第84話 夜の海は怖い#2
キス――――それは唇同士を合わせたり、単に頬や手の甲にするというものまで色々な種類があるが、少なからず俺がされたのは後者であった。
頬に感じる確かに柔らかな感触。
風呂上がりのせいか鼻孔をくすぐる嫌いじゃないニオイ。
夜の海という勘違いしにくいシチュエーション。
さすがの俺でも思考が停止もといパニックになってすぐさま行動が出来ないのは道理であった。
――――1秒経過
は、え、は!? 何が起こってんだ?
どうして俺は沙由良からキスされてんだ?
今さっきのやりとりになんの脈絡もなかったぞ!?
――――2秒経過
さすがのこいつでも何の脈絡もなくするわけがない!
絶対に何か意味があってやるはずだ!
だが、その意味とは一体? なんでこいつは本当に!?
――――3秒経過
「な、何してんだお前は!」
沙由良を軽く突き飛ばすような形で距離を取った。
明らかに顔が熱い。流石の俺でも前代未聞の事態だ。
そんな俺に対し、沙由良は突き飛ばされたことにショックを覚えるどころか唇に人差し指を立てて、もう片方の指で砂浜の方を指した。
その方向を妙に熱ぼったく感じる頬を抑えながら見てみると砂浜を繋ぐ階段の上に二人の人影の姿がった。
その二人はぎこちない様子で道路わきの歩道を歩いていく。
「あの二人、兄さんと乾さんですよ。
安心してください、こちら側は丁度月光によって顔バレはしていませんので」
なんとなく状況を理解した。
「......お前はあの二人にバレないようにキスしたってのか?」
「まぁ、学兄さんが何やらしてることはなんとなくわかってて、それが兄さんに対してバレないようにってのもわかっていましたのでカバーさせてもらったんです」
「そ、そうなのか......」
バレないことに安心したのやら突然の沙由良の行動に動揺が隠せないのやら、ともかく俺の思考と精神は未だ不安定のままで、立っていることもまともにできなくなったのかその場に座り込んだ。
「おやおや学兄さん、学兄さんなら女性の扱いについては熟知していると思っていましたが、どうやらそうではない様子ですね。
その初めて見るような真っ赤な表情。沙由良んズフォトショットは逃しません」
「俺だってこんなことされればさすがに動揺するわ! っていうか、なんでお前は平気そうなんだよ!」
「本当に平気だと思いますか? 確かにあまりに初心な反応は恥ずかしいから隠してる節もありますが、学兄さんがそこまで動揺してくださるのならさらけ出すのもやぶさかではありませんよ」
そう言うと沙由良は俺の手をそっと取った。
そして、自身の胸に近づけていく。
「確かめてみますか?」
あまりに真っ直ぐな目であった。
それが嘘である可能性を考えることすら否定するように。
よく見れば確かに無表情の沙由良の頬は薄紅色に染まっていて、耳なんかは真っ赤であった。
それが余計に俺の心拍数を加速させていく。
本気であるからこそ、余計に。
「か、勘弁してくれ......」
この時、俺は高校に入って初めて本気で負けた気がした。
いつもは主導権を握っている俺が、だ。
それも相手は年下でましてや中学生。
これほどまでに屈辱的な敗北は初めてだ。
俺の本気の言葉にさすがの沙由良も止まってくれた。
「むぅ、そこまで学兄さんに本気で拒絶されると悲しいのですが、逆に言えば現状で学兄さんにここまでした人はいないとも言えるかもしれませんね」
「あぁ、お前が初めてだよ......」
「私が初めてをいただいちゃいましたか。これは何とも幸先のいいスタートですね」
俺は沙由良の言葉を聞きながら顔を埋めるようにして三角座りした。
これ以上恥をさらすような表情を見せたくなかったからだ。
だから、沙由良がどのような表情で言っているかはわからない。
あいつもあいつで赤面してるから冗談めかして言っているのかもしれない。
いや、そうに違いない。そうじゃないとムカつく。
「あの二人は少し遠くの砂浜に行ったようですね。
