第120話 ふたつの試練
翌日の朝、青色のメイド服を着た少女は、白い三角屋根の一軒家を見上げた。
青い短髪の彼女は、細く長いもみあげを揺らし、目の前に見えるドアノブに手を伸ばす。
その瞬間、彼女の背後に白いローブのフードを目深に被る一つの影が迫った。
一瞬で背後の気配を感じ取ったステラ・ミカエルが振り返ることなく瞳を閉じる。
「別に同行しなくてもいいです。マリー」
「そういうわけにはいかないよ。挨拶くらいさせてよ。ルクリティアルの森で一目会っただけで、言葉を交わすこともなかったクルス・ホームに」
その言葉に全てを察したステラが深く息を吐き出す。
「はぁ。大体わかったです。要するに手合わせしてみたいということです?」
「正解。同じ傍付きなのに、ヘリスだけズルいよ。アタシも戦ってみたい。噂の能力者と!」
「……分かりました。それでは、次の試練に協力してもらいます」
それからステラは、右手の薬指で空気を叩き、一枚の白い紙を召喚し、それをマリーに渡した。
「これが予定表ですが、手加減しないでください。完膚なきまで叩き潰す勢いでお願いします」
「もちろん」と右手の人差し指を伸ばしたマリーはステラの背後から姿を消した。
「……相手は紺碧の重戦士。面白いです」
ボソっと呟いたステラがドアを開け、カリンの家へと足を踏み入れた。
「失礼するです」と軽く挨拶を口にしたステラが廊下を突き進み、目の前に飛び込んできた扉を開ける。
その先にある木目調の部屋の中には、家主の姿はなく、室内には三人しかいない。
銀髪の無表情幼女、アルケミナ・エリクシナ。
右肩にふわふわとした白い毛を生やす小さなドラゴンを乗せた細目のヘルメス族少年、アタル・ランツヘリガー。
そして、大きな胸を持つ黒髪ロングの女、クルス・ホームしかいない。
一方で、室内に入ってきたステラと目があったアタルは、ビクっと背中を伸ばした。
「えっ? ステラさん?」
驚き目を見開くアタルの肩の上で、ユイは首を訪問者の方へ向ける。
「ララッ、ラララ?」
「この人がステラさん? そうだけど、もしかして知ってるのか?」
「ララ」
「名前だけね」
そんな小さなドラゴンとアタルのやり取りを近くで見ていたステラが、細いもみあげをくるくる回す。
「自然の通訳者、大活躍のようですね」
「ステラさん。そこは寒月の刀鍛冶って呼んでください!」
憤るアタルにステラが冷たい視線を向ける。
「赤光の騎士、ヘリスに勝ち越せたら呼んであげます」
「ララァ、ララ?」
ふたりの会話をアタルの肩の上で聞いていたユイが目を丸くする。そのリアクションに合わせて、アタルは首を縦に動かした。
「通り名がふたつあるのかって? 自然の通訳者は仲間が付けたあだ名みたいなヤツで、神主様が付けてくれた寒月の刀鍛冶が本当の通り名なんだ」
ユイが納得の表情を浮かべた後で、クルスはステラの元へ歩み寄った。
「おはようございます。ステラさん。これが昨日入手したプラドラの毛髪です」
クルスは頭を下げながら、右手の薬指で空気を叩き、ふわふわとした白い体毛を手の中に召喚した。
それをステラの元へ差し出すと、メイド服の彼女が首を縦に動かす。
「ご苦労様です。ヘリスから話は聞いているです。獣人騎士団と協力して、あの街で起きようとした陰謀を止めたそうですね? そのお礼としてその体毛を採取させてもらったと聞いたです」
「はい。その通りです」と明るく答えたクルスの前で、ステラは右手の人差し指と中指を立てた。
「では、次の試練は選択式にするです。第一の試練は、アイジスト鉱石の入手、第二の試練は決闘です。このふたつの試練を十四日後までに達成してくださいです。どちらの試練を先に達成するのかどうかは自由に決めて構わないです」
「アイジスト鉱石……アイジスト洞窟でしか入手できない特殊な鉱石だと聞いたことがある。あそこはダンジョン内には強力なオークが大量に生息している危険な場所」
近くで話を聞いたいたアルケミナが呟くと、アタルが同意を示す。
「そうだ。そんな危険なところに一人で行かせるつもりか? いくら異能力が使えるからって無茶だ!」
「安心してくださいです。第一の試練はあるギルドと協力してダンジョンを攻略し、錬金術の素材を入手する内容です。直接依頼したところ、三日後、トメリースに現地集合という条件なら受けると回答がありました」
「えっと、そのトメリースっていうのは……」
聞き慣れない地名にクルスが首を捻る。
「ヘルメス村から直進距離で五十キロ離れている小さな町です。過酷な道が続きますが、一日もあれば約束の時間に余裕で間に合うはずです。瞬間移動というインチキを使わず、一人で向かうがいいです」
「そんなぁ」と肩を落とすクルスをジッと見ていたステラは、何かを思い出したかのように手を叩き、立ち上がった。そして、彼女は視線をアタルに向ける。
