第138話 賛辞
洞窟内の開けた空間でホレイシア・ダイソンは周囲を見渡した。茶色い地面の上の邪魔なオークたちは全員気絶して、一歩も動かない。
黄緑色のオーブのフードの中で彼女は目をパチクリと動かした。
「たった五分で全滅するなんて……」と呆然とするホレイシアの右隣でフブキが首を横に振る。
「予想よりも一分遅いと思いますが、まあこれくらいなら許容範囲です」
「そうなんだ。ところで、殺してないよね?」
「はい。もちろん気絶しているだけです。最も、あと五分ほどでこの場にいるオークたちが起き上がるので、残された時間は少ないようですが……」
「えっ」とホレイシアが声を漏らす。そんな彼女の左隣に並んだムーンがフブキの話に喰いつく。
「おい、フブキ。また戦うつもりか?」
「いいえ。それまでに必要な素材を採取して、撤収します。さあ、三分後にあの穴の前に集合です。そこから瞬間移動で脱出します!」
そうフブキが仲間たちに呼びかけた後で、クルス・ホームは「これで素材採取に専念できますね」と呟いた。
それからクルスは、視線を壁に生えた紫の鉱石に向け、そこに向かって歩み寄る。そんなクルスの後姿をノア・ホームが追いかけた
「クルス。ちょっと待ちなさい。一緒にやりましょうよ。姉妹仲良くね♪」
「だから、僕は弟です!」と怒るクルスの右隣に並んだノアはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「見た目女の子なんだからさ。妹扱いしてもいいじゃない。あっ、このクエスト終わったら、今度こそ一緒に買い物しようよ。かわいい服、いっぱい着せてあげる」
「お断りします」とグイグイと距離を詰めてくる姉を弟が拒む。それでもノアはクルスの反応を気にせず、口角から涎を垂らした。
「ううぅんっ。かわいい服を着たクルス、さいこう。白いフリルが付いたワンピースもいいけど、私の古着もいいかも。昔、私が着てた服をクルスが着てるの、想像しただけでヤバイわ。昔の私の汗が浸み込んだあの服がクルスの肌に触れた瞬間、私の中の宇宙が大爆発するの」
「それがお望みなら、今すぐ爆弾を生成しましょうか?」
うっとりとした表情を浮かべたノアの背後にフブキが立つ。背後からとてつもない冷気を感じ取ったノアは、振り返ることなく体を小刻みに震わせる。
「あっ、相変わらず冗談が通用しないわね」
「そんな無駄口叩く暇があったら、早く素材採取してください。とりあえず、一人二個採取できたら、あの穴の前に集合です。もうマスターとホレイシアは作業に取り掛かっているので、遅れないでください」
それだけ伝えたフブキはノアに背を向け歩き出した。
目の前に見える紫色の鉱石を左手の銀の小刀で削り、右手で持った鉄製の小槌でそれを叩く。その作業を数十回繰り替えすと、採取すべき鉱石がひび割れ、地面に落ちた。
それを拾い上げたクルスが「はぁ」と息を吐き出す。
「確かに、一人だとキツそうですね」
「そうでしょ? 最低でも六人いないと厳しいクエストだと思うわ」と隣で採取作業を行っているノアが首を縦に動かす。
「一人であれだけのオークと戦い、短時間で必要なアイジスト鉱石を採取するなんて不可能です。一緒に戦ってくれてありがとうございます」
素直な気持ちを伝えたクルスが、二個目のアイジスト鉱石を銀の小刀で削る。そんな弟の隣で姉が笑顔になる。
「愛する弟のためになれて、嬉しいわ」
笑顔のままで石を叩き割ったノアが、地面に落下した鉱石を回収する。
そのまま作業を続け、数分で必要な鉱石を全て採取したクルスとノアが、立てた右手の薬指で使った道具を触る。そうして、道具を別空間に消し去ると、ふたりは横に並んで出入口になっている穴に向かい歩き出した。
穴の前には、既に採取を完了したフブキたちがいる。
彼女たちに向かい一歩を踏み出したクルスの隣でノアが右手を差し出す。
「ほら、姉妹仲良く手を繋いでいこう!」
「だから、僕は弟です!」
姉から目を反らす弟の隣でノアがため息を吐き出す。
「ああ、残念。頑張ったご褒美が欲しかったんだけど」
「この姿になってノア姉ちゃんと一緒に戦えて頼もしいと思いましたが、やっぱり恥ずかしいです」
「相変わらず素直じゃないわね」とノアな苦笑いを浮かべ、フブキの前で足を止める。
同じようにクルスも停止すると、フブキが顔を上げ、周囲に集まった仲間たちの顔を見渡した。
「アイジスト鉱石の採取が完了したようなので……」
「ちょっと待った。そろそろ俺にも仕切らせろ。こう見えて、俺がギルドマスターなんだからな!」
フブキの近くにいたムーンが彼女の声を遮る。その獣人の少年の右隣でホレイシアは慌てたように両手を振った。
「ちょっと、ムーン。早くしないとあのオークたちが復活しちゃうから」
「フブキ、クエスト完了だ。脱出するぞ!」
「全く、マスターは変なこだわりがありますね。言われなくても分かっています」