あの二人には少なからずキスするカップルみたいに見えたでしょうから、しばらくは学兄さんの好きそうな展開になってそうですよ?」
「お前はどこまで俺を知ってるんだ......」
「知ってるんじゃなくて知ったんですよ。長い間、時間をかけて。
もちろんストーカー的な意味じゃないですが、それでも好きな人を知りたいと思って目で追ってしまうほどには見続けていたと思います」
少しずつ繰り返した深呼吸で心臓の鼓動は大分マシになった。
顔は相変わらず熱いが......それは夜風に冷ましてもらおう。
「俺とお前は俺が中学に上がって以降接点ないと思うが?」
「無くても見ていないとはイコールにならないですよ。
学兄さんがどう思うがそれは学兄さんの勝手ですが、さすがにキスまでする女の子の気持ちを蔑ろに考えたりはしないですよね?」
「......俺はお前が苦手だ」
「『嫌い』と言わない辺りがポイント高いですね。
安心してください、沙由良んへの好感度が何度目かの上限突破しましたよ。もうゼク〇ィ秒読みです」
「それだとゼク〇ィそのものを超速読してる意味にもなるぞ」
「不安定な状況でも的確なツッコミ。
今またレベル1のポ〇モンに学習装置をつけて高レベルポケ〇ンを倒した際に得た経験値で一気にレベル18ぐらいになるぐらいにレベルアップしました」
「お前、それ単にレベルが低すぎて逆に得る経験値は多すぎて上限突破繰り返してるだけだろ」
「まぁまぁ、レベル上がって損することはないじゃないですか」
「あれだぞ、最近のポケ〇ンは進化するとあんまり可愛くなくなるのがザラだぞ? 御三家なんて特にそう感じるけど」
「安心してください。進化先のスーパー沙由良んは超絶可愛いですから」
「例えば?」
「少なからず、学兄さんのあらゆる恋敵を必殺沙由良んドリルでノックアウトし、さらにはトレーナーを特性でメロメロにするというパーフェクトなポケ〇ンです」
「速攻でBボタン押すわ」
くだらない会話を本当にくだらないままダラダラと続けていた。
そして、もうその時には頬の熱は引いていて顔を上げれるほどまでには回復していた。
「少しは意識が削がれましたか?」
隣に同じように三角座りで座った沙由良がそう尋ねてくる。
その目はどこか気を遣ってる感じにも見えた。
「.....どういう意味だ?」
「本当に正直なことを言いますと、学兄さんを助けるという建前で単にムード値と興奮度が爆発してあらぬ強行に出てしまったわけです。沙由良ん、猛省です」
「本当にぶっちゃけたな」
とはいえ、あれが沙由良の心の気持ちであることは確かだ。
キスなんて行動はそれこそ好意を完全に持ってる相手にしかしないしな。
それでできる奴がいたら俺は女性不審になってるだろうし。
沙由良は立ち上がるとそのまま振り返った。どうやら帰るつもりらしい。
「とにもかくにも、私は好意を多く寄せられてる学兄さんに対して私という存在もちゃんと認識してもらいたかっただけです。
今はまだ中学ですし、学兄さんにも簡単に会えないですから。
ですが、もしその私の思い切った行動で学兄さんを傷つけているなら本当に――――」
「言わなくていい。知っててケジメをつけてない俺の問題でもある。
一度はケジメをつけようともしたが......どうにも俺はよくよく考えてみれば相手が悪いらしい」
「......確かにそうかもしれませんね」
俺は立ち上がると沙由良の横に立つと「夜道は危険だから」と告げて並んで歩いた。
そう言うと沙由良は「そういうとこですよ」と言うとそれ以降は一切しゃべらなくなってしまった。
そして歩道に出る階段を上がろうとすると沙由良が突然止まるので、何かと思って振り返ってみる。
すると、沙由良は自然な笑みを浮かべて告げた。
「やはり私はファンに恋してしまったみたいです」
夜の海に揺らめいで反射する月を背景に俺の視界は静かにその一瞬を永遠に収めた。
読んでくださりありがとうございます(*'▽')