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第150話 勇敢なる勇者様の母親 後編

 二階にある部屋の扉を、チェイニー・パルキルスが優しく閉じた。

 静かな室内で、この部屋の主であるアビゲイル・パルキルスが木目調の床の上で実の母親と向き合うように立つ。ふたりしかいない部屋の中で、チェイニーは優しく語り始めた。


「こんなこと言ったら失礼かもだけど、アビゲイルって似てるわね。あの森の中の中に咲いてた植物と」

「えっ」と声を漏らしたアビゲイルが目をパチクリと動かす。その反応を受け、チェイニーは両手を合わせた。

「いきなり変なこと言って、脅かせちゃったみたいね。でも、ホントに姿形が似てたんだよ」

「……そうなんだ」と複雑な心境のアビゲイルが呟く。あの森の中で、アビゲイル・パルキルスは植物の姿に変えられていた。チェイニーはそのことを言おうとしているのだろうか?

 そう推測するアビゲイルの前で、チェイニーが瞳を閉じ、過去を思い出す。


「あれは一年くらい前のことだったわ。いつものように森の中を散歩してたら、見覚えのない花園に迷い込んでね。そこにアビゲイルと似た植物が咲いてた。まるで、裸の女の子のように見えるあの植物のことが、私は好きだったんだ。なぜか一目見ただけで気になり始めて、その日以来、毎日のように通ったわ。いつもはそんなことしないのに、昨日あったこととかをその植物に話してた」



「あっ」


 チェイニーの話を聞いた瞬間、アビゲイルの頭がズキっと痛み始めた。一瞬だけ軽い電撃を受けたような痛みと共に、彼女は記憶の扉を開ける。



 暗く何も見えない孤独な世界。そこにアビゲイル・パルキルスがいた。

 一歩も動くこともできず、助けを求める声も出ない。


 このまま、誰にも気づかれず、枯れてしまうのだろうか?


 恐怖と不安の中で、少女はどこかで誰かの驚きの声を聴く。


「ここ、どこだろう? こんなとこにキレイな花園があったなんて、知らなかったわ!」


 植物の姿になった少女は、自分に興味を示す声を耳にする。


「この植物、見たことないわね。新種かしら?」



 孤独な世界の中で、誰かが少女に優しい眼差しを向ける。


「眺めてるだけで優しい気持ちになれるなんて、不思議な花ね」


 真っ暗な世界で温かい何かが何度も輝く。その声は、アビゲイル・パルキルスに安らぎを与えた。


 誰かが秘密の花園を訪れてから数日後、何者かが深くため息を吐き出す。


「あの子たちにも、この景色を見せたかったのに、迷子になっちゃったわ。おかしいわね。地図通りに進んだはずなんだけど……もしかして、ここって私だけの秘密の花園なのかしら?」


 何者かが吐き出した二酸化炭素が、自然と吸収され、少女は満たされた。


「それにしても、変な場所ね。せめて写真だけでもって思ったんだけど、この花園は映らないのよ」


 困惑の声を聴いた直後、誰かが彼女の葉を優しく撫でる。


「幻なんかじゃないよね? だって、ここにちゃんとあるんだもの」


 その優しい声は、植物の姿に変えられ見失いかけていた少女の存在を証明する。


「論文仕上げるの大変だけど、あなたの顔を見てたら、がんばれそう!」


 孤独の世界で聞こえてきた声は、どれも娘に向けられた声だった。

 記憶は消されているはずなのに、チェイニーは植物の姿に変えられた娘に優しく接していた。


 その事実を胸に刻んだアビゲイルが頬を緩める。一方で、チェイニーはそんなアビゲイルの顔を不思議そうな顔で見ていた。


「アビゲイル、何か嬉しそうね」

「うん。昔のこと思い出せたから。お母さんは、不安だった私に優しい声をかけてくれたんだ。そう思ったら、嬉しくなってね」

 アビゲイルが笑顔でそう答える。彼女の話に同意するように、チェイニーが首を縦に動かす。

「そうだね。楽しかったお母さんとの思い出は大切にした方がいいわ」

 一転して、アビゲイルの表情に不安が宿った。

 記憶を消され、ふたりの娘がいたという事実も改変されたチェイニー・パルキルスは、ここに娘の一人がいることに気が付いていないようだった。だとしたら、あの森の中で聞いた娘に語り掛けるような優しい声は何だったのだろうか?


