第37話 梅雨の帰り時
「雨か......」
しとしとと降り続く6月の梅雨。
気が付けば雨が降っていて、一日中雨だなんてざらにあるこの季節。
詩的なことを言えば、雨は心が泣いているようで、青空を隠す雲は心に届く光を隠すようで。
つまりは気分が上がらずに暗くなりがちってことだ。
そしてそういう時期に起こった出来事はより問題の深刻さを推し進めるようで気分が悪い。
「あら、傘持ってないの?」
下駄箱の近くの屋根の下でぼんやりと空を眺めていたら横から姫島に声をかけられた。
「どうやら俺はこの季節の天気を舐めてたみたいだ。
朝は降ってなかったからチャリで来たのが不味ったな。
しかも、雨具もないという追撃パンチもきたもんだ」
「なら、貸してあげるわ」
大き目な傘をバサッと開くと取ってを左手に持って肩に乗せながらそう聞いてきた。
もしかして、折り畳み傘があるのか?
それは正直ありがたい。
「サンキュー。こうも雨だとチャリは学校に置いていくしかなさそうだからな」
「置いていくの? てっきり自転車で来てるのは家から遠いからだと思ってたけど」
「違う違う。ギリギリまで家でゆっくり出来るだろ? ただそれだけのため」
「影山君らしいわね」
「......」
「......」
「..........え、終わり?」
俺は姫島に右手を差し出しながらスタンバってるにもかかわらず、姫島は一向に折り畳み傘を出す気配がない。
いやまあ、急かしてるようで悪いんだが、「貸してくれる」って言ったのに放置ですかい。
それともあると思ったらなかった感じ?
そう思っていると姫島がそっと左手に持つ傘を俺の方に寄せてきて、いわゆる相合傘のようになった。
おっと~これは一体......?
「もしかして、この大きい傘を貸してくれるのか?」
「は、半分ね」
「......なるほど。つまりは相合傘であれば二人で帰れるし、貸したことにもなると?」
「そ、そういうことよ。ほら、最近私とのラブコメ度合いが少ないじゃない?
だから、こうやって好感度上げさせてやろうかと思って」
「自ら好感度上げさせに来るヒロインとかもはやチョロインでもなければなんだよ」
「いいのよ! とにかくこの時期にならどのラブコメ漫画でも一度は絶対してる行為がやりたいの! わ・た・し・は!」
「そんな主張を声を大にして言わんでも......」
ほんとコイツが学校ではクールで通ってるのが気に食わん。
最近は乾さんや結弦が俺の近くにいる場合でもボロは出さなくなったけど、反動がこれよ。
結局俺の負担変わらなくね?
「そう言えば、音無さんは?」
「彼女なら『“湯煙温泉24時~京都の花魁との貫通録3~”の新刊発売日だったー!』って急いで帰っていったわよ」
「言ってる所が想像できんし、言ってたらそれはそれでシュールすぎる......」
あんな見た目幼いJKの脳内が実は自分の想像を遥かに超えるほど淫乱でしたなんて一部のヤバい奴らにはウケそうな感じだよな。
いやいや、そんなことを考えるな。
音無さんは脳内は多分にエロい妄想をしているが、日常生活は普通だ。
ただエロいことを考えちゃうだけなのだ!.......それはそれでどうなのよ?
