第8話:少女は力に抗えない
『力』とは何か。
『善』や『悪』ではない。
『選択肢』……的外れではないハズだが、少し違う気がする。
何故ならこれは、己の『力』に『選択肢』を奪われた者の物語でもあるからだ。
杭に貫かれて、死んでいる男性がいた。
家の床を突き破って生えているソレは、彼の臀部から侵入し、口から飛び出している。まるで、串焼き前の魚の様。
──私が犯した、最初の『罪』
*
「ユダ、アル。朝だ、起きろ」
「……うん? 外、まだ暗いけど……ま、いっか。おはよう」
「…………ん、おはよう。二人共」
まだ日の出前──大体午前四時くらいではあったが、魘されていたアルテミシアを見かねて二人を起こすことにした。疲労回復のための睡眠で疲労するくらいなら、早く起きて次の町に向かった方がよっぽど良い。
……彼女はよく、昔の夢を見るらしい。クロッカス孤児院に来る前の、辛い過去を。
アルテミシアは生まれつき加護を持つ 『神の愛し子』である。
だが幼少期の彼女は『愛』とは無縁の環境で育った。
産まれてすぐに捨てられたため、彼女は実の親を知らない。
五歳になるまでは、彼女を拾った名も無い男によって、普通に育てられるが……突如豹変した男から、性的暴行を受けかける。
命の危機に遭遇した彼女は、加護──『自動防御』を発現させ、男を殺害してしまった。
突然襲いかかってきた父に困惑し、その父を惨殺した力に恐怖し、当時の彼女は只々泣きじゃくるしかなかったという。
この一件はアルテミシアの心に深い傷を与え、それ以来彼女は、肉や魚を食べられなくなってしまった。
そして義父の死を皮切りに、彼女の不幸は加速する。
彼女は孤児院に引き取られたが……白髪赤目という奇妙な外見は、彼女に多くの敵を作らせた。
大人からは虐待され、子供からは虐められ、彼女は身も心もゆっくり削られて──ある日再び加護が発動し、一人の少年が串刺しにされた。
加護は、アルテミシアの命を奪おうとする者を無慈悲に排除する。そこに彼女の意思が介入する余地は無い。
俺としては、子供を虐待する親なんざどれだけ苦しんで死のうが『自業自得』以外の感想が出てこないし、虐めに加担する奴も同様、むしろ『死ねば良い』くらいに思っているが……彼女は違った。
己が『愛し子』であると自覚したアルテミシアは復讐に走ることはなく、それ以上被害を広げないために孤児院を抜け出した。
だがそれでも、被害は結局広がった。アルテミシアにその気が無くとも、クズは炎に引き寄せられる羽虫の如く、勝手に彼女へ近付いて、勝手に死んでいった。
──アルの名誉のために明言しておくと、彼女はあらゆる国の法律に照らし合わせても無罪である。誰にも彼女を責める権利は無い。
だが、本人だけはそれを『罪』とした。
罪の意識は、今でも彼女を蝕み続けている。それが、アルテミシアの見る『悪夢』
『最近はあまり見なくなってきた』と聞いていたが……炎の依代と化したことで、罪の意識が再燃しだしたか。
……行軍を急がなければいけない理由が、一つ増えてしまった。
「……さて、昨日も話したが、念のためもう一度言っておくぞ。
北門を一歩出ると『雪神』の管理区域に入って、気温が四十度は下がる。だから今日買う防寒具は絶対にケチるな。一番良いのにしろ。
──でないと、死ぬぞ」
*
軽く身嗜みを整え、外に出る。
すると外気は冬特有の、乾いた冷たさで肌を刺してくる。エンデ曰く、ここから気温が四十度も下がるらしいが……実感が湧かない。
……いや、実感が湧かないのはそれだけではない。今の状況全てに、私は現実味を感じることができていない。最愛の人と、最も親しい友人と、三人で神様を相手に逃避行を行なっている現状に、不謹慎だが少し高揚している節がある。
それはいけないことなのだろうけど……現実を直視したら、正気ではいられないだろうから。今はきっと、これで────
「──嫌ッ、放して!」
「放さねぇよ、このクソガキが! テメェ、スリの常習犯だろ!?」
北門より外に対応している服屋を見つけ、入ろうとした時……近くで大声が聞こえた。
騒ぎの中心は、白髪赤目の少女と、二十歳前後の若い男。
「冤罪よ! 私、何も盗んでない!!」
「そりゃ直前にオレが止めたからだろうが!」
「勝手にアンタが腕を掴んできただけでしょう!? いいから放してよ!」
「あぁクソッ、抵抗するんじゃ──ねぇッ!」
──『バチン』と、平手打ちの音が響いた。
大人の男が、何もしていない女の子に手を上げた。
「──おい、アル」
無意識に二人の元へ向かおうとしていた私を、エンデが呼び止めた。
「……今の私達に余裕が無いのは解ってる。でも、アレは見過ごせない」
「…………あまり時間をかけるなよ?」
(視た感じだとあの男は嘘を吐いてないし、そこそこ腕も立つっぽいから、あのちびっ子がスリをする直前に止めたってのは本当なんだろうが……アルのトラウマを刺激しちまったのは運が無いとしか言いようがねぇな……
近くに脅威になるような魔力反応は無いし、今回はまぁアルの好きなようにさせてやるかね)
そうしてエンデとユダが店に入ったのを確認した後、私は件の男に対峙した。
「──その娘を、放して」
「あぁ? お前、コイツとどういう関係だ? 場合によっちゃあ──」
「──自発的にその娘を放して失せるか、私に腕を斬られて強制的に放されるか……好きな方を選んで」
「会話をする気はありませんってか……はいはい、自発的に放して失せますよ。旨味の無い戦いはしない主義なんでね」
そう言うと男は、宣言通りどこかへ姿を消した。
それを見届け、周囲から野次馬達も立ち去っていく。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
振り向くと、女の子が花のような笑みを浮かべながら、お辞儀をしていた。
……その顔には、真新しい痣がある。
「ちょっと、じっとしててね」
しゃがんで少女と目線を合わせ、軽く顔に手を添える。
白魔術は魔力制御が難しいから苦手だが……あの男は彼なりに手加減していたのか、見た目ほど酷い怪我ではないらしい。これなら私でも治すことができそうだ。
「──凄い! お姉ちゃん、剣だけじゃなくて、魔法も使えるの!?」
「……うん、ちょっとだけね」
キラキラとした、尊敬の眼差しが眩しい。
確かに魔術の心得がある剣士は珍しいと聞くが……身近にもっと凄い人がいるせいで、少しこそばゆい。
「うーん、うーん……お姉ちゃんみたいな凄い人には、どんなお礼をすればいいのかな……」
「いいよ、お礼なんて」
「でも、何もしないワケにはいかないし……そうだ! せめて────」
うんうんと唸っていた女の子は、突然私に抱き付いてきた。暖かい体温と、微かに花の香り。次いで……
「せめて楽に、殺してあげるから」
────鮮血が、飛び散った。