第1話:少年は限界に抗う
幸か不幸か、人の命には限りがある。
故に、毎日どこかで誰かが死ぬ。世界で初めて人が死んだ日から今日に至るまで、誰も死ななかった日は無いだろう。
────で、あれば。
あり得ないことではあるが、もし『死者の記憶を読む力を持つ者』が存在したのなら、その者は──世界の全てを知るだろう。
────閲覧し、削除し、記録する。
俺がこの工程を繰り返すようになって、どれだけの年月が経っただろう。
あと何回繰り返せばいいのかも分からぬまま、俺はこの工程を繰り返す。
日に日に記録するより、削除する量の方が多くなっていくが……それでもまだ、この工程を繰り返す。
魂が軋み、歪んで、壊れても……その度に力尽くで叩き直して、この工程を繰り返す。
目的を果たすその日まで、俺はこの工程を繰り返す────
意識が覚醒し、俺の肉体は習慣に従い『日課』の行動を開始する。
寝台から出て二歩進み、椅子に腰掛ける。
正面には机。その上には日記が置かれている。
それを確認し、深呼吸を一つ。冷たい空気が流れ込み、白い息が吐き出される。
この瞬間は、何度繰り返しても慣れそうにない。
「お前は、誰だ?」
自分で、己に問う。
だから、解答するのは勿論自分。
まずはいつも通り、名前から。
エンデュミオン・クロッカス。
14歳。男性。
クロッカス孤児院で生活する孤児の一人。
昨日やったことは────
「……よし、大丈夫。今日も俺は『エンデ』のままだな」
日記と記憶の内容に齟齬が無いことを確認し、一息吐く。
──〝睡眠時降霊体質〟
死人の記憶を観る力。
一晩にして数十年、或いは数百年分の経験を積むことができる力と言えば、聞こえは良いが……実際は、そこまで便利な能力ではない。
今でこそ『多方面に力を発揮する凄まじい才能』と言えるが、この力が発現した当初は酷いものだった。
自分と他人の記憶が混濁して、線引きができなくなったことがある。他人の価値観に影響され、人格が侵食されたこともある。
にも関わらず、懲りずにこの力を使い続けているのは──理由がある。
「今まで散々苦しめられたんだ。少しは役に立ってくれてもいいだろ……」
今のところ、負の割合が大き過ぎる気もしなくはないが……損得を考えてもどうにもならない。
『目的』を果たすためには、この力がどうしても必要なのだから────
「さて、走り込みでもしますかね!」
後ろ向きになりかけた気分を切り替えるため、心持ち大きな声を出すことで、自分を鼓舞する。
俺は窓から、夜空を見上げた。
星がよく見える。天気は晴れらしい。
時間は午前三時前後。日の出まで、時間は充分にある。
体は全ての資本。体力はあるに越したことはない。
「それに、こればかりは能力で抜け道を作ることもできないしな──っと」
軽く身だしなみを整え、重りを詰めた鞄を背負って外に踏み出す。
家の中も寒かったが、外は更に寒い。暦の上ではもう春だが、まだまだ冬の空気は根強く残っている。
目的地は『狼神』の山。
道中には急な坂道が多く、訓練に最適なのだ。
そうして折り返し地点、つまりは山頂に着いたところで──満月の光が、二つの人影を映し出していた。
「おぉ、エンデか。丁度良い時に来てくれた」
「ん、エンデ? 奇遇だねぇ」
クロッカス夫妻。俺達孤児の親代わりが、真夜中の山に何故かいた。
「なんで二人が此処に?」
「ワシはエリザベートに無理矢理起こされ、仕方なく……」
「子供を起こすワケにはいかないからねぇ」
「なるほど」
「いやいや、それで納得するのかエンデ。理由になっとらんじゃろ」
確かに、それは二人がここに居る理由にはなっていない。しかし、母が突飛な行動をするのは今に始まったことではないし────
「母さんは、本当に意味の無い行動はしない。父さんが一番、よく分かってるハズだろ?」
「まぁ、その通りじゃな……」
父は、苦笑いをしながら肯定した。
「で? 『丁度良い時に』と言ったよな、父さん。俺は何をすればいい?」
「うむ。ワシと組んで、エリザと模擬戦をしてくれないか?」
「──願ってもない……!」
父は元宮廷魔導師で、母は元近衛騎士。
若かりし頃の両親は、共に国の中枢を守護する役目を任された、精鋭中の精鋭だった。
年齢のこともあり、二人に全盛期程の力はないが、今でもその戦闘技術は健在──いや、技術だけならばむしろ進化を続けている。
そんな両親は、教師として各地で引っ張りだこになっているため、二人から個別指導を受けられる機会なんて滅多にない。
しかも俺の場合は、戦法が完成されているという理由で、たまに二人が帰ってきてもほぼ教師役。この機会を逃すワケにはいかない。
──完成している。裏を返せば伸び代が無い。
だが、そんなことは努力を止める理由にはならない。
それに、両親ほどの達人は数多くの『記憶』にも存在しなかった。停滞している今の己も、この二人からであれば学ぶことは多いのだ──閑話休題。
「エンデ、模擬戦用の剣は持って来てるかの?」
