第147話 絶望の真相
風が小石を転がし、青空を白雲が隠す。ヘルメス村から数キロ離れた岩場で、灰色の髪の少女が角刈りの大男に頭を下げる。
「お願いします。ファブルを助けてください!」
ティンクにとって何度か会ったことがある少女が願う。
それに対して、太い腕を組んだティンク・トゥラが首を縦に動かす。
「言われなくてもそうするつもりだ。あの野郎は、ファブルを無防備なヤツでも容赦なく殴るクソ野郎に変えた。だから、俺はファブルの根性を叩き直して、この手でアイツを助けるんだ」
五大錬金術師の宣言は、少女に困惑を与える。動揺した彼女は、目を魚のように動かした。
「えっ、ファブルに何があったのか知ってたの? もしかして、私、無駄なことしちゃったのかな?」
「いや、無駄なんかじゃねぇぜ。俺が知ってるのは、ファブルがルスとかいうクソ野郎に洗脳されて、クソ野郎になったことだけだ」
「ルス……」
ふたりの近くにいるフブキ・リベアートが暗い表情で呟く。それにティンクが反応を示した。
「白熊の姉ちゃん、どうかしたか?」
「いいえ、なんでもありません」とフブキはティンクから目を反らした。
「まあ、いいや。ところで、ソフィー。あの時、一緒にいたおめぇなら、ファブルに何があったのか知ってんだろ? 教えてくれねぇか?」
真剣な表情の大男が問いかけると、ソフィーの魂を宿すアストラルの後ろ髪が風で揺れる。
「ティンクさんに会ったら、話すつもりでした。助けてってお願いするためなら、事情を明かさなくてはなりませんから。あの日の真実をお話しします」
あの日、紫色の水晶が生えた幻想的な洞窟の中を、七人の集団がまとまって進んだ。
短い髪にパーマをかけ、黒の中折れ帽子を被った垂れ目の好青年、ファブル・クローズの前には、二列に並んだ水色ローブ姿の六人組。
彼らの視線の先には、小穴を塞ぐような大きさの一つ目のゴブリンがいる。その手前で立ち止まった集団の中心人物が、自分の顎を右手で掴み、視線を右隣にいる少女に向けた。
「ソフィー。ひとりでやれそうか?」
「はい。団長。もちろんです!」
明るく元気に答えたその少女が、足を素早く動かし、間合いを詰める。その右手に握られていたのは、特徴的な長刀。頂点が鋭い六面体の刀身には、縦に連なる五つの穴が開いている。
それをゴブリンの前で十字を描くように動かし、空気を切り裂く。剣の穴から飛び出した透明な球体状の斬撃は、ゴブリンの緑色の肌を傷つける。
全身でそれを全て受け止めたゴブリンは呆気なく仰向けに倒れ、「ふぅ」と息を整えた少女が、腰の鞘に剣を納める。
その姿を見たファブルは、拍手をしながら少女の元へと歩みを進めた。
「ソフィー。見ないうちに腕を上げたみたいだな!」
好青年の声と反響する拍手の音に反応を示した少女が、ローブのフードを脱ぎながら、声がした方へ顔を向ける。
腰まで伸ばした長い水色の髪をポニーテールに結ったかわいらしい素顔を晒すと、その少女、ソフィーは笑顔で胸を張ってみせた。
「まあね。スゴイでしょ?」
そんな女剣士の真横に、最前列を歩いていた大柄な男が並ぶ。その男は、ランタンで周囲を照らしながら、体を半回転させ、仲間に呼びかけた。
「よし、お前ら。目の前の小穴を通り抜けたところで少し休憩だ! 五分後、異能力を会得次第、出発する」
その号令と共に、彼らは小穴の中へと足を踏み入れた。その先には、少し開けた空間が広がっている。
ローブのフードを剥がし、白髭を生やした四角い顔を晒した団長が、薄暗い洞窟の地面の上にランタンを置く。残りの五人も同じようにそれを置くと、洞窟内が明るくなった。
近くの岩場に腰かけ、頭を抱えたファブルの元に、ソフィーが歩み寄る。
「ファブル。どうかしたの?」
「ああ、ソフィー。今、気が付いたんだけどさ。あのチップ、研究所に忘れてきたっぽい」
「ああ、これね」と呟くソフィーが、白いお守りをファブルに見せる。
「ホント、何やってんだよ」
「ふふふ。全国民に異能力が与えられる日を待つことね。そして、五分後、錬金術を超えるスゴイチカラを見せてあげるから、うらやましがりなさいよ」
ソフィーがイタズラに笑う近くで、膝の上に帽子を置いたファブルが頭を掻いた。そんな彼の前で、ソフィーが首を傾げる。
「ところで、ホントに大丈夫? こんな洞窟の中でもちゃんと異能力、授かれるんだよね?」
「ああ、心配するな。どんな場所でもそのチップを持ってたら、異能力が手に入るって、ティンクさんたちが言ってたよ」
「それなら、大丈夫そう……えっ」
ソフィーの視界が異変を捕える。黒い影がゆらゆらと揺れ、近くで休んでいた三人の仲間たちが次々と倒れていく。
ソフィーが慌てて倒れた仲間たちの元へ駆け寄る。同じように、団長とその近くにいた痩せた長身の男も、心配して、駆けつけた。
「おい、お前ら、大丈夫か?」
「何、有毒物質? いや、それだったら、ここにいるみんな倒れてるから違う」
うつ伏せに倒れたまま、動こうとしない仲間たちに視線を向けたソフィーが、顎に手を置き、考え込む。
