第159話 勇敢なる勇者様の物語 前編
「はっ!」と息を吐き出したミラ・ステファーニアは目を見開いた。
気が付くとそこは白い石畳の広場。円形のそこを囲むように、多くの人々が集まっている。白いワイシャツを着用し、長ズボンから靴下、靴まで白で統一した大小さまざまな体型の観客たちは、舞台の上にいるミラの顔をジロジロと見ていた。
少し離れたところには、白いローブ姿のルル・メディーラがアビゲイル・パルキルスと横並びで立っている。
「はい。みんな。今日は私の舞台に来てくれてありがとう。今日の舞台は少し趣向を変えて、客席と舞台の境界線をなくしてみました。乱入乱闘大歓迎。流れ弾注意の危険な復讐劇。その主人公は、舞台の上にいる三つ編みの女の子、ミラ・ステファーニアちゃん。彼女は客席に紛れ込んだ仲間たちと共に、復讐を果たすことができるのか? ここでしか観られない注目の舞台は間もなく開演です」
両手を叩いたルルが周囲に集まった観客たちに呼びかける。その直後に湧き上がる歓声をミラの耳には届かなかった。アビゲイルの裏切りで、作戦はルルに伝わってしまった。このままでは、ルルが描くシナリオ通りな展開になってしまう。だが、どうすればいいのか分からない。
硬直した体を小刻みに揺らし、目を泳がせたミラの背後に、ルルが体を飛ばす。
「ミラちゃん。もしかして緊張してる? 大丈夫だよ。一緒に楽しい舞台、作っちゃお!」
狂気に満ちた目をしたルルが、ミラに耳打ちする。表情を強張らせたミラの額から冷や汗が落ちる。その直後、白ずくめの観客たちの中から、獣人の少年が顔を出す。
犬の耳を頭に生やした少年の右肩には、白いふわふわとした毛が特徴的な白い小さなドラゴンが乗っている。
「ルル。ミラから離れろ!」
強い口調の獣人の少年が、ルルを睨みつける。少年と顔を合わせたルルは頬を緩め、右手を彼に差し出す。
「初めまして。ルル・メディーラです。よろしく! そして、ユイちゃん、久しぶりね」
右の拳を握りしめた少年、ジフリンス・グリーンは握手を交わさない。
「……目を見ただけで分かった。お前は仲間を殺そうとしたラスと似ている」
ミラの隣に並んだジフリンスが、少し遠くにいるアビゲイルに視線を向けた。彼女が頬を赤らめ、ボーっとした表情でこちらを見ていることに気が付くと、彼は右手の中指と人差し指を立て、石畳の地面に向けた。
「そろそろ始めようぜ。ルル・メディーラ」
獣人の少年に促されたルルが頷く。
「……役者も揃いそうだし、始めようかな。最初からクライマックスな舞台。間もなく開演です」
右手の薬指を立てたルルが空気を叩く。そんな彼女から目を反らすことなく、ジフリンスも同じ仕草で空気を叩いた。ふたりの指先から小槌が落ち、真下に刻まれた魔法陣が光を放つ。その光に包まれたふたりの剣士は鎧姿になる。
白を基調にし、すらっとした細身のシルエットに沿って、黄色い線が伸びる。
開かれた胸元から大きな胸が露わにしたルルの鎧に対して、ジフリンスの鎧は青を基調にしたシンプルなモノ。
