第132話 愚弟
黄昏に染まろうとしている空の下、近くに噴水がある石畳の広場で、クルス・ホームは周囲を見渡した。
「そろそろ時間のはずなのですが……」と呟く彼が、周囲からの視線をぶつけられ、頬を赤く染める。
待ち合わせ場所として有名な広場の男たちが鼻の下を伸ばす。白のワイシャツの下に浮かぶ大きなふたつの塊に釘付けになっている彼らを無視して、瞳を閉じると、そのうちの一人が、クルスの元へ歩み寄る。
「おお、姉ちゃんの胸、すごくデカいぞ! 暇だったら、俺と……」
正面からナンパ男の声を聴いたクルスは、ため息を吐き出しながら、瞳を開けた。そこにいたのは、クマのような半円の両耳を生やした獣人の少年。黄緑色のローブで体を覆う彼の瞳には、ピンク色のハートマークが浮かび上がっていた。
すると、獣人の少年の右隣に、少年と同じローブを着た少女が並び、ナンパ男の右耳を引っ張った。
「ねぇ、そんなことしてないで、早く、あの人を探さないと……あっ」
フードを目深に被り顔を隠す少女の動きが止まるのと同時に、クルスの目が背後から伸ばされた別の人物の手で塞がれてしまう。
「だーれだ?」
背後から聞き覚えのある女の声を耳にしたクルスは、暗闇の中で答えを口にする。
「……ノア姉ちゃん」
「当たりだよ♪」と嬉しそうな声を出す黒髪セミロングの女が、一歩後退した。驚き目を見開いたクルスが、体を半回転させ、突然現れた姉と顔を合わせる。
「ノア姉ちゃん、なんでここに?」と尋ねてくる少女の姿になった弟が尋ねてくると、ノアがニヤニヤと笑い出した。
「ふふふ。私は今、すごく嬉しいの。だって、久しぶりにクルスと一緒に過ごせるのだから」
「全然、答えになっていません。とにかく、僕は……」
「おーい。ノア。俺にも紹介してくれ!」
クルスの言葉を遮った獣人の少年が、ノアに尋ねる。
「そうね。まだ一人足りないけど、紹介するわ。私の弟のクルス・ホーム。フェジアール機関の五大錬金術師、アルケミナ・エリクシナの助手をしてる人よ。今は、例のシステムの影響で女の子になってるけどね」
その紹介を受けて、獣人の少年の顔が青く染まった。
「マジかよ。男だったのか!」
ショックを受けた獣人の少年の右肩を、ローブの少女が優しく叩く。
「別にそんなことでショックを受けなくても。でも、良かった。見つかったみたいで」
顔を隠す少女がフードの下でホッとしたような顔になる。
「えっと、この子たちは、ノア姉ちゃんの知り合いですか?」
「正解。この子たちは……あっ、いた、いた!」
広場の右奥に白いローブ姿の白髪少女を見つけたノアが、右手を左右に振る。その少女の耳は尖っていて、腰よりもやや上の長さまで伸ばされたキレイな後ろ髪を揺らしながら、こちらへ進んでいく。
「この子、もしかして……」と呟いたクルスは、ジッと正面に見えた少女の姿を見つめた。その目から何かを察した白いローブの少女が頷く。
「お察しの通り、ヘルメス族です。全く、少し遠くから見てましたが、あなた、隙だらけですね。背後から近づくノアに気づかないなんて、期待外れです。どうやら、私よりも序列が高いアイリスに勝てたのは、運が良かったからのようですね」
「ちょっと、フブキ。初対面でそんなこと言わないで! 失礼だよ!」とフードを目深に被る少女がクルスとヘルメス族の少女の間に割って入る。それに続けて、ノアも右手を握りしめた。
「ホレイシアの言う通りよ。私の弟をバカにした発言、絶対に許さないわ」
「お前ら、こんなとこでケンカするな。クルスだっけ? 何も分からないって顔してるぞ。早く、俺たちの紹介した方がいいんじゃないか?」
そう言いながら、獣人の少年が、目を点にしている巨乳少女に視線を向けた。
少年に促され、ノアが両手を叩く。
「そうね。みんな揃ったことだし、紹介するわ。この少年はムーン。ウチのギルドマスターだよ」とノアは右手の甲で獣人の少年の体を指した。
ムーンは暑苦しい茶色い獣の毛で覆われた首元を掻きながら、頭を下げる。
「ムーン・ディライトだ。よろしくな!」
その獣人の少年に視線を向けたクルスは目を丸くした。
彼の右手の甲には、EMETHの文字が刻まれている。
クルスの前にいるのは、システムの影響で姿を変えられた被害者。どのような能力が使えるのかは分からないが、頼れる仲間に違いない。
そんなことを考えていたクルスと顔を合わせたムーンが首を傾げる。
「俺の顔に何か付いてるか?」
「いいえ。そうじゃなくて、例の能力者なんですね?」
「ああ、そうだ。珍しいだろ?」
「マスター。他にも能力者はいるので、珍しいわけではありません」
ムーンの近くにいるフブキがため息を吐き出すと、ムーンは視線を彼女に向けた。
「いや、珍しいと思うぞ。俺以外に異能力が使えるヤツに会ったの、久しぶりだからな」
「……それもそうですね」とフブキが呟いた後で、クルスはノアの元へ歩みを進めた。
「えっと、ノア姉ちゃん、ギルドって……」とクルスが目をパチクリと動かすと、ノアが優しい口調で答えた。