「いや。走るだけの予定だったから、持って来てない」
「了解じゃ。ならば……」
地面が蠢き、剣の形をした土の塊が足元に出現した。
「それを使うといい」
父に促され、土の剣を手に取る。
軽く素振りをしてみたが、特に問題は無い。
「流石父さん。刀身の長さ・重さ・重心・握り心地、全部再現できてる。いつもの模擬剣と何も変わらない。後は強度だけど……」
「かなり脆く設計しておいた。何か物に当たればすぐに壊れ、衝撃は自壊で吸収される仕組みじゃ。だから思いっきり振り抜いて良いぞ?」
それを聞いた母は、子供のように目を輝かせた。
「それは良いねぇ。ルーク、アタシのも作っておくれよ」
「エリザは自前のがあるじゃろ」
「ケチだねぇ……まぁ、いいさね。いつでもかかってきな」
──母の構えには、一切隙がない。いつ見ても、流石の一言だった。
「父さん、支援頼んだ」
「応とも。これくらいかの?」
「……うん、丁度いいね」
言葉と共に、適度な高揚感に包まれる。
他人に付与する身体強化は、普段から組んでいないと、肉体の感覚と実際の動きにズレが生じやすい。父との共闘は久しぶりだから、少し心配だったが……どうやら杞憂だったらしい。
「さて、それじゃ──勝負だ、母さん!」
手足は俺の方が長いし、身体能力もこちらが上。加えて父の支援もある。後手に回る理由は無い。
こちらから踏み込んで、正面から剣を振り下ろす。
対する母は、前進しながら最小限の動きで剣を回避し、首へ突きを放ってきた。防御が間に合わない。
悔しいが、やはり『剣士』としては勝負にならないらしい。
──だが俺は、『剣士』ではなく『魔剣士』だ。
全身を巡る生命力──すなわち『魔力』を用いて地面を隆起させ、母を上空に放り投げてやる。そしてすかさず、石を投擲。
普通はこれで勝てるのだが……母は空気を蹴って石を避けた。
母が編み出した絶技の一つ──『空歩』だ。
母は『魔力で足場を作って走っているだけ』と言うが、アレを真似できる人間なんて、俺は一人しか知らない。
それはともかく、追撃をしかける。
地面に足を付ける暇がないよう、黒魔法を連発するが……この状態が続けば、先に体力が尽きるのは俺の方。手を変える必要がある──と思ったその時、母が一直線にこちらへ突進して来た。
最初のお返しと言わんばかりに、正面から剣を振り下ろそうとしている。
不意を突かれ、間合いに入られる前に迎撃することはできなかったが……幸い防御の構えは取れた。一度攻撃を凌いで、反撃を──腹部に衝撃。
「グハッ!」
……負けた。
これみよがしに振り上げられた剣は囮で、まんまと騙された俺は、腹部を思いっきりぶん殴られたのであった。
「少しは強くなったみたいだねぇ。前までのアンタなら、構えを取れずに頭をぶっ叩かれて気絶してたっさね」
「……クソッ、もう一本!」
「いい気合だ。来な!」
「どれ、次はワシももう少し手を貸してやろうかのぅ!」
────こうして始まった模擬戦は、日の出まで続いた。
「お、初日の出だねぇ。今日はここまでか」
「はぁっ、はぁ──はっ? もうそんな時間に!? やっべ、成人式に遅れちまう……!」
「ハハハ、年甲斐もなく熱中しすぎた……すまんなエンデ。せめて荷物は持ってやるからのぅ」
「今年で、90だろ……! 父さんに無茶は、させられねぇ……!」
疲労困憊で呼吸が荒くなっている俺に対し、両親は涼しい顔。
申し訳なさそうな顔をしている父は、白魔導師という役割的に、あまり激しい運動をしないからまだ分かる。だが剣士としてドンパチしていた筈の母は、本当に老人なのだろうか。
「で、同じく90になろうとしているババァに負けた気分はどうだい?」
しかも、ニヤニヤした顔で煽ってくる。父を見習って、少しは罪悪感を持って欲しい。
「くそっ、妖怪め……! あんだけ動き回って、どうしてそんな……」
「ハッハッハッ、鬼も逃げ出す大妖怪だって?
よしな、そんなに褒めたってなんにも出やしないよ?」
「…………」
そこまで言ってないし、そもそも何故褒め言葉だと思われたのだろうか。
──しかし、そんなことに気を取られている時間はない。
最速で荷物を回収し、両親の方へ向き直る。
「お疲れさまでした。お先失礼します」
「相変わらず真面目だねぇ。そういう堅苦しいのはいいから、さっさと帰んな」
「まぁまぁそう言うな。形式は大事じゃぞ? ではまたな、エンデ」
そうして両親に見送られながら、俺は帰路に就いたのだった。
*
「──それで、仕上がりはどうじゃ?」
「うん。うん……良い塩梅だ。大分〝勘〟を取り戻せた。エンデが来てくれなきゃ、こうはいかなかっただろうねぇ」
「それは良かった」
……そう言う二人の表情は、暗かった。
会話の内容的には、二人は先程の模擬戦に満足している筈であるのだが……彼等が纏う空気は、酷く重苦しい。
「『嫌な予感』は、変わらぬのだな?」
「……あぁ」
「……そうか」
「…………なぁ、ルーク」
「なんじゃ? エリザ」
「一緒に死んでくれるかい?」