「アビゲイル。特等席で見てて。愚かな復讐者の末路」
そう口にしたルルの隣で指輪を嵌めたアビゲイルが笑顔で頷く。
その後で、鎧を身に纏う犬耳の獣人の騎士が柄が赤い細長の剣を握り、前へと駆け出す。
それでも、ミラは動くことができない。
「ミラ、どうした? 早く剣を握れ!」
右肩に小さなドラゴンの姿になったユイを乗せて戦い続けるジフリンス。彼がミラに声をかけながら、剣をルルに振り下ろす。それをルルは右手で持った細身の剣で叩く。
ふたりの剣がぶつかりあった瞬間、ジフリンスの鎧の下に傷が刻まれた。
「くっ」と歯を食いしばり痛みに耐えた鎧の下で、血が広がる。
「ユイやアビゲイルが言ってた鎧を貫通する剣か。厄介だな」
それでも、ジフリンスは前へ進み、刀を大きく振りかぶって、斬撃を飛ばしつつ、ルルの刀に剣を何度もぶつけていく。
「なるほど」と呟いたルルは、斬撃を避けるために、三歩だけ後ろに下がった。細身の剣がぶつかる度に、ジフリンスの体に切り傷が増えていく。
「もうダメだよ。こんなの、敵うわけない。ジフリンス。もう私のために戦わなくていいよ。ルル。もうやめて。奪われたモノ返さなくていいから!」
背後から大粒の涙を流したミラの叫びを聞いても、ジフリンスは剣を振り続ける。
「ミラ、諦めるな。もうちょっとだ!」
「もうちょっと……って何が?」
細身の剣で獣人の剣士の技を裁くルルが不敵な笑みを浮かべ、白の石畳で右足を叩く。そうして、飛び上がったルルは、右手の薬指を立て、新たな剣を召喚した。細身の剣を鎧の鞘に納め、召喚した赤い持ち手の長刀を両手で持ち、真下にいるジフリンスの剣先を向ける。
「残念。あなたたちの動きは手の取るように……分か……るっ?」
数メートル上空から真下に広がる舞台を見下ろしたルル・メディーラの思考が停止した。
舞台の中央にあるはずの魔法陣の罠が観測できない。一体何がどうなっているのだろうか?
「まさか……ぐはっ!」
目を見開いたルルの背中に強い衝撃が加わる。背後から素早く蹴られた体は、地面へと急降下していく。
それと同時に、大きな影はミラの隣へ降り立った。広場の中央がひび割れ、砂埃が舞う。
「待たせたわね。ミラ」
隣で聞こえた親友の声に、ミラが目を丸くする。
「ルクシオン。どうして?」
ポカンと口を開け、見上げた少女の隣で、ルクシオンが右手の薬指を立て、空気を叩く。そして、大柄な彼女は指先から緑色の球体を召喚した。その大きさは耳の穴にすっぽりと入るほど小さい。
「はい。これを右耳の穴に入れなさい。疑問が全部解決したら、私たちと一緒に戦って。それまで、ジフリンスやユイと食い止めるから!」
鍛え上げた筋肉を持つ大柄な彼女、ルクシオンが顔を前へ向ける。その先にある砂埃の中で、剣士のシルエットがゆらゆらと動いた。
一方で、これまでの戦いを少し離れた舞台の上で見てきたアビゲイルの額から冷や汗が落ちる。
なぜかルル・メディーラが劣勢になっている。その原因は自分にあるのではないだろうか?
