第11話:逃避行の終わり
──エンデュミオンにとって、それは三度目の経験だった。
十年前と、つい先日、そして今──己の体が、明確に自分の意思から外れた行動を取ったという事実。
千里眼による未来視。それは無意識に発動するものではないのだ。
だからこそ、エンデュミオンは迷わない。己の中に住む『誰か』が、彼の不利益になる行動を取ったことはない故に。
数秒先に起こる惨劇──女神アクアの死。これを、彼は全力で止めにかかる。
まず重力魔法を解除し、魔力を身体強化と〝限界突破〟に回す。
それとほぼ同時にアルテミシアが『炎』の出力を上げ、完全に拘束が剥がれた。
ユダは慌てて再び拘束しようと試みるが……捨身になった彼女は、たとえ三人がかりでも止められない。彼の抵抗は無意味だった。
そのまま一息でアクアの元まで辿り着いたアルテミシアは、その牙で小さな体を噛み砕こうとし──この流れを知っていたエンデュミオンの介入により、阻止される。
「──っ!? アンタ、なんで……!」
「ボケッとすんな! 早く魔力を吸い切れッ!!」
「あぁもうっ、了解よ!!」
────それからほどなくして、アルテミシアは魔力切れによって意識を失った。
*
……結果として町に出た被害は道に空いた大穴くらいであり、すぐに町民達は元の生活に戻れることが分かった。神と龍人が争った結果と考えれば、ほぼ無いも同然の被害である。
しかし……
「──治れ! 治れ! 治れ! ……どうして治らないんだっ!?」
戦闘を行った当人達まで被害なしとは流石にいかず……アクアを助ける際、エンデュミオンは左腕を失っていた。
当然ユダは、顔を真っ青にして治療にかかったものの……腕を再生させることはおろか、傷口を塞ぐことすらできていなかった。
「……どきなさい。私がやるわ」
そう言った彼女はユダを押し除け、傷口に触れると──傷口を焼き始めた。
「んなっ、何を!?」
「止血よ止血。『終わりの炎』に焼かれたものは、元々無かったことにされるの。だから白魔法じゃ治せない」
「じゃ、じゃあエンデは、この先一生……」
「……隻腕。ということになるわね」
「そんな……! 何か治す方法はないんですか!? 三つの王環を持つ全王様なら、何か一つくらい……!」
「…………確かに一つ、方法があるにはあるわ。でも今は時期的に無理。次にアレが使えるようになるのは十年後だもの」
「十年……てことは……」
「……えぇ。肝心要のこの戦いを、腕一本で切り抜けてもらう必要があるわ」
アクアは申し訳なさそうな顔で唇を噛み、ユダは項垂れる。
そんな悲痛な雰囲気の中で、当事者のエンデはというと────
「──ユダ、もう魔術を使わないんならローブを渡せ」
「え? あぁうん、いいけど……?」
「俺にじゃない。そこの女神にだ」
「私……? えっと、確かに良い礼装だと思うけど、コレ人間用のだから、私が使っても意味が……」
「そうじゃない。血塗れの俺の服ではなく、ユダの服を、女性のアクアに渡す意味を解れ。解ってくれ」
「うん……? 私はコレをどうすればいいのかしら?」
「アルテミシアの裸が眼に毒だから、早く服を着せてやってくれって言ってんだよ!!」
「あぁ、そういうこと……」
「私が痛覚消してるとは言え、意外と余裕ね……」
確かに大事なことだが、自分の腕よりそっちなのかと、二人の微妙な視線が突き刺さっていた。
*
「……ところでアンタ、どうして私を助けたのよ?」
気絶しているアルテミシアにローブを着せながら、アクアは問うた。
戦闘中、確かに彼女は協力的だったが……アルテミシアを止めた後もそうとは限らなかった。あのタイミングなら、アクアが消えても龍化は解けていたのだ。少し早いか遅いかの違いでしかない。
確かに王権というものは軽くない。三冠王にもなれば、その発言力は十二神すら上回ることもある。
故に彼女を味方に付けた時点で、実質逃避行は終了したと言っても過言ではないだろう。
……だが、それだけなのだ。彼らに別口の協力者を用意する手段があった以上、明らかに見返りがリスクに釣り合っていない。
「安全策を取るなら、アンタはあそこで私を見捨てるべきだった。アンタ自身、それは解ってるんでしょ? だからアンタは今も、私の動きを警戒してる。
──私がこうやって、この娘に手をかけるんじゃないかって」
そうしてアクアはアルテミシアの首に手を添えた。