ため息を吐き出し、目を伏せたフブキが横並びになっているムーンとホレイシアの肩に触れる。一瞬でふたりが姿を消すと、今度はクルスとノアの肩に手を伸ばす。その手がふたりの肩に触れた瞬間、彼女たちの体が一瞬で消えた。
クルス・ホームは目をパチクリと動かした。そこは昨日も来た集合場所の広場。多くの待ち人たちが集まる石畳の広場には、ノアたちの姿もある。
「無事にクエスト達成だね。さあ、クルス。今から買い物に行くわよ!」
楽しそうに会話するムーンとホレイシアから離れたノアが、目を輝かせ、ノアがクルスとの距離を詰める。それに対して、クルスは強く首を横に振りながら体を後ろに飛ばした。
「いいえ。そんなことをする暇はありません。これから歩いて帰ります。今から行けば三日後の朝までにはヘルメス村に辿り着けそうです」
「少しは休みなさいよ。さっきの戦いで体疲れてるでしょ? 姉として心配だわ」
「先ほどの戦いでホレイシアさんに回復してもらいましたから、大丈夫です。昔から体力には自信がありますから」
「でも、女の子の体になって、持久力も落ちてるんでしょ? ホントに大丈夫?」
心配そうな顔になったノアがクルスの顔を覗き込む。両肩を優しく掴んだ姉の前で、クルスは真剣な表情になる。
「別に三日三晩休まずに歩き続けるつもりはありませんし、回復術式を施すための素材も持っています。大丈夫です」
「だったら、フブキに送ってもらったら? ヘルメス村なら、フブキに……」
そう言いながら、クルスの両肩から手を離したノアは、近くにいるヘルメス族の少女に向けた。
だが、フブキは首を横に振りながら、ノアの元へ歩みを進める。
「いいえ。残念ながら、それはできません。それがステラの指示ですから。帰りも瞬間移動というインチキを使うなとのことです」
「ステラって誰だっけ?」と聞き慣れない名前を耳にしたノアが首を傾げる。
「格闘技の師匠です」
クルスの補足説明を聞いたノアが興味津々な表情の顔を前に向けた。
「ふーん。よく分からないけど、その子に格闘技習ってるんだ。これは姉としてご挨拶しなくちゃ。フブキ、今すぐヘルメス村に連れてって!」
「フブキの故郷かぁ。俺も行ってみたかったんだ。俺もいいか?」
近くで聞いていたムーンがノアの話に喰いつく。すると、フブキは深く息を吐き出した。
「はぁ。現在、ステラはエルメラ守護団の仕事の真っ最中なので、今から行っても会えません。次の機会にしてください」
「まあ、いいわ。みんな、午後から副業の仕事があるから今日は無理そうね」
フブキの声を受け入れたノアが、愛する弟から離れていく。その後で、フブキはクルスに小さなカゴを差し出した。その中には、六個のアイジスト鉱石が入っていた。
「はい。クルス」
「これって……」
「もちろん、あの錬金術式に必要なアイジスト鉱石です。私とマスター、ホレイシアが採取したモノが入っています。それとクルスが採取したモノを合わせれば、必要な素材が揃います」
「えっ、私が採取したのは必要ないの?」と近くにいたノアが目を丸くする。
「それは今回のクエスト報酬としていただきます」
「だったら、私が持ってるのもクルスにあげちゃおうかな? あのカゴから二個の鉱石を取り出したら、問題ないでしょ?」
そう言いながら、ノアは右手の薬指を立て、空気を二回叩いた。そうして、召喚された鉱石を持ち、クルスが持っているカゴに手を伸ばす。だが、クルスは右手で持ったカゴを後ろに回した。
「ノア姉ちゃん、ごめんなさい。それはできません」
「イジワルね。まあ、いいわ。この鉱石を加工して、お揃いのネックレス作るから、楽しみにしててね♪」
「貴重な素材をそんなことに使うなんて。これだから人間は」
フブキが頭を抱えると、クルス・ホームは姉が所属するギルドのメンバーたちに対して頭を下げた。
「みなさん、短い間でしたが、ありがとうございました!」
「ああ、もう行くんだな。また会いたいぞ」
クルスの言葉を受けたムーンが前髪がない額を掻く。その右隣に並んだホレイシアがフードを剥がし素顔を晒す。赤髪をツインテールに結ったハーフエルフの少女に視線を向けたムーンが目を丸くする。
「おっ、ホレイシアが珍しく人前でかわいい顔を見せたぞ!」
「違うよ。顔を隠したままで別れの挨拶なんて、できるわけないでしょ? クルス、アソッドに伝えてくれたら嬉しいな。しばらくヘルメス村に滞在してるんだったら、近いうちに遊びに行くからって」
「はい。伝えます」
頷くクルスの肩をノアが優しく叩く。
「クルス、元気でね。一緒に戦えて嬉しかったわ」
「はい。ノア姉ちゃん、また会いましょう」とクルスが姉に言葉を返した後で、ムーンはクルスの近くにいるフブキに視線を向けた。
「おい、フブキ。クルスになんか言った方がいいんじゃないか?」
「……そうですね。では、私からも一言。油断大敵。この言葉を覚えてください」
「ありがとうございます」
明るく元気に礼を述べたクルス広場から駆け出していく。その姿を、ノアたちが見送った。