その間に、ミラはルクシオンの指示に従い、緑の球体を右耳の穴に填めた。すると、彼女の耳に女の声が届く。
「獣人騎士団、騎士団長のイースだ。ミラと繋がったということは、作戦が上手くいったようだな」
突然、耳穴の球体からイースの声が聞こえ、ミラは目を丸くする。
「イースさん。これって……」
「私は小型通信機を通して、話をしている。ミラ。あなたは目の前で何が起きているのか分からず、困惑しているだろう」
「そうです。ちゃんと説明してください。何が起きているんですか?」
「そうだな。まずはミラ、キミに謝らないといけないことがある。ごめんなさい。今、キミは絶望して戦意喪失状態に陥っているかもしれないが、その原因を作ったのは、私だ」
イースが申し訳ないような声を出し、ミラが首を傾げる。
「それってどういうことですか?」
「ホントの作戦を遂行するために、キミを傷つけてしまった。許してほしいとは思わない。実は、アビゲイルに渡した計略書は私が仕掛けた罠だったんだ」
「罠?」と口にするミラの前で、戦闘が続く。ルルが放つ光速の蹴り技をルクシオンが自らの足技をぶつけ、右方から長刀を持ったジフリンスが迫る。
「ララァ」と鳴く小さなドラゴンの姿のユイがジフリンスの右肩から飛び上がり、ルルの右腕に触れる。その瞬間、ルルの白い鎧の右腕部分が透明な液体に変化する。
「それがユイちゃんの異能力? 厄介ね」と呟いたルルが露わになった右腕の素肌を晒す。そして、獣人の剣士は、防ぐものがない敵の右腕を狙い、剣を振り下ろす。だが、ルルは咄嗟に体を左に飛ばし、細身の剣を横の構え、ジフリンスの剣を防ぐ。
「そうだ。アビゲイルの話を聞いた時、私はある可能性に気が付いた。アビゲイルは神器、色欲の槌の効果によりチカラを奪われたのではないかと。その可能性は、ユイの報告書を読み、確信に変わり、アビゲイルが裏切る可能性も浮上した。そこで私は罠を仕掛けようと思ったんだ」
「それが、ウソの計略書」とミラが呟くと、ジフリンスが長刀を斜めに振り、斬撃を飛ばす。それをルルは右手で持った柄が黒い長刀をぶつけ、石畳の上に撃ち落とした。
「外国には、兵法三十六計という戦略をまとめたものがあると聞いたことがある。それを参考に罠を仕掛けた。そう、私の計略は二週間前から始まっていたのだ」
「はぁ。はぁ。フブキに聞いたことがあるわ。兵法三十六計、反間計。内通者に虚偽の情報を与え、敵に自分が望む行動を取らせる。その計略が上手くいった結果が、さっきのルクシオンの襲撃ってことね。どうやら、ミラちゃんの仲間には軍師がいるみたい。感心したわ」
ルクシオンとジフリンスから間合いを取ったルル・メディーラが肩で息をしながら腕を組む。
「そう。まずジフリンスにウソの計略書に記した通りの行動を取らせ、予想通りの行動だと油断させる。そして、こちらの作戦を対策する行動を取らせた瞬間にできる隙を狙い、ルクシオンが襲撃を仕掛ける。それがここまでに起きていることだが、この計略には、まだ続きがある」
イースの話を聞いていたミラの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「続き?」
「ところで、今、キミの前でジフリンスとルクシオンがルルと相対していると思うのだが、気になるところはないか? 例えば、ルルの様子がおかしいとか?」
「様子って……」
イースの話を理解できないミラが顔を前に向け、ルルの動きを観察する。ルル・メディーラは常に何かを警戒するように、首を左右に振り、ジフリンスが放つ斬撃を片手でさばいている。その姿を見た三つ編みの彼女は目を丸くした。
「そういえば、片手で持った剣と足技だけで戦ってる」
「やっぱりそうか。実は罠をもう一つ仕掛けたんだ。覚えているか? ヘルメス族の剣士、アイリス・フィフティーンも仲間にしようと話したのを。アレもウソだ。アイリスと剣を交えたことがあるという話はホントだが、彼女は今回の戦いには参加していない。ユイには別の誰かを仲間にするよう頼んでおいた」」
「でも、なんで、そんなウソを……」
当然のように浮かんだ疑問をミラが口にすると、イースが淡々と答える。
「それが反間計の続きだ。今、ルルは存在しないアイリスの亡霊と戦っている。もちろん、亡霊というのは比喩だが、ルルはどこかに隠れているアイリスの襲撃を警戒している。そうして生まれた隙を狙えば、アビゲイルの回復術式をあてにしなくても、勝機がある!」
明かされた計略の全貌を知ったミラの冷えた心が熱を帯びる。どこかから沸きあがった勇気は、彼女に希望を与えた。因縁の相手ににらみつけた彼女は、右手の薬指を立て、空気を叩いた。そうして、一瞬だけアビゲイルの方を向いた彼女は、鉄の長刀を握り、ルルの元へ駆け出した。