それに対し、ユダは咄嗟に杖を構えるが……エンデュミオンは何もしない。
「……確かに、普段の俺なら見捨ててたと思う。俺はアルやユダみたいな善人じゃないからな……
だけど、貴女は『誰か』にとっての特別らしい。だから助けたのは俺じゃない。貴女は、貴女の善行に救われたんだ」
「…………何よそれ。意味が分からないわ。
はぁ……毒気が抜かれちゃったわ。まぁ元々、もうアンタ達と戦う気はなかったんだけど。驚かせて悪かったわね」
「じゃあ、悪かったと思うんなら詫び代わりに教えてくれ。
──お前は、全王とは何だ?」
「随分と抽象的な質問ね……まぁ、言いたいことは分かるけど」
『王』というのは、三大主神を手助けするために力を分け与えられた存在。世界の管理者の中でも中枢を担う者だ。当然その責任の大きさを考えれば、どこの馬の骨かも分からない者に任せられる訳がない。
なのに、エンデュミオンは全王と呼ばれる神を知らない。人類史の全てを観た彼が知らないのだ。
そもそも神王は十二神だけの筈だし、魔王は人間だけの筈である。目の前で特権を発動する場面を見ていなければ、彼はその存在を鼻で笑っただろう。
「あー、説明してると長くなるし、腰を落ち着けて話せる場所に行きましょうか。ここじゃいつ襲撃に遭ってもおかしくないし」
「と言っても、僕達に安全地帯なんて──」
「あるわよ?」
「あるんですか!?」
「えぇ。面白い体験をさせてあげるわ」
そう言ってニヤリと笑ったアクアは、アルテミシアをエンデュミオンに投げ渡した。
「うぉっ!? おまっ、何しやが──」
「カノジョなんでしょ? 今から落ちるから、しっかり抱きしめててあげなさいな」
「違うわアホっ! つか落ちるってどういうことだよ!?」
「言葉通りの意味よ。
────さぁ『冥府の鍵よ、門を開け!』」
アクアが虚空から取り出した黒い鍵は地面に吸い込まれ、四人の足下に巨大な門が出現した。
しかしそれはすぐに消失し、彼等は大穴に呑み込まれたのだった。
*
「──うぉぉぉおおおおっ、お……おろ?」
「──うぁぁぁああああっ、あ……あれ?」
「アハハハハッ! 二人共イイ反応してくれて嬉しいわぁ! アッハッハッハ!!」
魔力切れ寸前のエンデとユダは、体感一キロメートル前後の自由落下をどう凌ぐかと慌てふためいていたにも関わらず、いつの間にか地に足を付けていた自分に気付く。
同時に、キョトンとした顔の自分達を全力で笑い者にしている女神の存在にも。
「……ユダ、アイツ斬っていいか?」
「……いいんじゃないかな」
「キャーコワーイ! 助けてアズダイル様〜!」
「「……ッ!?」」
──アズダイル。
役職は『冥界神』 三大主神の一角。『神界序列第二位』が、彼等の背後に立っていた。
「いや……我も一度、お前には灸を据えてやる必要があると思うぞ……?」
「ちょっ!? 斬られたらお灸どころじゃ済まないと思うんですけど!?」
「フン……斬られた程度で、貴様は死なんだろ……」
「いや死ぬわよ!?」
「冗談だ。真に受けるな……」
……何というか、覇気のない神だった。
威厳はあるのだが、アクアとのやり取りはまるで元気過ぎる娘と、仕事帰りのくたびれた父という印象を与える。
「──そんなことより、だ。貴様、何故レーヴァテインを連れて来た?」
しかし一転、話題と共に雰囲気も切り替わった。
同時にヴォルグとは別種の重圧がアクアを襲うが……彼女は柳に風と受け流し、返答する。
「今の十二神が信用できないからよ。貴方を含めてね」
「……ほぅ?」
「ねぇ、本当にあの娘を殺せばそれで終わりなの? 『炎』が加護として宿ったんなら、どうして誰も大元を探そうとしないの?」
「…………チッ、思考に介入されていたか。三大主神ともあろう者が情けない……」
「完全な洗脳じゃない分、術式が巧妙に隠されてたもの。仕方ないわ。
……誰がやったか心当たりはある?」
「……やりそうな性悪はいるにはいるが……」
「力量が足りないのよね」
「うむ。我にこんな術式を仕込めるのは、最高神か戦神、後は貴様くらいだが……」
「私は論外だけど、同じくらいあの二柱もあり得ないわよねぇ……ガイアが自分の世界を焼くとか想像できないし、アルトのアホが演技だったら私は神霊不信になるわ……」
「うむ……だが、そうさな。黒幕の思惑に乗るのも癪だ。
喜べ少年少女。この我が、お前達を守ると誓ってやろう」
────今ここに、最強の協力者が参戦した。