「アタル、こんなところで油を売っていいです? そろそろ時間です」
「ララ?」
「時間って? これから道場で三対三の模擬戦をやるんだ」
「そうです。暇なら見学していいです。カリンから聞いてるです。その姿になるまでは、獣人騎士団として剣を振るっていたって」
首にEMETHの紋章が刻まれた小さなドラゴンの前で、ステラが両手を合わせて微笑む。
すると、ユイは目を輝かせて、アタルの肩から飛び上がった。
「ララァ」
その小さなドラゴンは、クルスへ向かって飛んでいく。
「ララララァ。アラ」
鳴き声を聞きながら、アタルはクルスの方へ歩みを進めた。
「ユイは元の体に戻って、模擬戦に参加したいらしい。昨晩は断られたけど、今日なら問題ないよな?」
そう言いながら、アタルは視線をアルケミナに向けた。その一方でアルケミナは首を縦に動かす。
「私が許可する。クルス、昨日ユイが着てた服を用意して」
「はい」
そう考えながら、クルスは右手の薬指を立て、床を一回叩いてみせた。
すると、昨日、ユイが着ていた水色の鎧が床の上に召喚される。
一瞬で胴鎧や腕当、脚当が仰向けになった騎士が着ていたかのように並べられた。
その後で、クルス・ホームは目の前で飛んでいるユイの首に触れた。
白い光に包まれたユイは、首元に開いた胴鎧の穴に体を滑り込ませる。
小さなドラゴンだった体は、みるみるうちに獣人の少女のモノへ変化していき、水色の鎧を纏う犬耳の少女は、仰向けになった体を起こした。
「良かった」と嬉しそうに呟く獣人の少女の緑色の後ろ髪は、腰の高さまで伸びている。
元の姿に戻ったユイ・グリーンの緑色の瞳が、近くにいるアタルを映し出す。
「一応、初めましてかな? この元の姿で会うの初めてだから。ユイ・グリーンです。よろしくお願いします」
アタルを顔を合わせたユイがにっこりと微笑む。
「あっ、ああ。初めましてって感じでもないが、よろしくな」
「じゃあ、アタル、道場までの道案内よろしくね。それと、クルスさん。元の姿に戻してくれて、ありがとう」
視線をクルスに向けた後、ユイはアタルと共に一歩を踏み出そうとした。
それよりも先に、アルケミナが彼女の背中に向けて右手を伸ばし、呼び止める。
「待って。ユイに渡したいものがある」
「渡したいモノ?」
首を捻ったユイが背後を振り向く。そんな獣人の少女の元へアルケミナが歩み寄った。
少しずつ距離が縮まると、ユイは小さくなった五大錬金術師と視線を合わせるために、膝を曲げる。
「利き手は右?」
唐突な問いかけにユイは目を丸くして、頷く。
「はい」
「じゃあ、左手の人差し指を立てて」
意図が分からないまま、ユイは左手の人差し指をまっすぐ立てた。その間にアルケミナは右手の薬指を立て、空気を叩く。そして、空中に浮かび上がった真っ白な指輪を銀髪の幼女が掴み、ユイの左手の人差し指に嵌めた。直径十センチだった指輪は、ユイの人差し指にすっぽり入るほどの大きさになるまで小さくなっていく。
「先生、その指輪は?」
近くで一部始終を見ていたクルスが首を傾げる。その一方でアルケミナはジッとユイの顔を見上げた。
「体温や脈拍を計測する指輪を嵌めた。軽量化されて重さはそんなに感じないし、利き手じゃないなら邪魔にならなくて済む。改めて、元の姿に戻った場合のデータ収集に協力してほしい」
「もちろん。それが当初の目的だから。それで、どのくらいこの姿でいられるの?」
「正確な時間は予測できないが、昨日と同じ一時間程度だと思う」
「そうなんだ。じゃあ、いってきます」とアルケミナの前で優しく微笑んだユイが彼女に背を向けた。
そして、元の姿に戻った獣人の騎士は、闘志を燃やした表情で前を向く。
そんな彼女の右肩に手を触れたアタルは、同じ身長の獣人の少女と共に姿を消した。
カリンの家に残ったクルスと顔を合わせたステラが、右手の薬指を立て、空気を叩く。そうして一枚の白い紙を召喚すると、メイド服の彼女はそれをクルスに見せた。
「さて、気を取り直して、第二の試練について説明するです。第二の試練の達成条件は、紺碧の重戦士を十分以内に倒すことです。ただし、紺碧の重戦士と戦うことができるのは、この紙に書いてある時間のみで、一日一回しか挑めないです」
「はい。分かりました。それで、今日はいつ戦えるんですか?」
「今日は一時間後、今ユイたちがいる道場で行うです。戦いたくなれば、道場に参るがいいです」
ステラの答えにクルスが闘志を燃やす。
「分かりました。今日、紺碧の重戦士を倒します!」
真剣な表情で宣言したクルス・ホームをステラ・ミカエルは冷たい目で見ていた。
次回、獣人の女剣士ユイVSヘルメス族の剣士たち。開戦です。