第102話 奇病
茶色く舗装された道の上を、アソッド・パルキルスが故郷の街並みを見渡しながら歩く。その右隣にいるリオは彼女の仕草をジッと見つめる。
視線が重なると、アソッドは嬉しそうな表情になった。
「やっぱり、いいですね。故郷って。この街に来て良かったです」
「ふわぁ。その言葉が聞けて良かったです」
リオもアソッドに同意するように喜ぶと、二人の後ろでアルカナは首を傾げた。
「ところで、リオ。さっきから気になってるんだけど、スシンフリと交代しないの?」
唐突な疑問の声を聴き、リオはギクっとした顔つきになる。
「今日は……恥ずかしがって出てこないようです」
「出てこないって?」と疑問に思うアソッドが首を傾げる。すると、彼女の右隣にいるリオは自分の板のように平らな胸を両手で抱きしめた。
「スシンフリはリオの心の中にいます。簡単に説明するならば、二重人格という表現が適切でしょう」
「そうだったんですね。一度会ってみたいです。記憶を失う前の私のことを知っているスシンフリさんに」
「リオはスシンフリと記憶を共有しているので、リオも思い出話くらいならできます。あの病院に連れて行ってくれたアソッドはスシンフリにこんな話をしたそうです。お母さんのような研究者になって、多くの人々を助けたいって」
「記憶を失う前の私がそんなことを……」と呟くアソッドの背後でアルカナは腕を組んだ。
「ふーん。アソッドのお母さんって、研究者だったんだ」
「回復術式を中心的に研究していて、現在はムクトラッシュ病院地下研究施設に在籍しているそうです。それと、身寄りのない人たちや身元不明の人々に苗字を分け与え、住む場所も分け与える活動もしているそうですよ」
「ふーん。結構詳しいのね」
リオの話に興味を示したアルカナがジッとリオの顔を見つめる。
「昔、アソッドから聞いた話をそのまま伝えただけです。あの時のアソッドは楽しそうな顔でこんな話をしていました」
「あれ? もしかして、私がお母さんって呼んでいた人と私は血が繋がっていないのでは?」
ふと浮かび上がった疑念を抱えたアソッドの前で、リオは首を横に振る。
「いいえ。血縁関係がある正真正銘の家族だそうです」
「そうなんですね。お母さんにも会ってみたい……」
希望を言いかけたその時、アソッドの視界の端で、黒髪の子どもたちが一斉に倒れていった。突然のことにアソッドは目を大きく見開く。
数秒間に何回も、ドサっという音が街中で響き、謎の現象を目の当たりにしたアルカナとリオは顔を強張らせる。
その直後、アルカナはリオに背を向け駆け出していった。
前方に捉えたのは、直径三センチほどの太さの緑の触手。
それがくねくねと動き、尖った先端から緑の胞子を吐き出す。
その動きを視認したアルカナは、咄嗟に右手の人差し指を立てた。
一方で、胞子が漂う空気の下で、緑の触手が一瞬の内に地中に潜っていく。
それと同時に、緑の胞子が南風に乗り、蝶の羽を生やした高位錬金術師の元へと飛んで行った。
「あの量、ヤバイ」と早口で危機感を抱くアルカナは右手の人差し指を立て、宙に魔法陣を記す。
東西に気を意味する上向きの三角形に横棒を加えた記号。
南北には、火を意味する上向きの三角形。
そして、中央に焼却を意味する牡羊座の記号。
それらを組み合わせ、魔法陣を記した直後、アルカナの背後から熱風が吹き出し、自然の南風と衝突した。
その衝撃で、胞子が乗った風が南の方へと押されていき、空気よりも軽い物質は吹き飛ばされる。
熱風と共に胞子を焼き払い、新たな脅威から身を守ったアルカナは「ふぅ」と息を吐き出した。
その間にアソッドは「大丈夫ですか?」と問いかけながら、突然倒れた人々の元へ駆け寄る。だが、何の反応もなく、人々は苦しい表情を浮かべるだけだった。
住民たちの額には脂汗が浮かび上がり、体は小刻みに震えている。
誰がどう見ても異常が起きている。
そう察知したアソッドは、右手を前に伸ばし、瞳を青く輝かせる。
だが、そんな彼女の眼前にリオが飛び込み、彼女の右手を優しく掴んだ。
