第144話 堕天使 中編
静かな劇場の舞台の上で、ユーノ・フレドールがユイ・グリーンを守るように立つ。
突然現れた幼馴染の彼女と対峙したルル・メディーラは、ため息を吐き出した。
「ユーノ、どうしてあなたがここにいるの?」
「仕事終わって、商店ブラブラ歩いてたら、アタルからルルちゃんが久しぶりにヘルメス村に帰ってきたって聞いたんだぁ。アタル、めっちゃ喜んでたからさー。それからルルちゃんチを尋ねたら、ユイとふたりきりで出かけるって書かれた置手紙を見つけてね。多分、お気にのココじゃねって思って、やってきた。そしたら、ルルちゃんがユイと稽古してるトコに遭遇して、今に至る!」
「……なるほど。その顔は、ウソを吐いてないみたい」
ジッとユーノの顔を見ていたルルが首を縦に動かす。
「ってかさー。数カ月ぶりに剣を握ったユイを相手に稽古しても、つまんなくね?」
「愚かな女剣士を正しい世界へ導いてるだけだよ。私の劇団に所属すれば幸せになれるってね」
「そのスカウト精神、尊敬するわぁ。でもさー。ハッキリ言うけど、ユイは役者に向いてないよ。獣人騎士団として、剣を握って戦ってた方が、いい表情になると思う!」
そう反論したユーノはチラリと嫌悪感を示すユイの顔を見た。それに対して、ルルは狂気に満ちた笑みを浮かべる。
「心肺しなくても大丈夫。イヤな顔をしてる人でも、私が演技指導をすればみんないい表情になるの。みんな、救われたって嬉しそうに言うの。そんなことより、教えなさい。どうして、ユイを助けようとしているのか?」
「ダチを助けるのに理由なんていらなくね?」
明るい顔でハッキリと答えたユーノの前で、ルルは目を点にして首を傾げる。
「友達?」
「一度、剣を交えたら、大体友達……ってことだから、ユイ、もうちょい頑張ろっか? 説得に失敗したっぽいし」
「はい」と真剣な表情になったユイが頷く。それから数秒後、ユーノは斜め右に移動し、ユイと肩を並べた。
「たったふたりで私を倒そうなんて、百年早いわ」とルルが嘲笑うと、ユーノが右手の薬指を立てながら、左手でユイの背中を叩く。
ユーノの指先から、黒いレンガ模様の小槌が落ち、浮かび上がった魔法陣から黒い光が放たれる。
全身を包み込む光が消えると、ユーノ・フレドールは黒い鎧姿になった。
黒い鉱物で作られたようなゴツゴツとした彼女の鎧の小さな胸元には、紫色の菱形の水晶が埋め込まれている。
甲をかぶらずに素顔を晒す彼女は、静かに右手の親指を四回曲げる。
背負った円形の盾の上で半円を描くように刺さっていた十本の黒い小刀を宙に浮かべた。
その小刀は四本あり、柄は赤く染まっている。
「ユイ、とりま、アタシがテキトーに投げる小刀を斬撃で撃ち落としなね」
「はい」と明るく答えたユイが、右手の薬指で空気を一回叩き、彼女の指先から小槌が召喚された。
召喚された水色の小槌を地面に叩きつけ、地面上の魔法陣に浮かぶ細長い剣を手に取る。
その間に、ユーノはルルから目を反らすことなく、宙に浮かぶ小刀を右に投げた。
それを狙うユイが放たれた小刀に向け、斬撃を飛ばす。それを見ていたルルが彼女たちの前から姿を
そうして、ユイの斬撃と飛ぶユーノの小刀の間に入り込み、右手で持った長刀で眼前に飛び込んでくる斬撃を叩く。
「ふぅ。何か仕掛けがあるみたいだけど、こんな小細工通用するわけが……はっ!」
目を見開いたルルは、上空から気配を感じ取り、動きを止めた。劇場の天井すれすれの座標に、ユーノ・フレドールが浮かんでいる。
「ルルなら、アタシの作戦を読んで、斬撃を撃ち落とすと思ったよ。隙ができるように誘導されてるとも知らずにね。ってことで、いくよぅ。新技、隕石衝突!」
