第163話 贈る言葉
真っ赤な幕とドーム状の屋根で隔離された円形の石畳の広場の中。静かに流れる音楽が、大柄な女の体を癒していく。全身に刻まれた傷が消えていき、チカラを蘇らせたルクシオンが両膝を付いた状態から立ち上がる。
そうして、彼女は傍で右手を差し出すハーデス族の少女の顔をジッと見つめた。
「ありがとう。兄ちゃん。助けてくれて。あの時もそう。あの女に瀕死の重傷を負わされても、私を助けるために戻ってきてくれた。もう一度、兄ちゃんと話せたら、ありがとうって伝えたかった」
涙を流すルクシオンが兄の魂を宿した少女の腕を掴み。立ち上がる。
「俺も嬉しいんだ。ルクシオンが生きたからな。最期のチカラを振り絞って、助けられて良かった。もう一度、こうしても、妹と話せたし、村を滅ぼしたあの女を倒すため一緒に戦えた。ありがとうな。ルクシオン」
灰色の髪の少女の姿をした兄が大きな体の妹を抱きしめる。あの日、失った兄の体温を肌で感じ取ったルクシオンの表情が暗くなる。
「兄ちゃん。ごめんなさい。私はいろんな罪を犯したの。あの村で亡くなったみんなの仇を討つため、いろんな悪事に手を染めた。人もいっぱい殺したし、いろんなモノも盗んできた。違法な取引だってした。だから、これから私は罪を償わないといけないんだ。このままシルフの監獄に入ったら、いつこっちに戻れるか分からない。だから、もう……」
泣く妹の顔を見上げたハーデス族の少女が、優しく妹の声を遮り、体を抱きしめる。
「それ以上言わなくていい。ルクシオン。お前がそんな顔をするってことは、とんでもないことをしたってことだ。俺や村のみんなのため悪事に手を染めたことは許されないことだが、ミラちゃんはルクシオンを待っているはずだ。しっかりと罪を償ってこい」
「何よ。それ。兄ちゃんに言われなくてもそうするつもりよ」
暗いルクシオンの表情が和らぎ、頬が緩む。その後で、抱きしめた体から手を離したルクシオンの兄、ヴィータ・イザベルが一歩後退して、右手で頭を抱える。
「ああ、あの時話せなかった冒険の話をしたかった。お互いに残された時間が少ないから、それもできない。あと、あっちで話してるミラちゃんとも話したかった。それだけが心残りだ……」
低身長の少女の姿の兄が、視線をルルと話しているミラに向けた後、深く息を吐き出す。その瞬間、少女の瞳の色が茶色から薄い灰色に変化する。突然のことに、ルクシオンは慌てて少女の元へ駆け寄った。
「ちょっと、兄ちゃん。大丈夫?」
「ぷはっ。制限時間経過です」
黒猫のカチューシャを付けた彼女が、兄ではない少女の声を発する。それに対して、ルクシオンは目を丸くした。
「あなた、誰?」
「申し遅れました。アストラル・ガスティール。先ほどまでお兄さんに体を貸していた者です。今もお兄さんの魂は私の近くにいるので、まだ成仏はしていません。安心してください! 最も、お兄さんの魂はあと六日で消えてしまいます。そうなれば、二度と話せなくなります。因みに、今日はもう誰にもこの体を貸せないようです」
「ララ」と近くで話を聞いていたユイがジフリンスの右肩の上で悲しそうな顔で鳴く。
「そうだな。かわいそうだ。どうにかしてお兄さんと面会させたいが……」
ユイの言葉にジフリンスが同意を示したその時、アストラルが獣人の少年の独り言に喰いつく。
「面会だったら、できますよ?」
「いや、囚人の面会ができるのは、原則家族だけのはずだ」
「いいえ。特例として家族の魂をハーデス族に憑依させた状態の面会は許可されています。私の友達や家族もこのルールに則り、囚人たちに彷徨う魂の声を届けたことがあるんですよ」
「そんな前例があるんだったら、アストラル。お願いだ。ルクシオンの兄さんとして、面会してほしい!」
ジフリンスが曲がった山羊のツノを生やす少女に頭を下げる。その仕草を見た彼女はクスっと笑った。
「頼まれなくても、そのつもりです」
「ホントか? ホントに会ってくれるんだな!」
顔を上げたジフリンスが自分のことのように喜ぶ。その右肩の上で、ユイは「ララァ」と鳴いた。
「アストラルは優しくていいヤツだ!」と獣人の少年に褒められると、アストラルは彼から目を反らす。
「お兄さんを助けられるのは、私だけです。心残りがあるなんて言われたら、協力するしかないでしょう? とにかく、面会の日程調整は、こちらに連絡してください」
アストラルが右手の薬指を立て、空気を叩く。その指先から白い正方形の紙が二枚召喚されると、彼女はそのうちの一枚を獣人の少年に渡した。
それに目を通したジフリンスが驚き声を出す。
「ギルド、セレーネ・ステップ。住所がサンヒートジェルマン! シルフの監獄から遠いけど、大丈夫か?」
「心配ありません。ウチのギルドにはヘルメス族の仲間がいますから。頼めば一瞬で移動可能です。仕事の予定調整が難しいかもしれませんが、明日はあのミラって子と話して、数日後、ルクシオンと面会する予定にします」