「全部、幻だったのかな……あっ」


 思わず心の声を漏らしてしまい、アビゲイルは口を覆った。その声を聞き逃さなかったチェイニーが首を横に振る。


「幻なんかじゃないわ。だって、あなたはちゃんとここにいるんだもの。それに、あなたが言ってたことは全部、ホントのことなんだって思うから。私にはホントの娘がいたの」

「えっ」とアビゲイルが驚きの声を出す。


「あなたが私の前に現れてから、毎日のようにあの森に通ったけれど、あの花園から女の子の裸の姿に見える植物がなくなってたの。枯れたような痕跡もなければ、抜かれたような痕跡もなかった。あの植物が花園から消えたタイミングとあなたが現れたタイミングが一致してるし、あなたはあの植物と姿形が似てることも気になった。それにね。人間の姿のあなたに初めて会った時、心が変になったんだ。やっと会えたっていう安堵の気持ちや、懐かしいという気持ち。いろんな気持ちで心がいっぱいになって、なぜか泣いてた」


「……そうなんだ」


「その時は、まだどうしてこんな感情を抱いているのか分からなかったけど、この家で一緒に過ごしてきて、少しずつ分かってきたんだ。もしかしたら、大切なことを忘れてるんじゃないかって」


 推理を披露したチェイニーが右手の人差し指をビシっと立てる。一方で、アビゲイルは複雑な表情を浮かべた。


「……えっと、お母さん。どう答えればいいのか分からないよ。合ってるといえば合ってるけど、信じてくれるのかも分からない。だって、全部なかったことにされてるんだから。私とお母さんの思い出もこの部屋にあった大切なモノも。久しぶりに帰ってきたら驚いたわ。この部屋は何もない空き部屋になってたし、思い出の写真もなくなってた」


 涙を浮かべたアビゲイルが顔を上へ向ける。そんな彼女をチェイニーは優しく抱きしめた。


「ごめんね。信じてあげられなくて。どうして、植物の姿になってたのかとか、どうしてあなたが存在していないことになっているのかとか、全然分からないことも多いけど、これだけは分かるわ。アビゲイル。あなたは私の娘……って、おかしいわね。人間の姿になって私に会いに来たあなたをホントの娘だと思い込んでいる。これはただの妄想なのかしら?」


「違うよ。お母さん。全部、ホントのことなんだよ。私はある人に負けて、植物の姿に変えられたの。このまま枯れて亡くなるんだって不安になってた私に、お母さんは声をかけてくれた。毎日のように会いに来てくれて、すごく嬉しかった。元の姿に戻れて、またお母さんと一緒に暮らせるって分かった時も、嬉しかった。楽しかった思い出も忘れられて、悲しかったけど、一緒に暮らしてみて分かったことがあるんだ。お母さんはお母さんだって」


 娘が母親の背中に両手を回し、抱きしめ合う。至近距離で娘らしき少女が真剣に訴えると、母親が優しく微笑む。


「信じるよ。アビゲイルが言ってることはホントのことだって」

「えっ、お母さん? 信じてくれるの?」

「もちろんよ。娘の話を信じない母親なんて、いるわけないわ。だから、ミラと一緒に大切なモノを取り返してきて。今度の旅の目的は、そういうことなんでしょ? あなたの顔を見てたら、分かるわ」

「うん。そうだよ。奪われたもの全部取り返してくるから、待ってて」


 母娘は涙を流し、互いの体を抱きしめる。しばらくすると、扉の向こうから誰かが軽く叩き、ミラが顔を出した。


「準備終わったよ」とミラが声をかけると、ふたりは互いの体から手を離し、距離を取る。


「そう。じゃあ、アビゲイル。これを持っていきなさい。お金とか旅に必要なものいっぱい入ってるから!」

 そう言いながら、チェイニーが右手の薬指を立て、空気を叩く。指先から木目の網模様の小槌が飛び出し、それを娘に手渡す。

「お母さん、ありがとう」

「うん。旅の最終目的地はここだよ。ちゃんと生きて帰ってきてね。いってらっしゃい!」


 チェイニー・パルキルスが笑顔で右手を左右に振る。

 ミラとアビゲイルのふたりは、全てを取り戻す旅を始めるため、戻るべき場所を飛び出した。

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