第5話:狼神と老人
大きいというのは、それだけで『力』となり得る。
そして『力』を制するには、より大きな『力』が必要となることは言うまでもない。
では、小さき者が巨大な者を動かしたなら──そこには必ず 『未知の力』が介入していることだろう。
──戦闘力は、主に四つの要素の組み合わせで評価される。
一つは『種族』
俺の場合は『原人種』
種族固有の能力は『大繁殖』 異種族と子孫を残せる力。美形が多く、最も人口が多い種族だが……特筆して高い能力はない。戦闘向きの種族とは、お世辞にも言えないだろう。
対するヴォルグは『神獣』
『神』の固有能力を得た狼である。
狼としての高い身体能力に加えて『神』の力──無限に魔力を生み出す力や、魂を持つ相手への強制命令権などを持つ。
非常に強力な戦闘種族と言えるだろう。
種族としては、完全に勝ち目が無い。
なら他の要素ではどうか。
二つ目は『加護』
俺には『千里眼』があるが、奴は加護を持っていない。これは俺がヴォルグに勝る、数少ない要素。
三つ目は才能──つまり『特化属性』
俺の場合は『霊魂』 全く使えないとまでは言わないが……直接戦闘で役に立つことは少ない。
対するヴォルグの属性は『重力』 重力操作系の黒魔法に注意しなくてはならない。
最後は『後天的技能』
これに関しては、特化属性のおかげで豊富な手札があるが……戦闘の専門家であるのは相手も同じ。ついでに言うと、地の利は相手にある。
以上の点を踏まえて、俺の取るべき行動を考えれば、答えは一つ────
「ヴォルグ、ここは引き分けで手を打たないか?」
「……ほう?」
『勝てない相手とは戦わない』 当然の帰結だ。
「エンデュミオンとやら、貴様が我の一撃を防いだ以上、強者であることは認めよう。だが──貴様と我が同格だとでも?」
──威圧。
『重力』の属性を帯びた奴の魔力は、確かな質量を以って俺の心と体を押し潰そうとする。
『平伏しろ、下等種』
『お断りだよクソ犬が』
威圧に加えて、強制命令の力を使われたが……コレを跳ね返せなければ、神との『戦い』は始まらない。
「威勢はいいが、もう足が辛いのではないか?」
──それがどうした。強気で要求を通せ。ここで退いたら本当に打つ手が無いぞ。
「本気で戦るなら俺だって、お前の足一本か目玉一つくらいは潰せるぜ? 山で生きるアンタは、それがどんだけ辛いかよく知ってる筈だ」
さぁ、どうくる……?
「クッ、クハハッ! 然り。その通りである! 強いだけではなく、頭も回るか!」
……よし。なんとか、交渉は成立しそうだ。
「だったら──」
「だからこそ、惜しいな……」
「……なに?」
空気が、不穏だ。体の重みが増していく。
「それでも我は、その少女を殺さねばならぬ」
「なんっ、で……!」
立っているだけでやっとの重圧に耐え、狼神を睨みつける。
「そう睨むな。平時であれば、貴様の対処は正解だった。だが、貴様は知らなかったようだな……そこな女を殺さねば、我も貴様も死ぬことになるのだよ」
「…………は?」
奴が何を言っているのか、理解できない。
「……エンデ、来てくれてありがとう。でも狼神様が言っていることは本当よ。だからもう、帰って。お願い」
「……ならせめて、もう少し、しっかり説明しやがれ……!」
その言葉に、アルテミシアは応えてくれなかった。
代わりに反応したのは、狼神。
「……話しにくいのなら、代わりに我が教えてやろう。
世界を滅ぼすと予言された、『終わりの炎』というものがあってだな──この女は、その依代らしい」
「…………本当、なのか……?」
アルテミシアは、無言で首肯した。光を失ったその瞳は、悲嘆か、絶望か。
「……そうかよ」
……あぁ、分かっていた。彼女が何らかの使命を持つ存在だということを、俺だけは知っていた。
珍しいの一言では片付けられない容姿、人間離れした魔力量、生まれつき持つ強力な加護、彼女だけの特化属性。その特異性を、俺だけは正確に把握していた。ただその『使命』が、思っていたものとは真逆だっただけ。
──なら、俺のやるべきことは。
「前言撤回」
「……エンデ?」
「──やってやんよ。『神殺し』」
「……やめて」
「十二神がなんだってんだ。全員纏めて、ぶっ殺してやる」
「お願い、やめて……!」
「まずは肩慣らしに、山犬退治から始めるか」
「やめてよッ!!」
「──ざっけんなああああああああ!!!」
ふざけるな。何故よりにもよってアルなんだ。この世で最も、そんな役割が似合わない少女だろう。神は何を考えて、彼女にそんな悍ましいものを押し付けた。
「『ずっと一緒に』って、お前が言ったんだろ!? なんとかするから! 全部俺がなんとかしてみせるからッ! 俺と一緒に、生きてくれよ……!」
「……無理だな。この程度の重力で音をあげている貴様では」
「うるせぇ! 今殺してやるからそこで──ガッ」
重力が更に増した。剣を杖にして、膝を突くことは避けたが……これでは回避ができない。
「止めてください狼神様! 私が死ねば、その人はもう何もしませんから……!」
「アルを殺しやがったら、テメェ本当にぶっ殺すからな……!」
「……と言っているが?」
「バカ……!」
「足が動かなくってもなぁ……! いくらでも、殺りようはっ、あるんだよ!!」
剣を離し、地面に手を突く。
そこから魔力を流すと、土の槍を発生させながらヴォルグの元へ向かって行く。
わざわざ魔力の軌道を見せるような攻撃をしているのは、敢えて回避させるため。前方の槍は、中身が空っぽのハリボテだ。本命は──
「──周囲の地雷。そちらが本命だろう?」
「……クソッ」
ヴォルグは一歩も動かず、土の槍は奴の目の前で止まった。
その後わざとらしく前方の槍を踏み砕きながら、ゆっくりと近付いて来る。
マズい。考えろ。奴を止める方法は……!
