第135話 宿屋
居心地の悪い女子会が終わる頃には、空は暗くなる。
街の中にある宿の一室でクルス・ホームは溜息を吐き出し、目の前に見えた椅子に腰かけた。
キレイに片づけられたその部屋には、木製の机と椅子、ベッドしかない。
「一人部屋で良かったです」と呟いたクルスは不満そうな顔をしたノアの姿を思い浮かべた。
少女の姿になった弟と添い寝するつもりだったノアに対して苦笑いをする。
ちょうどその時、窓から月明りが差し込み、扉を叩く音が数回響く。その音に反応したクルスは、椅子から立ち上がり、扉を開けた。
そうして、顔を上げると、視線の先には白いローブで身を包むフブキ・リベアートの姿がある。
「えっと、フブキさん? 何の用ですか?」と尋ねると、フブキはジッとクルスの顔を見つめ、両手を合わせた。
「一分だけでいいので、部屋に入れてください」
突然の申し出に、クルスは目を点にした。
「別にいいですよ」と頷いたクルスはフブキを部屋の中へ招き入れた。
そして、扉が閉じられるのと同時に、ヘルメス族の少女が頭を下げる。
「一言謝らせてください。先ほどはウソを吐いてしまいました。ごめんなさい」
「えっと、何の話ですか?」
訳が分からず困惑したクルスの姿を、顔を上げ認識したフブキは無表情で深く息を吐き出す。
「先ほどの女子会です。ルス・グースとフェジアール機関が共同研究をするという作り話をしました」
「ああ、あのことですか?」とようやく納得できたクルスが両手を叩く。
「はい。話を合わせていただきありがとうございました。ノアを誤魔化すためには、ああ言うしかなかったんです」
「誤魔化すって……もしかして、フブキさんはアソッド・パルキルスのことをギルドの仲間に話さないんですか?」
「はい。アソッド・パルキルスはあなたたちと旅を始めるまで、私たちのギルドに身を寄せていました。数カ月間だけでしたが、マスターたちは記憶を失ったアソッドの居場所になろうとしていました。おそらく、マスターたちがアソッドの秘密を知れば、一緒に戦うはずです。立場上、私はあの子たちと一緒に戦うことができませんし、あの子たちを危ないことに巻き込みたくありません。だから、秘密にするのです」」
「……そうなんですね」
ホントにそれでいいのだろうか?
クルス・ホームの中で迷いが生まれる。その瞬間、眉間にしわを寄せ考え込むクルスの右肩に、フブキが優しく触れた。フブキ・リベアートは心を見透かしたかのような目で、クルスの顔を見ている。
「大丈夫です。これは私たちだけの問題ですから。とにかく、あの秘密は隠し続けます。それがマスターたちのためですから」
それだけ伝えたフブキは、クルスの肩から手を離す。
目の前にいる巨乳少女に背を向けたフブキに対して、クルスは右手を伸ばした。
「それでも、昔の仲間が一緒に戦ってくれたら、心強いと思うんです」
クルスの声に反応を示すことなく、フブキは黙って部屋から出て行った。
「やっぱり、友達が大変な目に遭ってるのに、何もしないなんてできるはずがありません」
フブキ・リベアートの訪問から数分ほどが経過し、ベッドの上に寝転んだクルスが呟く。
この宿には、アソッド・パルキルスを保護していたギルドメンバーたちが滞在している。
数週間後、彼らは彼女が世界の命運を賭けた戦いに巻き込まれることを知らず、平穏な日常を過ごす。
そんなことができるのだろうか?
事情を知れば、彼らは彼女のために戦おうとする。
それをフブキ・リベアートは望まない。
ここは、事情を知るフブキの意見を尊重するべきなのだろうか?