親指を五回曲げ、浮かんだ合計九本の小刀と共に、ユーノが体を横に三回転させる。
縦横無尽に飛ばされた小刀が粉々に崩れ、まるで隕石のように、客席へ降り注がれていく。
「全体攻撃、掃除が大変そうね」と呟いたルルは、舞台上へと体を飛ばす。
黒い粒子が届かない舞台の上で息を吐き出したルルの目の前で獣人の女剣士が動く。
右手に片手剣、左手に白と青色のストライプ柄の小槌を持った彼女は、前へ駆けだした。
間合いを詰めようとするユイは、素早く弧を描くように左手の小槌で空気を七回叩く。
東西南北に水の紋章、中央にみずがめ座の紋章。
小槌が叩かれるたびに、これらの紋章で構成された魔法陣が空気に刻まれていく。
ジグザグと体を動かしながら、左手の小槌で何度も空気を叩いていく獣人の少女の姿を見たルル・メディーラは、一歩も動かずに頬を緩めた。
「ユーノも大変ね。あなたの友達は、わざわざ小槌を使って、錬金術の効果を発動するような子だよ。平凡な錬金術師と組んで、私を倒せるってホントに思ってるのかな?」
「まっ、大丈夫じゃね?」と明るく笑うユーノが粒子にまみれた客席の上へ着地する。
それと同時に、ルルの眼前に、片手剣を構えたユイの姿が飛び込んできた。
「はぁ」と息を吐き出したユイは、片手剣をルルに向けて振り下ろした。それでもルルは動こうとせず、右手で構えた細身の剣を振り上げ、獣人の女剣士の一撃を振り払う。
同時に無傷の鎧の下に隠れたユイの体に生傷が刻まれる。
痛みに耐えたユイは、深く息を吐き出し、右手で構えていた片手剣を左右に振った。
その瞬間、宙に浮かんだ水がユイの剣に吸い寄せられていくように動く。
背後を狙うように飛んでくる水の斬撃を受けたルル・メディーラは痛みから表情を歪めた。
「くっ、時間差斬撃。まさかそんな隠し玉があったなんて、想定外だわ」
「ごめん、アタシも知らなかったわ。この前の稽古じゃ、そんな剣、使ってなかったからさー」
ルルに同意したユーノが両手を合わせる。それに対して、ユイは申し訳なさそうに頭を下げた。
「こちらこそごめんなさい。隠してたわけじゃないんだけど、あの時は単純な剣術だけでどれだけ通用するのか試したかったから、あえて使わなかったの」
「別に謝らなくても大丈夫。じゃあ、ユイ、この指先が示す方向をその剣で斬ってみな」
そう言いながら、ユーノは十時の方向に左手の薬指を向けた。訳も分からず指示された方向に剣先を向け、空気を切り裂いたユイは、目を丸くする。
すると、黒い粒子がユイの剣に吸い寄せられていく。その現象を目の当たりにしたルルが目を見開く。
「ユーノ、あなた、まさか……」
「そっ、あの小刀当てるのむずそうだから、空気中に粒子を漂わせて、場を支配しようとしたんだけどさー。ユイが持ってた剣の効果を知って、作戦を急遽変更。時間差無限必中斬撃。アタシがあることをするだけで、舞台上のユイが必中の斬撃を飛ばす。この間合いならアタシも巻き込まれちゃうけどさー。なんとかなるっしょ」
自信満々な顔のユーノが、右手の小指を人差し指を立て、ルルの眼前から姿を消す。
そして、彼女が舞台の上に着地した瞬間、ルルの体が浮かび上がった。それと同時に、脚光の竜騎士の体に黒い粒子を纏うユイの斬撃が吸い寄せられる。
だが、その一撃は虚空に消え、ルルには届かなかった。
「格下相手に追い詰められるなんて、らしくありませんね。ルル・メディーラ」
静かな劇場に少年の声が響く。その次の瞬間、ルル・メディーラの隣に、黒髪の少年が現れた。
ヘルメス族らしい尖った耳を持つ少年は、黒いワイシャツの上に白いローブを羽織っている。
一方で、「なぜ、ここに?」と動揺を隠せないルルは、目を丸くして、少年の顔を見つめていた。