「……エンデ、もういいよ」
「アル、駄目だ……!」
アルテミシアが、自らヴォルグの元へ向かって行く。
──嫌だ。止めなければ。
どうやって?
考えろ。
激しい頭痛。どうでもいい、考えろ。
激痛が増していく。比例して視界がゆっくりになる。
加速した時間の中で考えて、考えて、
「アルテミシアを殺さず炎を破壊する方法がある!!」
──二人の動きがピタリと止まった。
この言葉は嘘じゃない。激しい頭痛と共に、『誰か』の知識を思い出したのだ。
「……具体的な方法は?」
「言えない。聞かれて対策されたら面倒だ」
「……信用できんな。これ以上邪魔をするなら貴様も殺す」
「やってみろクソ犬」
相変わらず身体は動かない。だが、今しがた思い出したこの技を使えば勝算は──
「──ちょっと待ちな!」
待て。この声は、
「母さん!?」
「ワシもいるぞ」
「父さんまで! どうしてここに?」
「何を言っておるエンデ。朝、この山でワシとエリザと共に模擬戦をしたじゃろ。あの時にはこうなることが解っていたのかもな、エリザは」
「母さんの〝勘〟凄すぎだろ……マジでどうなってんだ……?」
「ハハハ、もっと褒めな! 褒めてもなんにも出ないけどねぇ!」
家の母は、本当に……子供っぽくてお調子者なのが玉に瑕だが、これ以上ないほど、頼りがいがある。
「エンデ、お前はアルを連れて逃げな。炎を壊す手段に当てがあるんだろ?」
「……ありがとう」
「礼はいいからさっさと逃げな」
父さんと母さんが来た時には、重力は消えていた。
「そうする。逃げるぞアル、手を握れ!」
母さんはヴォルグの前で剣を構え、父さんはその後ろで状況を俯瞰している。逃げるなら今しかない。だが、
「エンデ……本当に私、生きてて良いの?」
アルテミシアは、俺の手を取ろうとはしてくれなかった。
「良いに決まってる。だから俺の手を、握ってくれ」
「……でも」
「あぁクソッ、もういい。面倒だ!」
いつまで経っても俺の手を取ろうとしないアルに痺れを切らし、俺は彼女に抱き付いた。
今から使う魔法は相手の同意が無いと安定し難いのだが──そこは密着度でカバーする。
「──っっ!」
……心なしか、アルの体温が少し高い。帰ったらユダに診てもらった方がいいかもしれない。
「『転移ッ!』」
*
「……さて、どうしたものか」
エンデュミオンと名乗った少年──アレはバケモノだ。神域に足を踏み入れている。
普通の人間なら、狼一匹を送り込めば事足りる。戦闘経験のある人間でも、熊か猪の魔獣が二匹もいれば十二分。
──しかし奴ならば、この山の生物全てを送り込んでも殺し尽くしてみせるだろう。
だから我が、直接出向く必要があるのだが……
「……さて、邪魔者はいなくなったねぇ。思う存分殺し合おうじゃないか、狼神」
「貴様ら、本当にあの小僧が炎を破壊できると思っておるのか?」
「子供を信じない親が、どこにいるってんだい」
──目の前の老人二人からは、かの少年以上の脅威を感じる。こちらもやはり、我が片付ける必要がある。
「……愚か者共め。
神に抗う老人よ、娘より先に貴様らを喰らうことにしよう」
「「死ぬのはお前だ、狼神!!」」
互いに啖呵を切り、剣と爪がぶつかった。