間話:老婆と老翁 最期の戦い
──運命に分岐点があるのなら。きっとここが、最初で最大の分岐点。
────狼神は、違和感を抱いていた。
老婆の剣は、既に何度も彼の爪を受け止めている。何度も、何度も、幾度となくだ。
(……あり得ぬ)
ヴォルグは、生存競争の果てに神獣へと至った狼である。
今でこそ他の追随を許さない強者と化しているが、彼は産まれた時から強かったワケではない。
獲物に抵抗されて怪我をしたこともあれば、縄張り争いで負傷したこともある。人間と戦った経験も、少なからず持っている。
故に彼は、エリザベートの膂力に違和感を覚えた。
(原人種にしては、明らかに力が強過ぎる)
しかし、原人種ではないのなら『種族特性』──種族固有の能力を使わない理由がない。よって彼は違和感を抱きつつも、老婆の種族を『原人種』であると断定する。
(……では、老翁はどうだ?)
エリザの剣撃を弾きつつ、ヴォルグはルークに目を向ける。
(……普通だな。ひたすら白魔術を極めただけの、只人か)
そして狼神は、老翁を脅威から外した。
──その瞬間、ルークは黒魔法を使用した。
地面が一瞬で盛り上がり、いくつもの岩石がヴォルグ目掛けて殺到する。
「──っ!?」
咄嗟に同じく岩石の魔弾を構築し、相殺した彼だったが────
(──殺った!)
驚愕による精神の隙。魔弾の対処による肉体の隙。
この二つを、エリザベートが見逃す訳がなかった。
狼神が気付いた時には、既に彼女はヴォルグの懐に潜り込んでいた。後は剣を振り抜いて首を落とすだけ────
『──止まれ』
しかし彼女の剣は、ヴォルグの首を目の前にして停止した。担い手であるエリザの腕が固まったからだ。
(くそっ、相変わらず『神の力』ってのは、デタラメにも程があるっさね……!)
魂を持つ相手への強制命令──〝神言〟
そもそも狼であるヴォルグが人間と意思疎通を取れていたのは、魂に直接働きかけるこの力を応用していたからだが……その本来の性能が今、発揮されていた。
「……戦闘で我に本気の〝神言〟を使わせた人間は、貴様らが初めてだ。誇りを胸に死ぬがいい」
そうして狼神が、爪の一撃を放ち────
老婆はそれを受け止めた。
「──バカなっ、何故動ける!?」
それから何度攻撃されても、エリザベートはその全てを完璧に捌き切った。
加えて、ルークが黒魔法を乱発。ヴォルグを心身共に疲弊させた。
(なんだ、これは……! 何が起こっている!?)
神獣と張り合うエリザベートの身体能力。何故か尽きないルークの魔力。
酷使し過ぎた爪が斬り飛ばされ、気圧されたヴォルグは遂に、奥の手を使うことを決断した。
『──神威ッ!!』
『神』は、ゼロから魔力を生み出す力を持つ。
それこそ『神の威光』を示す力──即ち〝神威〟である。
そして、ヴォルグの魔力が持つ『属性』は重力。無限に発生し続ける魔力の重りが、ルークとエリザを地面に縫い付けた。
動けなくなった二人を観察しながら、狼神は慎重に、ゆっくりと老婆に近付いていく。
「……散々手こずらせおって。今、食い殺してやる」
脂汗を滲ませ、立っていることすらままならない二人を見て、ヴォルグはやっと勝利を確信した。
そうして彼が大口を開け────
「──ッ!?」
「やっと……首を近付けてくれたねぇ……これで、アタシ達の勝ちっさね」
地面に片膝を突き、剣を杖代わりにしていた筈のエリザベートは、何事もなかったかのように立ち上がって、ヴォルグの首に剣を突き付けていた。
「バカな……! バカなバカなバカなッ!! 何なのだお前は、お前達は!? 貴様らの力は、人間の限界を逸脱している!!」
「──逆じゃ」
「なに……?」
ルークは溜め息を吐きながら地べたに寝転がり、解説を始める。
「人間は皆、肉体に制限をかけておる。だからエリザは、それを意図的に外す技──〝限界突破〟を編み出した」
「まぁ、これを使うと勝っても負けても体がズタボロになるんだけどねぇ!」
さらりとトンデモないことを言い放った彼女は 『カラカラ』と笑った後剣を降ろし、ルークと同じように寝転んだ。
「……ではルークよ、貴様の魔力が尽きなかったのは何故だ?」
