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第167話 劣等生

「はぁ」と息を吐き出したクルス・ホームがピカピカに磨かれた城の廊下を真っすぐ駆けだす。一歩も動こうとしないラス・グースとの間合いを詰め、前方から抉るように右腕を回転させながら、拳を振るう。

 当然のように拳はラスに届かず、飛び散る砂と共に虚空に消えていく。


「何をするのかと思ったら、拳と共に砂を飛ばしただけのようですね。あの砂岩にどんな仕掛けがあるのかは分かりませんが、大したことないでしょう」とラスが頬を緩めた直後、クルスの眼前に黒い影が飛び込んできた。

 黒い影が技を放つよりも早く、間合いを詰めたクルスが、影を振り上げた右足だけで蹴り飛ばす。最初からそこになかったかのように、黒い影が消えていく。

 そのまま、休むことなく格闘少女が体を前に飛ばす。右足を斜め上に伸ばし、左足を軸にして半円を描くような蹴り技をヘルメス族の少年の腹部を狙い放つ。その格闘技を目にしたラス・グースは思わず目をパチクリと動かした。メイド服姿の馴染み深い少女の姿がクルスと重なり、頬を緩める。


「ステラと同じ技も使えるようですね。おそらく、彼女から格闘技を学んだのでしょう。しかし、まだ彼女の足元にも及んでいない。この程度の格闘技で僕を倒せるわけが……」

 余裕の表情のラス・グースが顔を前に向ける。その瞬間、ヘルメス族の少年は大きく目を見開いた。前方でクルスの格闘技を吸収したはずの暗黒空間が見えない。時空の歪みも観測できず、思考を巡らせたラスの眼前に拳を振るう格闘少女の姿が飛び込んでくる。


 強い拳が体に当たる直前に、ラスが体をクルスの背後に飛ばす。その気配を感じ取ったクルスが体を半回転させ、蹴りを敵の腹部に叩き込む。俊敏な一撃を受けたラスが体を後方に飛ばし、間合いを取る。


「どうやら、ラスさんの能力は任意型のようです。常に四方に攻撃を吸収する何かが召喚される能力じゃなければ、あの一撃は当たりません。これなら、勝機があります」


 そう呟いたクルスが納得の表情を浮かべた。その一方で、痛む腹部を右手で押さえたラスが少女の指先に嵌った指輪をジッと見つめる。

「仕掛けがあるとすれば、あの指輪でしょう。アレで僕の守りを突破するとは、流石です」

「そうですね。まさか、本当にうまくいくとは思いませんでした。四方を囲む見えない盾は、この拳だけで壊せます」

 自信に満ちた瞳を持つクルス・ホームが握った右手を前に突き出す。

「遊びは終わりです。そろそろ本気を出します」

 宣戦布告する巨乳少女の前で、ラスが右手の薬指を立て、空気を一回叩く。 指先から飛び出した水色の槌が廊下の上で弾み、刻まれた生成陣の上に水色の短銃が一丁浮かび上がる。

 それを右手で握り、銃口を天井に向ける。その間にクルスも右手の薬指を立て、空気を叩く。

 指先から紺青色の小槌が落ち、廊下の上に生成陣が叩き込まれると、クルス・ホームの周囲を直径五十センチの水の円が流れる。

 それを見ていたラス・グースが頬を緩める。

「なるほど。ステラの高位錬金術と似ているようです」

 天井に向けた銃の引き金を引くと、銃口から四つの水玉が解き放たれる。四方に別れ飛んでいくそれは虚空に消えていく。その現象を目の当たりにしたクルスは、廊下を右足で強く叩き、上空へ飛び上がった。一瞬だけ観測された黒い穴に右の拳を伸ばす。


「わざわざ危ないところに突っ込むなんて、理解に苦しみます」

 顔を上に向けた地上のラスが銃口を上空のクルスに向ける。そのまま動く標的に狙いを定めたラスが水の弾を撃つ。真っすぐ飛んでいく銃弾に、クルスが蹴りを入れる。弾はクルスの体を貫かず、消えてしまう。


 その直後、水の弾を吸い込んだ空間から、銀のナイフが雨のように降り注ぐ。


「こんなこともあろうかと思い、仕込んでおきました。百銀短刀の槌。これで愚か者は地に堕ちます」

 銀の雨を見上げたラスが頬を緩める。その間に、上空のクルスが投下される銀のナイフを拳で吹き飛ばす。鋭い凶器は少女の体を傷つけず、飛ばされた短刀の剣先が地上のラスの瞳に映しだされる。標的を変え、飛ぶナイフが地上の術者に襲い掛かる。


