第39話 音無さんの決意
「おーい、おっとなしさ~ん。聞こえてるよね?」
ズケズケと音無さんのパーソナルスペースに侵入していく三人。左から良菜、好美、早苗だ。
こいつらが中学時代に音無さんを極端にまでしゃべれなくした元凶。
言い換えれば、音無さんのトラウマだ。
三人がこのモールによく来ることは独自の情報網で掴んでいた。
そして、ちょっと早めの昼食を取ったのも偶然を装ってその三人と音無さんを偶然鉢合わせたような状況を作り出すためだ。
とはいえ、この三人とは実際に会うのはここで初めて......なんだが、どうにも生理的に受け付けられないな。
ギャルは好きな部類だが、こいつらからは悪臭がする。
「ねぇ、さっきまで普通にしゃべってたじゃん。
しゃべれるようになったんでしょ?
久しぶりに会ったんだからしゃべろうよ」
「っていうかさ、何その格好。気合入りすぎw。明らかに好意寄せてるってモロバレじゃん」
「んでさ、そこにいるのって音無さんの彼ピッピ?」
「......」
音無さんは頑なにしゃべらない。いや、しゃべれない。
過去にどんなことがあったのかわからないが、少なからずイジメは受けていたのだろう。
話してる内容からも滲み出る頭の悪さ。
お前らの陽キャ感丸出しの服より清楚で固めた音無さんの格好の方が結構好きだけどな。
とはいえ、仕掛けた俺が簡単に助け舟を出しては本末転倒だ。
ここはあくまで静観の姿勢で――――
「チッ、しゃべらねぇじゃん。で、そっちのブサイクな男子はこの子とどんな関係?」
好美だっけか? しゃべらない音無さんに痺れを切らして矛先を俺に向けてきた。
つーか、ブサイクで悪かったな。
これでも自分の顔は嫌ってないんだぜ?
「俺は音無さんとは友人ですね。
共通の趣味があったのでそれについてこうして話してる感じですね」
「ぷふー、聞いた? “友人”だってw。
完全に決めた服着ちゃってて、わかりやすく私が『好意モロバレ』とか言ってあげたにもかかわらず友人......脈なさすぎだろw」
やばい。大分ストレスが高まってきたな。
良菜って女すげー腹立つ。
この三人にはバレてないが、机の下では貧乏ゆすりが始まってる。
だが、耐えろ。一番辛いのは音無さんだ。
すると、早苗という女がスマホで何かを確認すると二人に告げた。
「ねぇねぇ、そろそろ映画が始まっちゃうみたいだよ」
「マジ? 早く行こ」
「久々に笑わせてもらったわ。またどっかで会おうね」
そう言ってまるで親しい友人と別れるかのように楽しそうに手を振りながら三人は去っていく。
そして、姿が消えたところでジュースを半分ほど一気に飲み干すとイラ立ったように机に叩きつけた。
「すっげー腹立つ。なんだあの頭の悪い女どもは!」
そう言うと俯いていた音無さんが不意に俺の顔を見る。
そして、悔しそうに口元を変形させ、やがて瞳から溢れんばかりの涙を流し始めた。
「私も......そう思います。
でも、私は何もできなかった。全然変わっていなかった。
影山さんの前では弱いままでいたくないって言ったばかりなのに......結局弱いままだった」
「......そこまで自分を責めるな。
実はいうと、これは俺が仕向けたことだ。
恨むなら俺を恨め」
「違いますよ。
これは私と影山さんの勝負なんです......事前に影山さんは『トラウマをほじくり返す』と言っていて、そのトラウマがきっとこういうことだろうと分かってて、耐え抜こうと決意して......結局この体たらくだったんです」
音無さんは悔しそうに両手でスカートの裾を握った。
泣いた後も必死に抑え込もうとしている涙も全ては虚しく弱さを主張するように流れていく。
今の音無さんは二つの意味で自分を攻めている。
それはトラウマに立ち向かうことが出来なかった自分への劣等感と俺への好意を裏切るような結果になってしまった惨め感。
前者はもともとの自分の弱さに対して嘆くものだろう。
しかし、後者は完全に俺という存在が音無さんを余計に精神に圧をかける結果を招いてしまっている。
俺との勝負は音無さんにとって俺への精いっぱいの自己主張だ。
好意を持ったとしても内気な性格が邪魔をして前に踏み出せない。
