第165話 疾風の女剣士
地下室の石畳を昇りきる銀髪の幼女は、目の前にある赤い扉を開けた。そこから中へ入ると、真っ赤な絨毯が敷かれた廊下がある。キレイな窓ガラスと高級そうな照明器具。左方の壁に飾られた黄金の壺。
殺風景な地下室から迷い込んだ光景を目にしたアルケミナが、その場に立ち止まり、考え込むように自分の右手で顎を掴んだ。
その瞬間、彼女の右手の甲に浮かび上がった生成陣が白く光り、心配そうな声が響く。
「アルケミナさん。今、どこにいるんですか?」
そう尋ねてきたのは、東門にいるアソッド・パルキルスだった。
「アゼルパイン城の中にいるらしい。窓から見える景色から察するに、私が今いるのは一階。詳しいことは後で話すが、飛ばされた地下室から脱出した」
「そうだったんですね。いきなりいなくなったから、心配しました」
「そっちの状況は?」
「こっちはスゴイことが起きているんですよ。ブラフマさんが一瞬で太刀を生成して、二千の軍勢と戦っています。驚いたことに、相手のダメージは無効化されているはずなのに、一振りで何百人を気絶させているんです」
「なるほど。あの能力を使って、術式の効果の無効化を付与した武器を生成したということ」
素材がなくても、頭に思い浮かべたモノを瞬時に生成できる異能力。それで二千人を圧倒するブラフマにアルケミナ・エリクシナが失笑した。
「なんじゃ? アルケミナと連絡が付いたみたいじゃな? こっちは一分以内に片付きそうじゃ」
右手の甲からブラフマの声を耳にしたアルケミナが無表情のままで首を縦に動かす。
「分かった。私はこのまま王室に向かう」
「うむ。ワシたちもすぐに合流するぞい」というブラフマの言葉と共に、通信が切れる。そうして、彼女は人気がない豪華な廊下を真っすぐ進んだ。
その一方で、アゼルパイン城西門の上空で、アルカナ・クレナーが深くため息を吐き出した。その眼下には、獣のように吠える男性を模した肌色のゴーレムがいる。
その姿を目に焼き付けたアルカナが、右手の中にある小瓶を左右に振り、灰色の粉末を撒布する。空気に混ざる粉末を息だけで吹き飛ばす。
その真下ど、太い両腕の黒く連なった三つの穴から悲痛な叫びが響き、ポニーテールに結った低身長の少女が歯を食いしばる。音は彼女の頭頂部のアホ毛も揺らす。
「うう。鼓膜破れそう。でも……」と呟いたマリアが左手の薬指を立てる。
東に増殖を意味する水がめ座の紋章
西に凝固を意味する牡牛座の紋章
南に鉛を意味する土星の紋章
北に煆焼を意味する牡牛座の紋章
中央に土の紋章
それらの紋章で構成された生成陣を指先にふたつ浮かべ、太いゴーレムの両腕に向け、一つずつ飛ばす。それがゴーレムの右腕の穴と重なると、同じ生成陣が縦一列に増殖する。三つに増えた生成陣が、土埃を吸収し、轟音を出す穴が塞がれる。
左腕の穴も同様に塞がれ、何も聞こえなくなると、マリアは上空を見上げた。
「アルカナ。この隙に攻撃を!」
そう叫んだ瞬間、マリアの視界が黒く染まる。遮る黒の影はゴーレムの右腕。いつの間にか振り上げられていたそれはマリアの頭上へと落ちていく。
「あっ」と声を漏らしたマリアの目が見開かれる。
その直後、一歩も動くことが出来ず、恐怖する少女の結った後ろ髪が風で揺れた。
それと同時に、ゴーレムの五本の指が粉々に切断されていく。
「何が起きてるのか分からないけれど、咄嗟に体が動いちゃったみたいね」
眼前に姿を現した銀色の鎧姿の少女の右手には、剣が握られていた。マリアにとって聞き覚えのない声を発する少女は、黒の後ろ髪を揺らす。土埃舞う中で佇む女剣士の後姿を見たマリアが、彼女の元へと歩み寄る。
「助けてくれて、ありがとうございました!」と礼儀正しく頭を下げたマリアの顔に少女が視線を向ける。
「礼なんていらないから、教えて。ここで何をしているのか?」
「アビゲイル・パルキルスだっけ? あなたが来るとは思わなかったわ」
マリアが答えるよりも先に、アルカナがマリアの右隣に着地した。上空にいた茶髪の彼女を見たアビゲイルが目を見開く。