「まさか、ここまで追いつめられるとは、想定外ですね」と呟いたラスが、自分の眼前に暗黒空間を配置する。それと同時に、クルス・ホームが廊下に着地。体を左右に揺らしながら、ラスを目指し飛んでいく銀のナイフを避けながら前進し、右の拳を前方に叩き込む。その瞬間、ナイフを吸い込んでいた暗黒空間が消失した。五十を超えるナイフを認識したラス・グースが体をクルスの背後に飛ばす。


 背後を振り返ることなく、敵の気配を感じ取ったクルスが深く息を吐き出し、体を半回転させながら、右の拳をラスの首に叩き込む。少女の指に嵌められた指輪を瞳に映したラスが体を反らす。それでもクルスは動きを止めず、ヘルメス族の少年の腹部を蹴り飛ばした。

 衝撃で体が大量のナイフが突き刺さる後方の壁に激突し、ラス・グースが身に纏う白のローブを切り裂く。全身にも切り傷が刻まれ、血が垂れる。


「なるほど。仕掛けが分かりました。その指輪に刻まれている生成陣の効果は物質の再構成。握り潰した砂岩の粒子をもう一度硬化させることができるようです」


 寄りかかる壁から一歩を踏み出したラスの推測を聞いたクルスが頷く。

「正解です。僕の能力では空間を壊せないようなので、これを使いました。見えない空間の中で砂岩を再構成させた状態で、この拳を振るえば、ラスさんの守りを崩すことができます。そして、僕の周りを流れている水の円の中では、必ず攻撃を当てることができます。これで不意打ちも怖くありません!」


 手の内を明かす格闘少女の前で、ラスが腕を組む。


「なるほど。ここは撤退した方がよさそうです。このまま戦いを続けても、時間稼ぎにもなりません。これ以上、ルスお姉様を失望させたくなかったのですが、残念です」


 目を伏せたラス・グースがクルスに背を向ける。そんな黒髪ショートボブの少年をクルスが呼び止める。


「ラスさん……」

「安心してください。約束は守りますから。ただし、ここで終わると思ったら、大間違いです」

 

 そう告げたラスがクルスの目の前で右手の薬指を立てる。その指が空気を叩くのと同時に、クルスが前へ駆けだす。指先から落ちた黒い小槌を左足で蹴り上げ、背後に回り込み、ラス・グースの右腕を掴む。

 召喚された小槌は、まるで最初からそこになかったかのように消えてしまう。


「もう止めましょう。こんな戦いに何の意味があるんですか?」

 ラスの右腕を捻り上げたクルスが問いかける。


「全てはルスお姉様のためです。偉大なる姉と比較されている僕の味方はルスお姉様だけでした。聖人の妹のクセに、体を動かすことなくモノだけを飛ばせないのかとみんなからバカにされても、ルスお姉様は僕の味方でいてくれた。そんなルスお姉様を裏切るわけにはいきません。この世界は、ルスお姉様が正しい方向へ導くべきなんです! この一角を爆弾で吹き飛ばせば、脅威となるあなたの命を絶つことができる。この体がどうなったとしても、ルスお姉様は喜んでくれるでしょう」


「自分の命を犠牲にして、僕を殺すつもりですか? そんなのおかしいです。大切な人のために命を犠牲にするような思想は、理解できません。こんなことしても、ルスさんは喜ばないと思います」


 背後で正論をぶつける少女に対し、冷静なラスが珍しく声を荒げる。


「うるさいです。ルスお姉様のこと、何も知らないクセに。とにかく、この指で空気を叩けば……」


 ラスが小刻みに揺れる右手の薬指を立てる。その震えを感じ取ったクルスが目を伏せる。

「ホントは怖いんでしょう? ルスさんに会えなくなることが。やろうと思えば、いつでも殺せたのに、まだ殺していませんし、指が震えています。例えば、ルスさんがこの戦いで亡くなれば、あなたの心は傷つくでしょう。同じように、お姉さんもラスさんを大切な人だと思っています。そんな人がいなくなったら、どうなるのか? あなたなら分かるでしょう?」


 説得しようとする優しい声を耳にしたラス・グースの目が潤む。冷たい氷のような心も溶けていき、どこかから大切な姉の声も聞こえてくる。


「ラス。大丈夫なのです」


 慈悲に満ちた愛の言葉が蘇り、ラス・グースの体からチカラが抜けていく。


「はぁ。ステラの足元にも及ばない格闘技で足止めする暇があるんだったら、早く王室に行ってください」

「えっ、ラスさん?」

「早く行きなさい。気分が変わらないうちに」

「はい!」と元気よく答えたクルスがラスの体から手を放し、廊下を真っすぐ駆ける。曲がり角で右折した後ろ姿が見えなくなると、その場に立ち尽くしたラス・グースが頬を緩めた。



「ルスお姉様、僕は負けました」と告げた少年は、嬉しそうな表情で意識を手放した。

 


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