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第169話 優しい人

「大丈夫じゃ。アソッド。ワシは最強じゃ」


 城内の真っすぐな廊下の上で、ローブで身を包むブラフマがアソッドを安心させるように口を開く。余裕に満ちた錬金術師の姿を彼女の隣で見ていたテルアカが首を捻る。


「まだそんな顔ができるんですか? あと数分の命なの……」

 述語で締めくくるよりも先に、ブラフマが一歩を踏み出す。一瞬で間合いを詰められ、驚くテルアカが左手の薬指を立てる。


「体が動かないはず。どうして……」


 ブラフマが押さえていた胸から手を放した瞬間、彼の口から白の気体が放出される。その物質を目の当たりにしたテルアカにブラフマが右腕を伸ばす。いつの間にか、それには黒い長刀が握られていた。


 眼前に刃が飛び込むと、テルアカは咄嗟に体を黒の気体に変化させた。


「火事場のなんとやらではないようですね?」


 四面体のアソッドの近くに溜まった黒い気体がテルアカの声を放つ。


「ワシは死なんよ。おぬしが生成したアストロイドではな」


「アストロイド?」と四面体の中で聞き慣れない物質名を耳にしたアソッドが首を傾げる。


「正解です。エーテルを多く含み、多くの人々の命を一度に絶つことができることから、数百年前に生成を禁止されたあの物質のことをご存じでしたか」


「当たり前じゃ。ワシの能力なら、素材がなくても対処可能じゃわい。つまり、うぬの能力は怖くないということじゃ!」

 

 自信満々な表情のブラフマと対峙するテルアカが両手を叩く。

「素晴らしいです。まさか、一分以内に私の物質を解析するとは、流石はブラフマ・ヴィシュヴァです。しかし、それだけでは私には勝てません。蒸発するこの体は、剣術や格闘技による攻撃を無効化しますからね。錬金術で気体になった体を固体化させるにしても、ここには設備もなく、それを可能にする素材もないのです」


「それはどうかの?」

 不敵な表情のテルアカをブラフマが鼻で笑う。

「打つ手がないから、足止めしようとするなんて、らしくありませんね」

 結論を急ぐテルアカの前でブラフマが首を左右に振る。

「足止めが目的じゃと、言ったかの?」

 そう問いかけたブラフマがテルアカの前に体を飛ばし、左腕を前に伸ばす。そのまま黒いスーツ姿の錬金術師の右腕を掴むと空気が凍り付く。


 一瞬で体温を奪われたテルアカは体を震わせた。仮面の下の目を大きく見開いたテルアカが、目の前にいるブラフマに視線を向ける。


「そんなはずが……」

「相手が悪かったのぉ。テルアカ・ノートン。素材や設備がなくても、ワシの能力を使えばアストロイドを固体に状態変化させることができるんじゃよ。因みに、このローブは……」

「低気温な環境下でも体温を維持できると言いますが、細かな氷の結晶が付着しているようです。体も小刻みに震えているようですし、数十秒以内に決着をつけなければ、二人ともに凍死します」

「心中はごめんじゃ」

 白い息を吐き出したブラフマが右手で握った長刀を斜めに振り下ろす。オレンジの炎を纏った刀身がテルアカの右肩から腹にかけて、斜めに切り裂く。抉り取られたスーツの布切れが凍り、北風に乗り、飛んでいく。


 凍えるような寒さと斜めの傷跡からじんわりと伝わる熱が合わさり、心地よい気分になったテルアカ・ノートン。その背中はキラキラに光る廊下の上に叩きつけられた。


「まだ続けるつもりか?」


 テルアカの頭上に立ったブラフマが、彼の頭に剣先を向ける。目の前に鋭い刃が飛び込んでくると、テルアカは仮面の下で頬を緩め、左手の薬指で廊下を一回叩いてみせた。


「いいえ。降参します」と仰向けのままで彼が告げた直後、アソッドの四方を囲んでいた透明な幕がボロボロに崩れ去る。そうして、密室から解放されると、アソッド・パルキルスはテルアカの元へと駆け寄った。