「団長、早く回復術式を」
「アイザック探検団も大したことがないようだ。こんなに簡単に三人も倒せるなんて。これなら、一分後には終わっていそうだ」
開けた空間の中心に、白い影が浮かぶ。
いつの間にか現れたのは、白いローブを着た中肉中背の人物。
その右手には、二メートルほどの大きさの金色の槌。
ローブのフードを目深に被り、顔を隠すその人物がアイザック探検団たちの元へと歩みを進める。その人物を目にしたソフィーの体が小刻みに揺れる。全身に鳥肌が立ち、心臓が何度も強く揺れる。その人物の全身から漂う狂気は、周囲の空気も冷やす。
「何、この人? すごく怖い」
目を見開き、固まるソフィーを隠すように、団長が立つ。
「おい、ソフィー。ファブルを連れて逃げろ。こいつは俺たちが食い止める」
「でっ、でも……」
「大丈夫だ。これくらいの相手、四分くらいなら食い止められる」
頼もしい団長の背中を瞳に焼き付けたソフィーが力強く頷く。
「はい」と返事を反響させたソフィーが、ファブルと共に横穴へ駆ける。
だが、その直後、ソフィーの心臓がドクンと高鳴った。目を見開き、背後を振り向くと、得体の知れない黒い霧が周囲を包み込んでいる。
黒く染まった景色の中、イヤな予感を頭に過らせたソフィーは、隣にいるはずのファブルの背中を力強く叩く。
「逃げ……て……」
彼女の瞳は何も映さなくなる。全身の穴から緋色の鮮血が噴き出し、その体は黒い霧に包まれていった。
「もう終わりか」と洞窟の中心で謎の人物が、巨大な槌を起こす。それと同時に、周囲の六つの黒い霧が消え、血塗れのソフィーの体がうつ伏せに倒れた。
その景色を、ふわふわと体を浮かばせたソフィーが見下ろしていた。真下に自分やアイザック探検団たちの遺体が転がっている。動かない自分の体を上から認識する不思議な感覚に彼女は困惑した。
周囲を見渡しても、六つの遺体と彼らを殺した凶悪な人物しか見えない。
それから数十秒ほど経過すると、ファブルが横穴から顔を出し、謎の人物の前に姿を晒した。
焦る青年の姿を認識したその人物が腕を組む。
「ふっ、生き残りがいたか」
謎の襲撃者の声は、ファブルに届かない。
「ソフィー」と叫び、身を揺らしても、彼女は目を覚まさない。
氷のように冷たくなった体。胸も動いていない。いくつもの事実を重ねても、青年は現実を受け入れることができなかった。
やがて、青年の心は怒りが支配していく。身を震わせたファブルは、ソフィーの遺体を仰向けに寝かせ、拳を握りしめた。
「絶対に許さねぇ!」
目を充血させた青年が大声で叫ぶ。一方で、謎の人物はゴツゴツした地面を右足で叩き、体を前に飛ばした。一瞬で間合いが詰められると、謎の人物が回し蹴りを青年の腹に叩き込む。
「ぐわっ」
避ける間もなく飛ばされた体は、背後の岩の壁に激突する。衝撃を受けた体は、全く動かない。無様な青年の姿を謎の人物が笑う。
「命が尽きるのは一瞬だ。後悔と未練を胸に抱き、絶望しながら死ぬといい!」
冷酷な声が響き、もうダメだとファブルが目を閉じる。その直後、ファブルの前にもう一つの白い影が降り立った。
「無益な殺生はしない約束なのですよ?」
青年の前に現れたのは、白髪ショートボブの少女。謎の人物と同じ白いローブに身を包んだ彼女の耳は尖っている。
「ルス、少し遅かったな。もう少し楽しめると思ったが、これ一振りで全滅だ。もちろん、欲しいモノは全部手に入った。ほら」
謎の人物が左手をルスと呼ばれる少女に向ける。その手には、六つの白いチップが円を描くように浮かんでいた。仲間の元へ瞬時に飛び、その左手を掴んだルスが、ジッとそれを見つめる。
「ホンモノなのです。じゃあ、早速、仲間の元へ……」
ルスが凶悪犯の手の中にあるチップを指で触れ、一つずつ消していく。そして、チップがふたつだけになると、少女はその内の一つを手に取り、動けないファブルの前へ体を飛ばした。
「これが未来なのです。あなたはフェジアール機関の五大錬金術師に騙されているのです。錬金術を凌駕するようなチカラは、いずれ人類を滅ぼすのです。今の人類にそのチカラを制御できるとは思えないのですよ。近い未来、異能力という強大なチカラを手にした人類は、その身を滅ぼし、いつ大切な人が死んでもおかしくない最悪な世界が始まるのです。私はこの未来を変え、人類を正しい方向へ導くために行動しているのですよ。ただし、そのためには、どうしても仲間が必要なのです」
「仲間?」
「そうなのです。もしも、あなたが私の仲間になるのなら、願いを一つだけ叶えてあげるのです」
優しく微笑んだルスが右手の人差し指を立てる。
「願い?」
「そうなのです。私なら時空を超えて、あなたの大切な人が殺される未来を変えることだってできるのです。さあ、答えが決まったのなら、このチップを手に取るといいのです」
ルスが右手を開く。その中にある白いチップが黒く染まる。
「あっ、ああ」
言葉を失ったファブルが躊躇うことなく、黒いチップを手にする。そうして、ファブルの心は暗い闇の世界に囚われた。