しかし、俺が提示した課題をクリアできれば、少なからず俺に対して印象を残すことは出来る。
音無さんは姫島のようにハッキリと好意を告げられない。
頑張ってるみたいだが、俺に対してだけ“しゃべれる”ということでしかアピールできていない。
つまりそれ以外で好意を示せるチャンスを俺が与えてくれたのに、自らの弱さでそのチャンスをふいにした。
それが今の音無さんの半分を占めている感情であろう。
もともと精神的に弱い音無さんのことだ。
これ以上は精神が壊れかねない。
これは俺が仕掛けて招いた結果だ。
どんな形であろうとフォローする義務がある。
「音無さんはさ、どうして弱いままじゃいけないと思ったんだ?」
「......」
「確かにさ、好きな人には自分のカッコいい姿を見てもらいたいと思う気持ちはわかるよ。
俺も小学校の頃は特に好きな女子がいなくても、女子の前では体育とか張りきってたし。
でもさ、別に弱くたっていいんだよ。
誰かに完璧を求められてるわけでもなければ、そうしろと強制されてるわけでもない。
逃げてもいいんだ」
「......」
音無さんは静かなままだ。
ただこちらに耳を傾けてはいてくれてる。
少しアプローチを変えてみようか。
「音無さんはさ、大人ってどうやってなれると思う?」
「......大人......ですか?」
「そ、大人。そりゃあ、このまま過ごしていけばやがて成人を迎えて晴れて大人の仲間入りってなるけど、きっとそれって俺達が思う大人になると違うわけじゃん?」
「そう......ですね」
「でさ、俺的に思うのは大人になるってのは逃げ知恵が上手くなっていくことだと思うんだ。
いわゆるリスク管理ってやつ。
社会に出ればきっと色んなことを課せられて、無知でもなんでもその課せられたことを達成するように動かなければならないと思う。
でも、それを1から10まで全てを完璧にこなせることはほぼ不可能。
手抜きってわけじゃないが、時には誰かに縋って自分の負担を少しでも減らすこともまた必要なのかもしれない」
「......」
「何でそう思かってさ、きっと守りたい大切なものがあるからなんだと思う」
「守りたい大切なもの......」
音無さんの顔が上がった。
俺はそっとショルダーバッグからハンカチを取り出すと音無さんに渡していく。
それを「ありがとうございます」と受け取った音無さんは涙を拭いながらも、視線をこちらに向け続けた。
「俺達は強くない。
勇者みたいに世界を守るなんてバカみたいにカッコいいことは当然できないから、せめて自分の手の届く範囲は守りたいと思う。
そりゃあ、立ちはだかる壁を自力で突破できるほどカッコいいことはないけど、必ずしもその壁を壊して前に進む必要はない。
時間がかかろうとも遠回りもありなんだ」
「影山さんは......私にトラウマを忘れて生きろってことですか?」
「極端に言うとな。
やっぱ嫌だったろ? 自分をイジメてきた連中に会うのはさ。
それにあいつらと関わらなかったら死ぬわけでもない。
だったら、とことん逃げちゃおうぜ」
「......嫌です」
どことなく周囲の雑音が聞こえなくなり、二人だけの静寂な空間で音無さんは震えた声ながらもそう告げた。
そして、決意を強くした瞳で俺を見て言葉を続ける。
「前に言いましたよね? 私達は気持ち悪い同士って」
「言ったかそんなの」
「言いましたよ。私はしっかりあの時の言葉が胸に刻まれています。
今でも鮮明に思い出すことが出来る特別な時間でした」
「言ったとして、音無さんは何を俺に伝えたい?」
「もう一度チャンスをください。
私は気持ち悪い......つまり異端なんですから、誰もが守るために逃げることを選択するなら、私はたとえ無惨に散ることになっても戦うことを希望します」
「......何が音無さんをそうさせる?」
「何がって、そんなの決まってますよ」
そう言って音無さんは少し恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、耳に澄んで聞こえるほど鮮明に告げた。
「やっぱり好きな人にカッコつけたいじゃないですか」
読んでくださりありがとうございます(*'▽')