第156話 無敵の人
城の西門を抜けた先に広がる庭に二千の兵士たちがひしめき合う。そんな彼らと相対しているのは、大きな胸を持つ一人の格闘少女、クルス・ホーム。
まるで獣のように動き始めた軍勢がクルスの元へ詰め寄る中で、アルカナは虹色の蝶の羽を動かし、宙に浮かび上がった。
「クルスくん。気を付けて。彼らは攻撃を全て無効化されただけの存在じゃないから。私が見たあの錬金術書に書いてあったの。あの術式を施された者は、無敵の人になれるって」
上空から聞こえる呼びかけに反応したクルスが、目の前に迫る剣士の腹に蹴りを入れる。
「無敵の人?」
「そう。どんなに攻撃を受けても倒れない。そんな体になった彼らの思考は麻痺していく。例え、目の前に大きな炎の壁があったとしても、彼らは何も考えずに飛び込む。心臓を貫かれて死ぬような間合いに入り込んでも、避けることなく攻め続ける。そして、ただ目の前の敵を倒すだけの獣に成り下がる。そうなれば、二度と普通の人間には戻れない。まあ、そうなるには、個体差もあるけど平均一時間くらいかかるらしいけどね」
「つまり、一時間以内に彼らを倒せって言いたいんですか? 無謀と無敵を履き違えたあの兵士たちを」
「そうそう。頑張って。今は集団として動いてるから大丈夫だけど、手遅れになる前に早く倒して。クルスくんなら彼らを助けられるんでしょ?」
「はぁ。その話を聞いたら、やる気が出てきました。この拳で彼らを助けます!」
上空のアルカナと会話を交わしながら、左に動く気配を感じ取ったクルスが右の拳を握る。
西風が彼女の長い後ろ髪を揺らし、左方から飛ぶ斬撃を無駄のない動きで右に傾け避ける。
そのまま緑の草が生い茂った地面を右足で叩き、剣士の眼前に体を飛ばし、腹に拳を叩き込む。それから続けて、剣士の両脇を固めた兵士にも打撃を加える。
休む間もなく新たな敵がクルスに迫る。いくつもの混ざる気配を感じ取った格闘少女は、「はぁ」と息を整えた。
「数が多いですが、アレを使わなくても、まだ分かります。どこから攻撃が、仕掛けられるのか」
体を後ろに飛ばし、間合いを取り、半円を描くようなフォーメンションで五方向から進む白い剣士たちの姿を認識したクルスは、背後からの不意打ちを警戒しながらも、前進し右方から来る敵の懐に入り込む。
迫る敵兵の首を抉るように殴ると、すぐに素早く移動し、右斜め前に見えた敵の腹を蹴り上げる。
その反動で飛び上がり、中央の敵の腹に回し蹴りを食わらせ、左方から来る二人の兵士の軸足を狙い、蹴りを入れる。
一瞬で半円を描くように移動したクルス・ホームの背後で、五人の兵士たちが体を倒す。
それから、剣を握る数十人の剣士たちが彼女を包囲するように動き、間もなくして一人の白ずくめの剣士が、右方より剣を振り下ろす。だが、その剣は届かない。
刃が傷を刻むよりも先に動いたクルスが、右方の剣士の右足に蹴りを入れる。その反動で体が崩れると、すぐに拳を叩き込んだ。
休む間もなく、飛び跳ね、迫りくる兵士たちの剣裁きを視認することなくかわし、一発の拳だけで相手の意識を刈り取っていく。
そんな戦いを上空で見下ろしていたアルカナが頬を緩める。そんな彼女の目に、弓矢が飛び込んでくる。だが、その鋭い先端は、彼女の目に刺さることなく、見えない何かで弾かれてしまう。
「流石に休ませてくれないわけね。まあ、いいわ」
いつの間にか、数千の白い兵士たちが一つの円になり、弓矢を上空に浮かぶアルカナに向けている。首を左右に動かし、包囲されていると知ると、彼女は左手の薬指を立てた。
東に蒸発を意味する正方形の紋章
西と中央に風の紋章。
南に温浸を意味する獅子座の紋章
北に火の紋章