「テルアカさん。今、助けます!」

 足元から優しい少女の声を聴いたテルアカが仮面の下で瞳を閉じる。

「相変わらず、優しいですね。アソッド・パルキルス。記憶を失っても、性質は変わらないようです」

「大丈夫です。ルスさんが与えてくれたこの能力を使えば、すぐ元気になりますから」

 優しく微笑んだアソッドが、瞳を輝かせ、テルアカの右足に右手を触れさせる。その瞬間、テルアカの体を黄緑色の光が包み込む。同時に体に振るえも消えていき、深く息を吐き出したテルアカ・ノートンがゆっくりと体を起こした。



「ありがとう……とだけ伝えておきます」

 アソッドに対して頭を下げたテルアカが、彼女に背中を向ける。その前方には腕を組んだブラフマが佇んでいる。

「相変わらず、素直じゃないのぉ。テルアカ・ノートン」

「完敗です。瞬時にアステロイドを固体化させるための条件を揃え、能力を無効化するとは。流石としか言えません。恐ろしい能力です」


 仮面の下で苦笑いを浮かべたテルアカの右隣にアソッドが並び、彼の右肩を優しく叩く。

「テルアカさん。教えてくれませんか? どうして、私はあなたの名前を覚えていたのかを」

 隣の少女の口から飛び出した疑問に、テルアカが仮面の下で目をパチクリと動かす。


「これは驚きました。自分の名前以外のことを覚えていたなんて、想定外の実験結果です。疑問に思っていたのですよ。どうして、アルケミナ・エリクシナがただの記憶消失少女を仲間にしたのか? その答えが私の名前を覚えていたからだったとは、ビックリです」


「そんなことより、早く教えてください!」とアソッドに促されると、テルアカが深く息を吐き出す。

「ルスにその能力を与えられた後、施設の外に逃がしたのが私の役目だったからでしょうか? それとも、何度かあの施設で顔を合わせているからか? 詳しい理由までは推測不能です」


「テルアカがアソッドを逃がしたじゃと?」

 ブラフマの問いかけに対して、テルアカが首を縦に動かす。

「はい。ルスを裏切ったわけではなく、計画通りな行動でした。あの時は良心が痛みました。記憶を失った少女を外の世界へ逃がせば、不安で心が壊れてしまうのではないかと心配したものです」

「……やっぱり、テルアカさんは優しい人です。だから、覚えていたのかもしれません」

 思いがけない結論を耳にしたテルアカが、顔を真横に向ける。その視線の先には、優しい少女がいた。


「優しい人? その根拠は何ですか?」

「仲間を逃がしたからです。一騎打ちにするからって、この場にいた仲間たちを別の場所へ向かわせたのも、あの八つの扉を壁で塞いだのも同じ理由ですよね? アストロイドという危険物質を使えば、仲間たちの命まで脅かされる。だから、あなたは仲間を逃がしたんです。それに、私を透明な何かで隔離したのは、危険物質を吸い込ませないためだと思います」

 答えを口にしたアソッドが首を左右に振り、壁で塞がれた左右の扉を瞳に映しだす。

「聖人と同じ神の加護を受けているとはいえ、あの物質は危険すぎます。王室のルス・グースに会わせ、役目を果たさせるまでは守らなければなりませんから。それに、これは罪滅ぼしです。ムクトラッシュの人々からアソッドに関する記憶を消す術式を開発し、帰るべき場所も奪ってしまった。これが私の罪です」

 

 テルアカがアソッドから目を反らす。その態度を見たブラフマが失笑する。


「相変わらずじゃな。じゃあ、わしからも聞こうかの? ルスに協力するホントの理由とは何じゃ? わしが知っとるテルアカという男は悪事とは無縁な男じゃった。それなのに、なぜ世界を滅ぼそうとする者に協力する?」


「ルスの思想に感銘を受けたからでは、ダメですか?」


 あっさりと答えたテルアカの脳裏には、数年前、初めてルスと出会った日の記憶が浮かんでいた。

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