「ウソ。あなた、もしかして、アソッドの旅の仲間。アルカナ・クレナー!」
「ふーん。そういう認識なんだ」と口にしたアルカナが左手の薬指を立て、素早く生成陣を記す。
指先にそれを浮かべたまま、左腕を右から左へ動かすと西風が吹き、巨大ゴーレムの姿を遮る。
「ふぅ。これでしばらく大丈夫そう。まあ、三十秒くらいで風が止んじゃうんだけどさ」
「アルカナ……さん。アソッドといっしょじゃないの?」と尋ねるアビゲイルに対して、アルカナはクスっと笑った。
「アルカナでいいわ。アソッドのお姉ちゃん。簡単に説明すると、アソッドとは別行動中。私たちの目的は、後ろに見えるあの城に侵入して、王室のルスを倒すことだよ」
「なるほど。私と目的は同じみたい。ここはアソッドの仲間のあなたたちと手を組んで、行く手を阻むあのゴーレムを倒した方がよさそう。一年以上剣を握ってないけど、フェジアール機関の五大錬金術師といっしょなら、なんとかなりそう!」
覚悟を決め首を上下に振ったアビゲイルが一歩を踏み出す。そんな女剣士の右隣にアルカナも並んだ。
「物分かりがよくて助かったわ。風が止んだら、ふたりであのゴーレム倒そっ」
「分かったわ」と答えたアビゲイルが力強く剣の柄を握る。それから数秒後、西の風が止み、巨大ゴーレムが大きく口を開ける。
「アビゲイル・パルキルス。行きます」
そう唱えた女剣士が刀身を緑色の光らせた剣を左右に振りながら、前へと駆け出す。その背後でアルカナは背中の虹色に発光する蝶の羽を羽ばたかせ、宙に浮かび上がった。
雲一つない五メートル上空で浮遊するフェジアール機関の五大錬金術師が左手の薬指を立てる。それから、素早く生成陣を記した後、開いた両手を前に伸ばす。
十本の指先に渦巻く風が集まる頃、地上の女剣士が動かないゴーレムの眼前に迫った。石畳を右足で強く叩き、飛び上がるアビゲイルが右手で持った剣先を左斜め下に向ける。
顔を狙い、振り上げようとする剣を狙い、ゴーレムの左腕がアビゲイルに迫る。握った拳が前方から迫っても、アビゲイルは焦らない。咄嗟に太いゴーレムの左腕に飛び乗り、再び右足で蹴り飛び上がり、体を縦に一回転させながら、真下の左腕に細かい葉のような斬撃を飛ばす。
その間に、空中のアルカナは息を吐き出し、指先に集まった円状の風を左右同時に解き放った。左右の手から飛ばされた風が半円を描くように飛んでいき、上半身しかないゴーレムの胴体を切り裂く。
同時にゴーレムの眼前に迫ったアビゲイルが、剣先を斜め上に振り上げ、斬撃を飛ばす。ゴーレムの顔に斜めの傷跡が刻まれ、ボロボロに崩れていく。
地上へと着地し、「はぁ」と息を整えたアビゲイル・パルキルスは数メートル前のゴーレムの胴体を瞳に映し、駆け出した。
そして、進んだ先にある壁のようなゴーレムの胴体の前に体を突っ込ませ、青空に向けた剣先を振り下ろす。
ゴーレムの体を一刀両断。斜めの傷口から肌色の砂が噴き出し、巨大な体がボロボロに崩れていく。数秒ほどで行く手を阻むゴーレムが姿を消し、アビゲイル・パルキルスは「ふぅ」と息を吐き出し、右腰の鞘に剣を納めた。
「ふーん。アビゲイルって結構強いのね。おかげで早く片付いたわ」
アビゲイルの右隣に着地したアルカナが女剣士に笑顔を向ける。
「これでも一年くらい剣を握ってなかったんだよ。でも良かった。昔みたいに戦えて」
隣の錬金術師に視線を向けたアビゲイルが胸を撫でおろす。
「そうそう。強力な仲間ができて、嬉しいわ」
アルカナがアビゲイルに笑顔で右手を差し出す。その手をアソッドの姉が優しく掴んだ。
「それは私も同じだよ」
「ということで、マリアちゃん。道案内よろしく♪」
アルカナが視線を後方に佇むマリアに向ける。それに対して、マリアは目をパチクリと動かした。
「えっ、道案内?」
「一応、あの城の見取り図は覚えてるけど、こういうことはマリアちゃんの方が詳しいと思ってね。早く行きましょう。新手が来る前に」
「了解」とマリアが短く答え、目の前に並ぶふたりの元へと一歩を踏み出す。そうして、西門の三人は城の中へと足を踏み入れた。