知らん。わからん。少なくとも、俺が今考えるべきはそれじゃない。
はあ、音無さんから折り畳みを借りれればそれで解決したかもしれない。
持っていそうだし。
ただ会えなかったのは仕方がない。
確かに、俺が帰る前にトイレ行ってる間には音無さんの姿はどこにもなかったしな。
まあ、俺の発言に気まずかったのもありそうだけど。
「んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうけど――――」
「ホント!?」
「食い気味に来るな。ホントだよ、ホント。
でも、いいのか? 俺と家は真逆だろ?」
「いいのよ。私は大丈夫」
「.......いいや、俺はだいじょばない。だから、俺はお前をお前の家まで送っていく。
傘はまぁ、借りることにはなるけどそれは明日返せばいいし、女子であるお前を夜道一人で歩かせんのは危険だ。
悪いがそうさせてもらう」
そう言うと不意に姫島がそっぽ向く。
何事かと思ったが見てみれば耳が真っ赤になっている。
あーこれは不味い......。
そして、頬を赤く染め上がったのを隠すように口元を手で覆う姫島は僅かに潤んだ瞳で告げるのだ。
「不意打ちはずるいじゃない......」
これだ。この胸がざわつく変な感覚。
ドキッとする感覚も、キュンとする感覚もあるわけじゃなくただただ胸の底から込み上がってくるような......もう言語化できん。
ただわかることは最近こんな感覚が多いということだ。
前にも姫島と映画を見に行った時も、音無さんと保健室で話した時も、そして今も......まるで一枚の写真にして保存していたくなるような可憐な美しさを感じる。
だから、思わず目が吸い込まれるように魅入ってしまうのだ。
僅かにでも視線を動かせないまま、たった数秒にも満たない瞬間を脳裏に焼き付けるように。
「ど、どうしたの?」
「......いや、なんでもない」
姫島の問いかけにふと我に返り思わず視線を逸らす。
クソ......しばらくまともに顔が見れる気がしないな。
またあのたった数秒の瞬間を思い出しちまう。
「行くぞ」
「あ、うん......」
俺は姫島の傘を奪うようにして取ると姫島が濡れないように傘を少しだけ傾ける。
俺も濡れたくはなかったので少し傘の中に寄ると姫島と肩がぶつかり、姫島が僅かにビクッと動いたのがわかった。
そして、急にしおらしくなった姫島としばらく無言の下校時間が続いていく。
聞こえてくるのは雨と車が通る音とそれによって跳ねた水たまりの水という環境音のみ。
沈黙に耐えかねた俺は姫島に声をかけていく。
「そういえば、姫島は音無さんにやった選択はホントにそれで良かったのか?」
「どういうこと?」
「残念ながら俺は鈍感主人公じゃないんでね。
少なからず音無さんが俺に対して好意を寄せてくれてるのは知ってる。
だが、俺はこんな奴だ。
まともに付き合う気はないし、俺に好きと言ってくれたお前に対しても変わらずこんな形だ」
「私でも叶えられるかわからない夢にライバルを増やす必要があったっていうこと?」
「俺が言うセリフじゃないことは十分わかってるが......そういうことだ」
「なら、前に言った通りよ。
私は正々堂々と行きたいの。
それに堅物なあなたを攻略できるチャンスまで手繰り寄せるにはきっと私の力だけじゃ足りないだろうしね」
「......お前はまだ俺という人物を過大評価してるみたいだな。
そんな出来た人間じゃねぇし、出来てたらこんなことしてねぇ」
「正論ね。でも、恋は盲目なのよ?
惚れた弱みとも言うべきかしら。
確かに、あなたは人としては良くないことをしてるかもしれない。
でも、あなたの親友を思う気持ちは十分に理解してるつもりよ?」
「お前は旦那が犯罪をしたら一緒に罪を被るタイプだな」
「否定できないわね。でも、あなたはそんなことしないでしょ」
そう言って笑ってこっちを見てくる。
なるほど......今ならわかるかもしれない。
主人公が「どうして俺のこと好きになるんだ?」と考えるセリフの気持ちが。
「それにね、あなたは音無さんのことを大分舐めてるわよ」
「......どういう意味だ?」
「あなたは音無さんは弱い存在だと思ってる。
確かに、それは一部においてはそうなのかもしれない。
でも、音無さんは思っている以上に手強い相手よ?」
「知ってるよ。先日の昼休みの時だって、あんな集団の中で俺に対してだけは口で返答してきた大胆な行動が出来る度胸には」
「残念ながらまだそれじゃ知れてないわね。
特に音無さんのトラウマ克服のためにまた無茶なことを考えてるあなたは恐らく......いえ、断言できるわ」
「何を?」
「あなた、音無さんとの勝負――――負けるわよ」
そう姫島は力強い瞳でニコッと笑うのだ。