。チカラが出ない。なぜだ。ルス。どうして、お前は私を邪魔する! お前が破壊の槌の正当な使い手になれば、こんな餓鬼に負けるはずがないのだ」


「ただの餓鬼じゃないとしたら」


 顔を上げた銀髪の高位錬金術師が、氷のような冷たい視線を悪の化身に向ける。一瞬だけルスの体が小刻みに震えると、彼女の全身から漏れ出た黒い霧がゆらゆらと動く。


「もういい。こんな体、捨ててやる!」


 ルスの体から全ての黒い気体が放出される。悪の化身と離別した少女の体が、アルケミナたちの前で小さくなっていく。そのまま、気化した悪の化身が佇むクルスの方へと流れていく。

 その動きを視認したアルケミナは、密に右手の薬指を立て、空気を叩く。そうして指先から円形の鏡を召喚すると、それを床の上に置く。


「これで終わり」と口にしたアルケミナが創造の槌で床の上の鏡を叩き割る。それと同時に、ひび割れた鏡に黒い気体が吸い寄せられていく。


「何だ? これは……」

 気体から不気味な男の声が漏れると、小さな子どもの姿に戻ったルス・グースが、アルケミナの元へ向かい、一歩を踏み出す。


「流石は、創造の槌の使い手なのです。未熟な私が最後までメッセージを伝えなくても、私の思い通りな行動ととってくれたのです」


「えっと、先生。何をしたんですか?」とクルスが首を傾げると、アルケミナは視線を目の前のヘルメス族の幼女に向けた。


「クルスの体を狙っていた悪の化身を許せない私。悪の化身を何とかしたいルス。利害が一致した私たちが、一時的に手を組んだ。それだけのこと」

 

「そうなのです。術式を発動すれば、実体がない悪の化身は何もできなくなるのです。そして、悪の化身は鏡の迷宮に封印され、この世界に平穏が訪れるのです」


「ふざけるな! 裏切者! おい、ルス。使命を忘れたのか? お前には、この世界を正しい方向へ導く……」


 黒霧から漏れる怒号に対して、ルスが冷たい視線をぶつける。


「不純物なき世界は不完全。こんな簡単なことも知らない未熟な私には、その資格がないのです。あなたを完全に支配できなかった時点で、私は負けたのですよ。降参なのです」


 ひび割れた鏡の中に全ての黒い霧が吸い込まれると、ルス・グースが頬を緩める。


「ちょっと、待ってください。それはどういう意味なんですか?」


 アルケミナの助手が首を傾げると、小さな子どもの姿のルス・グースの右隣に、新たなふたつの白い影が浮かび上がった。


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