「この前、話したよね? サンヒートジェルマンで出会った面白い子たちのギルドの正式メンバーになるって。それがこの子たちだよ」
「ああ、つまり、今はこの子たちとギルド活動を……」
「そうそう。それで、話を戻すと、ムーンの右隣にいるのは、ホレイシア。薬草や回復術式に詳しい子だよ。ちょっと恥ずかしがり屋で、常にあんな感じで顔隠してるけど、気にしないで」
同じように、右手の甲でムーンの隣にいる少女を指す。
「ホレイシア・ダイソンです。よろしくお願いします」と内気さを感じさせないような明るい声で、ホレイシアが挨拶する。
「ところで、アソッドは? クルスと記憶を取り戻す旅に出たって聞いたけど……」
ホレイシアが周囲を見渡すように首を動かした後で、ノアが「あっ」と声を漏らす。
「そういえば、ルナちゃんもいないね。どこにいるのかな?」
首を傾げたノアは、サンヒートジェルマンで出会った銀髪の幼女の姿を思い浮かべた。
「はい。ルナとアソッドはヘルメス村で僕の帰りを待っています」
素直な答えをハッキリとクルスが伝え、ホレイシアとノアは納得の表情を浮かべた。
「なるほど。フブキの故郷を拠点にしたんだね」と呟いたホレイシアが、視線を左隣にいるヘルメス族の少女に向ける。
それから、ノアは、右手の甲で近くにいる白髪の少女を示した。
「そして、クルスの目の前にいるヘルメス族の女の子が、フブキ。強くて、賢くて、私たちをいろんな場所に連れて行ってくれる頼もしい子だよ」
「私を無料の交通機関か何かと勘違いしているようですね。これだから、人間は……」
フブキがノアに冷たい視線をぶつける。その間にムーンは、ジッとフブキの顔を見つめた。
「おい、フブキ。ちゃんと自己紹介しろよ」
「……フブキ・リベアートです。ステラから話は伺っています。明日は、私たちセレーネ・ステップと一緒にアイジスト洞窟のアイジスト鉱石採取に挑むそうですね?」
フブキの話を聞き、クルスはようやく状況を理解できた。
「ああ、一緒に素材採取をしてくれるギルドって、ノア姉ちゃんがいるギルドだったんですね」
納得の表情でクルスが両手を叩く。その近くでノアは首を縦に動かした。
「そうだよ。ホントはもう一人いるんだけど、本職が忙しいからって今回は不参加なんだよね」
「本職って?」
「あっ、そういえば、まだ話してなかったね。実は、私たちは副業としてギルド活動してるんだ。ムーンは、刀鍛冶工房、ホレイシアは薬屋で普段働いてるんだよ」
ノアの説明を聞いていたクルスは、フブキに視線を向けた。
「……ってことは、フブキさんはエルメラ守護団とギルド活動を両立しているんですね?」
「この程度のこと、私の話をちゃんと聞いていたら、誰でも分かることです。どうやら、洞察力はサル以上のようですね」
フブキがクルスに冷たい視線を向ける。その後で、ホレイシアは両手を合わせて、ノアの弟の元に一歩を踏み出した。
「クルス、ごめん。フブキは正解って言いたいみたい」
「別に気にしていませんから」
クルスが苦笑いを浮かべると、ノアが目を輝かせて、両手を合わせた。
「ということで、クルス。今日こそかわいい衣服を買ってあげるわ」
「いっ、衣服……」と呟いたクルスが背筋を伸ばす。目の前に見えた姉は、うっとりとした表情を浮かべ、口元から涎を垂らしていた。
「はぁ。はぁ。はぁ。もう我慢の限界。まずは、その男物のジーンズを脱がして、かわいいスカート履かせたい。いや、履かせろ!」
ノアが強引にクルスの右腕を掴む。それを近くで見ていたホレイシアは静かに一歩後退した。
「イヤです。離してください!」
「離さないわよ。これから一緒に衣服を買いに行って、一緒に美味しいモノを食べるの。それから、一緒にお風呂に入って、同じベッドでいい夢を見る。今日は長い夜になりそう♡」
ノアが茶色い瞳にハートマークを浮かべた。
一方で、ムーンは一歩を踏み出し、クルスとノアの間に割って入る。
「ノア、いい加減にしろ。嫌がってるぞ」
「マスターの言う通りです。私的な買い物を楽しむ時間はありませんから。マスターとホレイシアで薬草など必要物資の調達。残った私とノアでクルスの戦闘能力を評価する。そういう計画です」
ムーンの抗議の声に続き、フブキが同意を示す。その後で、ノアは不満そうに口を膨らませた。
「もぅ、相変わらず頭が固いなぁ。 私は、クルスと一緒の時間を楽しみたいの。早くしないとお店閉まっちゃうでしょ? 一時間、いや、三十分でいいから、自由時間をください!」
「……はぁ。クルスの戦闘能力評価が終わってからでいいなら、問題ありません」
「ホント! フブキ、ありがとっ!」
表情を明るくしたノアがフブキに背後から抱き着く。だが、その体は一瞬で消え、クルスの左隣に姿を現した。
「別に、家族水入らずな時間も大切だと思ったからです。この程度のことで感謝するなんて、その頭には何も詰まっていないようですね」
フブキが恥ずかしそうに頬を赤らめ、ノアから目を反らす。
「最も、時間の使い方を決めるのは、クルスです」とボソっと呟いたフブキは、隣にいる巨乳少女の横顔を見上げた。