頭の中で思考を巡らすクルスは、再び扉を叩く音を耳にした。誰が来たのだろうかと思いながら、ベッドから起き上がり、扉を開け、顔を前に向ける。
その視線の先にいたのは、室内にも関わらず黄緑色のローブのフードを目深に被った少女。
新たなる訪問者は、顔を上げ、ジッとクルスの顔を見つめた。
「良かった。まだ起きてたみたいで」
「えっと、ホレイシアさんでしたっけ?」
待ち合わせ場所で出会い、一言会話しただけの少女の名前をクルスが呼ぶ。
すると、ローブ姿の少女は右手を開き、左右に振った。
「あっ、呼び捨てでいいよ」
「じゃあ、ホレイシア。何の用ですか?」
「ちょっと相談したいことがあって……部屋に入っていいかな?」
そわそわと周囲の様子を気にする少女が、クルスに尋ねる。それに対して、クルスは首を縦に動かした。
「別に構いませんが……」
「ありがとうございます!」と頭を下げたホレイシアは、部屋の中へと足を踏み入れた。
扉を閉め、室内にある木製の机の前に立ち、クルスと向き合ったホレイシアが、深く深呼吸する。
右手で左胸を押さえた彼女は、左手だけで目深に被ったフードを剥がし、素顔を五大錬金術師の助手に晒す。
赤髪をツインテールに結った少女の両耳は、少し丸みを帯びた三角形のような形をしている。それ以外の特徴は人間と同じ。
その姿を一目見たクルスは目を丸くした。
「もしかして……」
「はい。私はハーフエルフです。お母さんがエルフで、お父さんが人間。昔からこの見た目が原因でイジメられてて、自分に自信が持てなくなったんです。他人の目も気になって、ローブのフードを目深に被って顔を隠してきました」
事情を明かすホレイシアが真剣な表情でクルスと向き合う。
だが、クルスはホレイシアの真意を理解できず、首を傾げた。
「どうして、そんなことを僕に教えるんですか?」
「理由は二つあります」とホレイシアは右手の人差し指と中指を立てた。
「二つ?」
「はい。一つは明日のクエストを攻略するため。こういうクエストは仲間との信頼関係が大切なんです。顔を隠している人を信用できるのかと聞かれたら、多くの人はできないと答えるでしょう。顔を隠してるってことは、何か疚しいことがあるんじゃないかって。当たり前だけど、ギルドの仲間は全員、私の素顔を知ってます」
「もう一つは?」
「誠意を見せるためです。相手に顔を隠して、相談するなんて、私にはできません。本職の薬屋でも素顔を隠さず接客してますから。ホントは最初に会った時に、素顔を見せた方が良かったけど、あの広場には他の人がいたから、できませんでした。ごめんなさい」
オレンジ色の瞳を伏せたホレイシアが頭を下げる。
そんな彼女の前で、クルスが優しく微笑む。
「別に謝らなくていいですよ。それにしても、ホレイシアは真剣に人のことを考えるいい人だったんですね」
その優しい一言を耳にして、瞳を開けたホレイシアの表情が明るくなる。
「ありがとうございます。では、本題です。こういうことを頼むのはどうかと思ったけれど、あの五大錬金術師の助手の意見が聞いてみたいと思ったので……」
首を傾げるクルスの前で、ホレイシアは右手の薬指を立て、空気を叩く。その瞬間、彼女の指先から一枚の紙が召喚された。
左右に揺れながら落ちていくそれを右手で掴んだホレイシアは、クルスにその白い紙を見せる。
「クルス、これを見て。回復術式の錬金術書。明日のクエストで使う予定なんだけど、問題なく使えるのか分からなくてね」
そう言いながら、ホレイシアは錬金術書をクルスに手渡した。それを受け取ったクルスは紙に書かれた術式を読み進める。
「なるほど。興味深い回復術式です。素材の使い方も上手く、洞窟内にあるモノも有効に活用できています。っもしかして、この錬金術書を書いたのって……」
「私だよ。フブキと一緒に明日行く洞窟のこと勉強して、こういう回復術式は使えないかなって考えてみたの。いつもはフブキに術式を見てもらってるんだけど、せっかくだから五大錬金術師の助手さんに見てもらおうと思ってね」
ホレイシアが笑顔で右手を挙げる。錬金術書から顔を上げたクルスは、首を縦に動かした。
「それにしても、この術式はスゴイです」
「……恥ずかしいから、そんなに褒めないで。フブキから渡された錬金術書や本で読んだ術式を参考にしてみただけだから」
恥ずかしそうに顔を赤くしたホレイシアが両手を左右に振る。
「頼りになりそうですね」とクルスが声に出すと、ホレイシアはホッとしたような顔になる。
「でも、良かった。ちゃんと使えそうなんだよね?」
「はい。素材さえあれば、問題なく使えると思います」
その答えに安心したホレイシアはクルスに対して会釈した。
「ありがとう。じゃあ、また明日」
嬉しそうな顔のホレイシアが、フードを目深に被り、部屋から出て行く。
そんな彼女をクルスは右腕を前に伸ばして、呼び止めた。
「ちょっと待ってください。一つだけ聞き忘れたことがあります」
「えっ」と声を漏らしたホレイシアが立ち止まり、体を半回転させる。
「ムーンさんの異能力についてです。彼はどのような能力を……」
「うーん。クルス、ホムラリウムって知ってる?」
クルスの疑問の答えないホレイシアが、五大錬金術師の助手に問いかける。
突然のことで呆気に取られたクルスは、目をパチクリと動かした。
「はい。燃焼するとオレンジ色の閃光を放つ物質で、生成するためには特別な実験器具が必要だと聞いたことがあります。それがどうしたんですか?」
「ごめんなさい。私はこれ以上のことが言えないの。じゃあ、また明日」
クルスの前で両手を合わせたホレイシアが部屋から出て行く。その後ろ姿を見たクルスは困惑の表情を浮かべた。