「ここはリオの出番です。アソッドの能力だと、時間がかかりすぎます」
いつの間にか、右肩からピンク色のショルダーキーボードを斜めにかけ現れたリオが音色を奏でる。すると、人々の体が緑色の光に包まれていく。
震えと脂汗が消えていき、人々は数十秒ほどで何事もなかったかのように起き上がっていく。そんな現象を目の当たりにしたアソッドは、ホッとしたような顔つきになった。
「良かったです。ところで、アルカナさんは?」
周囲を見渡し同行者を探すアソッドの前でリオが頷く。
「原因追及です。この街の住民が倒れる直前にリオの目に黄緑色の粒子が見えました。今は南風が吹いているから、南方から漂ってきた粒子を吸い込んだことで、あのような症状に襲われたと考えた方が自然です。アルカナはリオと同じ見解だったのでしょう」
リオが見解を口にした直後、アルカナが息を切らして、アソッドたちの元へ駆け寄ってくる。
「はぁ。はぁ。ダメ。攻撃当てる前に逃げられたわ……」
「その話、ゆっくり聞かせてください!」
アルカナの声を遮り、左方から一人の黒い後ろ髪を三つ編みに結った小柄な少女。が駆ける。その少女は興味津々な表情で、アルカナの顔を見上げていた。
「えっと、あなたは……」と引きつった笑顔のアルカナと対面する少女は頭を下げる。
「ミラ・ステファーニアです。もしかして、あの症状の原因をあなたは知っているんですか? 知っていたら教えてください! お願いします」
真剣な表情で詰め寄ってくるミラに対して、アルカナは首を捻った。
「ミラちゃんだっけ? その口ぶりだと、みんなが突然倒れたのは今日が初めてじゃないってことかな?」
「はい。五日間連続であのような症状に襲われる人たちが増えています。昨日は森を挟んだ隣町でも同様の症状を発症した方が出てきたようです。私は、一刻も早く原因を突き止めて、恩人の無実を証明したいんです」
五日間連続でこの街の人々は同じ症状に苦しめられている。
そんな事実を把握したアソッドは一歩を踏み出し、アルカナの前で頭を下げた。
「アルカナさん。お願いします。ムクトラッシュのみんなが苦しめられているのに、見過ごすことなんてできません。私は、この問題を解決したいんです」
「ふわぁ。優しいんですね。決めるのはアソッドなので、リオは止めません」
アソッドの近くで両手を合わせたリオがチラリとアルカナの顔を見る。
「そうね。あっちには連絡しとくから、アタシも原因究明に協力するわ。高位錬金術師じゃないと対応できないかもしれない……」
語尾で締めくくろうとしたその時、ミラは目を輝かせてアルカナとの距離をさらに詰めた。
「あの。もしかして、アルカナ・クレナーさんですか? フェジアール機関の五大錬金術師!」
追求する少女の声に反応し、周囲にいた人々が一斉にアルカナの顔に注目した。
「どこかで見た顔だと思ってたら、アルカナちゃんだ!」
「なんで、ムクトラッシュにアルカナちゃんがいるんだ?」
「もしかして、俺たち、アルカナちゃんに命救われたのか?」
奇病に侵されていた人々の口から次々へと言葉が波紋のように広がっていく。
そうして、いつの間にかアルカナ・クレナーの周りを多くの人々が包囲し始めた。その中心でアルカナは照れた表情で頭を掻く。
「残念ながら、みんなを助けたのは、アタシじゃなくて、連れのリオちゃんだからね。そこは間違えないように。それと、アタシがここにいることは秘密にしといて!」
左隣にいたリオを右手で指したアルカナが首を横に振る。
その直後、野次馬の中で男が声を上げた。
「おう。任せとけ。次いでにサインしてくれ!」
「ふーん。次いでなんだ。まあ、これから忙しくなりそうだから、サインはまた今度ね」
「ええええっ!」と驚く野次馬たちの中心にいるアソッドは目を点にする。
「アルカナさんって有名人だったんですね。すごい人気です!」
「フェジアール機関の五大錬金術師を崇拝する者たちは多いそうです」
アソッドの隣でリオがボソっと呟く。
「……そうなんですね」と答えたアソッドは近くで唸り声を出すアルカナの顔を見つめていた。