「ワシの魔力? いや、尽きとる尽きとる。すっからかんじゃて」
「……何を言うか。今も、魔力、が──本当に切れている、だと……!?」
「──〝限界突破:三式〟
魔力切れという『限界』を克服するために、アタシが編み出した技法さね。
……三式は、失敗作なんだけどねぇ」
「失敗作……? 〝神威〟の如き力が、失敗作だと……?」
エリザベートは苦虫を噛み潰したような顔で、解説をする。
「一式と二式は身体能力補正。これはいい。
だけど魔力補正の三式は、未来の自分から前借りしてるだけなんだよねぇ……〝神威〟には遠く及ばない、紛い物っさね……」
「前借り……? 待て、それでは──!」
「……あぁ、お察しの通りだよ。使い過ぎると死んじまう欠陥品さね」
──『魔力欠乏症』
読んで字の如く、魔力が欠乏した場合に現れる症状のこと。
通常であれば、一度体内の魔力を使い切っても、自然に回復するのを待てば無症状で済む。
しかし回復してすぐ使い切る、という行動を繰り返すと、初期症状は軽い頭痛や倦怠感で済むが、そこで止めないと……最終的には死に至る。
魔力は生命力だ。足りない状態が続けば、そうなってしまうのは自明の理。
三式を使うということは……そういうことなのだ。
「ちなみに、アタシも『神言』を無理矢理掻き消そうと色々やって、べらぼうに魔力を使ったからねぇ……実はアタシも使っちまったんだよ……三式」
「……おい、待て。では貴様ら、我に勝っておいて……ここで死ぬのか?」
「90年も生きれば、大往生じゃろ。未練は特にないのぅ。子供達には、いつワシらが死んでもいいように色々仕込んであるし……うむ。特に思い残すことはないな」
「まぁ、そうなるねぇ。あ、アンタに勝って死んだこと、冥界で自慢話にしていいかい?」
勝者は息絶え、敗者は生還する。この結果に、ヴォルグは釈然としない思いを抱いていた。
「……いくらでも武勇伝として語るがいい。そんなことはどうでもよいのだ。
──何故、我を殺さなかった」
ルークとエリザは、互いに顔を見合わせ、笑った。
「アンタが死んだら、この辺りの生態系がおかしくなりそうだからねぇ。そうしたらウチの村にどんな影響が出るか分からない。結局はアタシ達人間のためだよ」
「ワシらとしては、お主を足止めできれば十分。勝てたら幸運くらいの気概で挑んでおったからのぅ」
「……お主ら、逃げた二人の心配はせんのか。生き残った我が、奴等を殺しに行かない保証がどこにある」
「いいや、アンタはあの二人を追わないし、あの二人は心配しなくても生き残る。アタシの〝勘〟がそう言っている」
「勘だと……? ふざけているのか」
「カカカッ、ふざけていると思うじゃろ? だけどなぁ、王様だってこう言うぞ────」
── エリザの〝勘〟は、未来予知より正確だ。
ルーク・クロッカス、エリザベート・クロッカス────死亡。
クロッカス陣営、残り三人。
──情報が公開されました。
エリザベート・クロッカス
種族:原人種 性別:女性
容姿:身長152cm 体重55kg
白髪黒目の老婆。背筋は伸びており、肌も若々しいため実年齢よりかなり若く見られることが多い。
年齢:90歳(第一章)
特化属性:拡張 所有加護:剣の才
戦闘スタイル:剣士
清く正しく美しく、明朗快活な女性。
人間の剣士としては、空前絶後の技巧を持つ。その力は、徹頭徹尾『守護者』として振るわれた。人生の前半は『騎士』として。後半は『義母』として。
その他特記事項
拡張された五感由来(?)の〝勘〟は、生涯外れることがなかったという。
ルーク・クロッカス
種族:原人種 性別:男性
容姿:身長159cm 体重53kg
白髪にグレーの瞳を持つ老翁。美形が多い原人種の例に漏れず、ハンサム。
年齢:90歳(第一章)
特化属性:治癒 所有加護:必中
戦闘スタイル:魔術師
白魔導師向きの才能と、黒魔導師向きの加護を持っていた彼は、その温厚さから白魔導師となる道を選んだ。
魔力があるという前提だが、死んでいなければどんな傷も、部位欠損だろうと治せる『神域の医者』
彼が妻と共に救った命は、数知れない。
その他特記事項
彼の出生には何か秘密があったらしいが、今となっては知る意味も無い────