それらの紋章で構成された生成陣がアルカナの指先に浮かび上がる。それを指で真下に弾き、緑の地上に刻まれると、また別の術式を宙に記す。
東に土の紋章
西に固定を意味する双子座の紋章
南に水の紋章
北に凝縮を意味するひし形の紋章
中央に風の紋章
もう一つの術式を地上へと投下させたアルカナに向け、一千の弓矢が一斉に放たれる。それでも、彼女の体は傷つかず、上空の生成陣が地上の生成陣に勢いよくぶつかる。
冷やされた空気と温められた空気。ふたつの衝突は突風を生み出し、兵士の体を飲み込んでいく。
円を描くように動く突風が兵士たちの体を次々と飛ばす。数分で弓矢の包囲網が一掃されると、兵士たちを巻き込んだ風がクルスが戦闘を行う中央へと移動する。
慌ただしく吹き荒れる風を肌で感じ取ったクルスは、思わず目を見開いた。迫りくる竜巻から一人、また一人と兵士たちが飛び出していく。
「ちょっと、アルカナさん!」と目を怒らせたクルスは、落下する兵士の体に拳を叩き込む。
「まあまあ。そんなに怒らないで。兵士と弓矢の雨が降ります。ご注意くださいってね♪」
「こんな時にふざけないでください!」と怒るクルス・ホームは瞳を閉じ、息を整えた。そして、拳を握り、暴風雨のように降ってくる兵士たちを瞳を開けることなく、一人残らず拳だけで倒していく。
「思い出しますね。暴風が吹き荒れる中、瞳を閉じ、散っていく大木の葉を拳だけで撃ち落とすあの修行」
「ウソ。そんなことしてたの?」とアルカナが苦笑いを浮かべる間に、雨のように降る兵士たちがクルスの拳を食らい、緑の地面に叩きつけられていく。
その異様な光景を前線で目の当たりにしたマリアは、言葉を失った。
「ウソ。攻撃が無効化されてるはずなのに……」
焦るマリアは目を見開いた。気が付くと、眼前に渦巻く風が飛び込んでくる。咄嗟に体を後ろに飛ばしたマリアは、荒く息を吐き出し、前方に顔を向けた。その先で虹色の蝶の羽を動かし浮遊するアルカナが左手の薬指を立てている。
「マリアちゃん。残念だけど、あなたたちの作戦は通用しないわ」
「そっ、そんなはずが……」とマリアが首を左右に振っても、現実は変わらない。彼女の目の前で、また一人、また一人と兵士たちが倒れていく。
「あなたの能力とルスちゃんが生成した攻撃無効化術式で消耗戦を行い、私たちを足止めする。いい作戦だったけれど、相手が悪かったみたいね。クルスくんの能力を前にしては、そんな策略、砂のお城みたいに簡単に崩れちゃうから」
かわいらしくウインクするアルカナから視線を反らすことなく、倒れた仲間の元へと一歩を踏み出す。その動きを見逃さなかったアルカナは、伸ばした左手の薬指を左右に振ってみせた。
「おっと、動かないで。動いたら、あなたの目の前に、コレ飛ばしちゃうから」
彼女の指先に集まった風が渦巻き、円形になる。
「それって、脅迫のつもり?」
「そうよ。同じフェジアール機関に所属する錬金術師仲間だもの。あまり手荒なことはしたくないの。だから、そこ通してくれない?」
宙に浮かぶアルカナが右手を差し出す。そんな彼女に続き、目の前にいる兵士に拳を振るっていたクルスが首を縦に動かした。
「安心してください。彼らは気絶しているだけです。命に別状はありませんから。僕の能力で彼らにかけられた術式を解除してしまえば、簡単に倒せますが、これ以上無益な戦いはしたくありません。お願いします。マリアさん。通してください」
礼儀正しく頭を下げたクルスに対して、マリアが声を荒げる。
「師匠を裏切るなんて……できるわけないでしょ? 師匠のためなら、フェジアール機関を敵に回してもいい。だから、仲間扱いしないで!」
「だったら、教えてください。テルアカさんはどうしてルス・グースの仲間になったんですか?」
クルスの問いかけにマリアは言葉を詰まらせた。