アストラルが少し離れた場所でルルと話している三つ編みの少女に視線を向ける。その瞬間、彼女の視線がルルと重なった。それから間もなくして、ヘルメス族の少女がハーデス族の少女の元へと歩み寄る。
その後ろ姿をミラとアタルが慌てて追いかけた。
少し大きな胸を持つヘルメス族の少女が、ルクシオンたちの手前で立ち止まる。ミラがルクシオンの右隣に並び、ルルが頭を下げる。
「ルクシオン。ミラ。謝って許してもらえるとは思わないけれど、ごめんなさい。私はある人に命令されて、この手であなたたちの故郷を滅ぼしたの。その結果、私は多くの人たちの命を奪い、生き残った人たちの心を壊した」
申し訳なさそうな表情で語ったルルの前で、ルクシオンが目を見開く。
「まさか……黒幕はルス」
「そうだよ。この姿であなたと初めて会った時に言ったことは、全てホントの話。私はフェジアール機関の五大錬金術師、ブラフマのニセモノを演じ、彼を村を滅ぼした張本人にした。ルスは業火に焼かれた村の中で人々を助けながら、極上の復讐心を燃やす者を選別していたんだ。その結果、ルスはルクシオン・イザベル。あなたを選び、あなたを悪の道へと導いた。全ては邪魔なブラフマを殺させるために」
ルルの口から明かされる真実に、ミラが身を小刻みに震わせる。
「そんなことのために、ルクシオンを悪人にしたの? 酷い」
「そうね。ルクシオン。仲間としてルスと接してきたあなたなら分かってると思うけど、あの子は危険だよ。目的のためなら手段を択ばない。その選択で多くの人々が悲しんだとしても、正しい世界へ導くための犠牲だと考え、謝罪もしない。まあ、その思想は多くのヘルメス族に引き継がれた種族特有のモノだけど、ヘルメス族の間でも派閥に分かれているからさ。ヘルメス族は全員危ない人たちってわけじゃないんだよ。だから、安心しなさい。アストラル。フブキは大丈夫だから」
「えっ」とアストラルが目を丸くする。それに対して、ルルはクスっと笑った。
「フブキから写真を見せてもらったことがあるからね。あなたの顔は覚えてたわ。まさか、こういう形で会えるとは思わなかったけど。とにかく、フブキはあなたたちのギルドに入って変わったわ。前よりもよく笑うようになったしね。剣を交えたことがある友達として、言わせてもらうよ。フブキと仲良くしてくれてありがとう!」
「そういうことは、ウチのギルドマスターに話してください」とアストラルが慌てた両手を左右に振る。
「……そうね。今度、あなたたちが暮らすギルドハウスにアポなしで訪問してみようかしら?」
白い歯を見せ笑うルルが、ミラと顔を合わせる。
「さて、ミラちゃん。私のチカラでは、歴史を改変しない限り、何も返せないけど、いいこと教えてあげようか? ミラちゃんの家族が今、どこにいるのか」
眉を潜めたルルの言葉に、ミラは「えっ」と声を漏らす。
「お父さんやお母さんがどこにいるのか、知ってるの?」
「もちろんだよ。ミラちゃんの家族は、ここから遠くない村で平穏に暮らしてるわ。もし良かったら、案内するけれど……」
「お父さんたちが生きてた!」
その事実は彼女に涙を流させる。もう会えないと思っていた家族にまた会える。喜びと会いたいという気持ちが心の中で爆発し、ミラは勢いよく彼女の右手を掴んだ。
「お願い。今すぐ会わせて! あっ、瞬間移動じゃなくて、歩いていきたい。まだ怖いから」
目を輝かせたミラがルルから視線を反らす。
「……そうね。歩いていきましょう」と頷くルルが指を弾く。その瞬間、赤い幕とドーム状の屋根が消え、外の世界と繋がった。
幕で仕切られた広場の外周に沿って、白ずくめの人々が何事もなかったように歩く。
「撤収作業完了」とルルが呟くミラが彼女の元から離れた。
それから彼女は、ルクシオンの両肩を掴み、向き合うように立つ。
「ルクシオン。しばらく会えないと思うと悲しいよ。私は今でもあなたの友達だよ」
そんな言葉を贈られたルクシオンが無言で頷く。
解放された広場を白ずくめの人々が行き来する。
そんな中で、大柄な女の隣に、ジフリンスとアタルが並んだ。
「ルクシオン。お別れは済んだか?」
「ええ。もういいわ」とルクシオンが短く答えると、ふたりの間にアタルが割って入る。
それと同時に、空中を飛んでいたユイがジフリンスの右肩の上に乗った。それから、アタルは両腕を広げ、左右を挟む人物たちの体に手を触れさせる。
その瞬間、ルクシオンたちはミラの前から姿を消した。
離れていく親友の姿を見送ったミラの前にアストラルが立ち、一枚の紙を差し出す。
「はい。近いうちにここへ連絡してください。ルクシオンのお兄さんが話したいそうです」
その紙を受け取ったミラは、頭を下げ、ハーデス族の彼女と別れ、ルルと共に歩き始めた。二度と会えないと思った家族に会うために。