第十一話 電波塔の少女 その⑪ 音の鳴る方へ
小巻の後に続くように図書室の中に入った小百合は、その静寂さにやはり誰も居ないのだと気付くと、すぐに一度後ろを振り返った。
入る時に閉めた扉は立て付けが悪くて僅かに隙間を覗かせている。
(全く、これならばもっと教室から近い音楽室や理科準備室でも良かったんじゃないの)
眺めながらそんな事を思っていたものだから、小百合は正面を向き直して小巻が立ち止まりこちらを向いている事に気付くのには、少しばかり時間が掛かってしまった。
だからぶつかりそうになるのを無理矢理足を止めて躓きそうになる。
「あっ」
思わず声を上げた小百合を、小巻は驚いてその自分の薄っぺらな胸に当たる前に両腕で支えた。
「大丈夫?」
「うん、ありがとう。ちょっと他所の事を考えていて」
言いながら小百合は小巻の腕から離れた。
「考え事? 珍しいね」
それに対してそんな風に返して来る小巻に、しかし今や小百合は、先程まで考えていた事を口にする事が出来なくなっていた。最悪転びそうな場面を助けられたのだ。いつまでもしつこく「何故図書室なのか」とはもう言えない。
自分の考えとか意見とかを口に出来ないのは辛いものだ。
小百合は普段自分を人並みに正しい人間だと思っていたから、大抵の場合自分の思った事を口に出して生きて来た。
そしてそんな事をわざわざ普段は気にした事もないのに、何故今はしつこく気にしているのかと少しばかりいつもの自分とは違う自分に気が付いては驚いたのだった。
「どうしたの?」
そんなちょとした変化が表情にでも出ていたのか、小巻が不審な顔で尋ねる。
「ううん、なんでもない」
少しだけ自分の中に何やら嫌らしい気持ちが芽生えている事に気付いた小百合は、小巻の言葉に急いでそう答えると、何事もない様に笑いながら続けて話した。
「そんな事より折角ここまで来たんだから、それじゃあじっくりとその耳みたいなのを調べるよ」
「盗撮の犯人もでしょ」
その言い方に色々触られて調べられるのかと思うと怖気づいたのか、今度は慌てて頭の上に手をかざしては大きなバニーガールの様な耳を守るようにして、小巻が言葉を付け足した。
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午前九時を少し回ったあたりの図書室は、日の光に照らされて、そこかしこに埃が舞っているのが見える様な、本当に人気のない、静かな場所だった。
そしてそんな中で二人は、丁度真ん中あたりの位置の窓際の大きなテーブルに陣取ると、小巻が椅子に座り、小百合がその横に立つ形であのバーニーガールの様な耳を調べ始めていた。
「毛の様にも見えるけれど、やっぱり繊維なのかな」
ツンツンと突っついたり、触れて擦ってみたりしながら興味深そうに見つめる小百合。
「とにかくさ、犯人が男の先生の中の誰かなのは確かなのよ」
しかし当の本人である小巻は触られても感覚がないのか、相変わらず耳の事よりも犯人探しの方に夢中だった。
「でも不思議だよね。私達にしか見えないけれど、やっぱりこれはあるんだよ。トイレでも確認したけれど、今もちゃんと触れられるし、ねぇ、こうすると痛い?」
尋ねながら耳の表面を強く抓る小百合。
「痛ーい!」
その瞬間小巻は大きな声を上げて叫んだ。
「やっぱりやっぱりだ! つまりこの大きな耳は小巻ちゃんの脳と繋がっている訳だから…さっきも思ったんだけれど、もし見た目通りの機能を有しているとするならば、耳の役割を担えるって事だよね」
「ちょっと何訳の分からない事言って人を実験台にしてるの。トイレの時もそうだけど、ホント凄い痛かったんだからね。それに私もさっきトイレの鏡で見たけど、これって平じゃない。何処にも耳の様な穴は空いていないよ。だから私の耳の様な役割はないと思う。だいたい今も私は横に付いているこの小さな本物の耳で小百合ちゃんの声を聞いている訳だから」
「そうなのかなぁ。あ、それでなんで犯人は男の先生だって断言出来る訳?」
小巻に何を言われようが小百合の興味は尽きないらしく、相変わらず目を丸くしてその大きな耳を触りながら、実はどうでも良い様な口調でそう尋ねる。
「そんなの当たり前じゃない。女性が女性のトイレを覗く? 私達と同じ中学生の男子が、盗撮カメラなんて仕掛ける? 考えるまでもないでしょ。間違いなく男性教師だよ。それもいつもピッチピチのトレパンでアソコをもっこりさせて授業にやって来る九木沢先生。アイツは最重要参考人ね」
「はぁ~、九木沢先生って一体小巻ちゃんに何をしたの。そんなに嫌われるなんて。ところでこれ、集中したら頭の中に何か音とか聞こえて来たりはしないかな」
「はあ? 何もされなくても嫌いなものは嫌いなの。小百合ちゃんだって嫌いな虫とか生き物はあるでしょ」
「虫とか生き物って」
小百合は小巻のあまりにも酷い言い様にちょっと驚いた。
「いいの、私は九木沢先生が嫌いなんだから。それよりじゃあちょっと静かにしてみてくれる。集中してみるから」
小巻はそんな小百合の様子に動じる事もなくそう言うと、少しは先程の話に興味があったのか、目を閉じて両手をジャージの太腿の上に置いた。それから意識を頭の上の大きな耳の方へと集中し始める。
「どお? 何か聞こえる?」
そんな小巻の邪魔にならない様に小さな声で尋ねる小百合。
「うーん、やっぱり何も聞こえては来ないよ」
「じゃあこれは?」
小巻の言葉にそう言っては、小百合は黒くて大きなその耳を、コンコンと握った手で軽く叩き始めた。
「どう、この音は聞こえる?」
そして更に尋ねる。
「ううん、自分の耳からはコンコンという音が聞こえるけれど、そこから直接は何も音は伝わらないし聞こえていないと思う」
「そうかぁ、じゃあこれくらいだったら」
そういう事なので、小百合は今度は先程までよりも幾分強い力でその耳の片方を叩いた。
カチッ
その時だった。
小百合の叩く力が強すぎたのか。突然叩かれた方の耳は何かのスイッチでも入ったかの様な音を発すると、大きく折れ曲がった様に倒れたのだ。
「あっ」
「ん? どうしたの?」
その事で思わず発した言葉に、何も知らない小巻が目を開けて尋ねる。
「んん、なんでもない」
小百合は慌ててそう言うと、静かに倒れた方の耳を持ってはゆっくりと起き上がらせた。角度とかの問題だったのだろうか、小巻はそれに対して痛み等は感じていないらしく、何が起こったのかも気付いていない様だった。
(ふー、危ない危ない。こんな事小巻ちゃんにバレたらきっと怒ってもう触らせてはくれないぞ)
何とか元の位置でちゃんと立たせる事が出来た小百合は、一人そんな事を考えながら立たせた耳から手を離そうとした。と、そこで変な事に気が付く。
掌に、僅かながらだが何かの振動が伝わって来たのだ。
そして流れ出す音。
キーンコーン
カーンコーン
それは馴染みのある学校放送で流れるチャイムの音と非常に良く似た音だった。
「えっ、ちょっと、これって」
そしてその音に小百合が戸惑うのも無理はなかった。
何故ならばその音は小巻の頭の上の、黒くて大きなバニーガールの様な耳から聞こえて来たからだ。
つづく
いつも読んで下さる皆様、有難うございます。