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彷徨線  作者: 孤独堂
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第一話 電波塔の少女 その①

 

 底が抜けるとはまさにこの事だと、一之谷小百合いちのや さゆりはまた今日も空を眺めては思った。

 放課後の中学校舎。三階の廊下の窓からついぞ眺めた空は、十日程前から何一つとして変わってはいなかった。

 一見すると何も変わらない、変化がないという事は、まるでいつもと変わらない日常を表しているかの様で、取り立てて問題もない様に感じるかも知れないが、しかしこの場合は変わらないという事自体が既に異常な事態であった。

 小百合が窓越しに眺めている視線の先には、この町を覆い尽くす空がある。

 そしてその空に浮かぶ巨大なドーナツ状の雲。

 この丸いドーナツ雲は、真ん中を円形にすっぽり抜いて、まさにこの町を外側のリング状の雲で囲むかの様にしてもう十日程この真上に鎮座しているのだ。

 だから屋内の、中学校舎の窓からでは実際の所全体は見れない。屋外で真上を向かなければその全体像は確認出来ないのだが、もう十日である。窓から外を眺め、雲の縁を見ただけでも、小百合にはそれが相変わらず何の変化も起こさずに、ただそこにいるという事は容易に確認出来たのだった。


ー底が抜けた雲。底抜けの雲ー


(その抜けた先に私達の町がある)


 外を眺めながらそんな事を思うと、小百合はここの所いつも胸が苦しくなり、不安な気持ちになっていた。

 つまるところテレビやネットでのオカルトや都市伝説の見過ぎだと思われてしまうかも知れないが、やはり小百合には何かの前兆ではないかとしか思えなかったのだ。

 全く風がない無風状態の日々という訳でもないのに、まるで動こうとしない巨大ドーナツ雲。

 それは当然テレビやネットでも話題になり、先日にはついに政府も調査に乗り出すと公表された。

 実際には現状何の害も今の所発生してはいないのだが、それはやはりそういう所が人間というものなのだろう。自分達には説明の出来ない事象・現象を人間は不安視する。

 つまり分らない事に関しての先入観というものは大抵みんなマイナスから入るという事だ。その点に於いて考えると胸が苦しくなるという小百合は、相当人間らしいといえるのかも知れなかった。


 さて、そうやって放課後とはいえまだ青い空を眺めていた小百合は、下に動くものを見つけては視線を下に下げた。


(小巻ちゃん?)


 それは校庭の隅を紺色のジャージ姿にスクールバッグを背中に背負って、今まさに帰ろうとしている三原小巻みつはら こまきの姿であった。

 この中学の殆どの生徒はジャージのまま登校してジャージのまま下校する。制服も無論あるのだけれど、要するにそれは面倒なのだ。制服から何かにつけてジャージに着替えるよりは、朝から晩までジャージでいる方が効率的で楽だというのがこの学校の生徒の大半の考え方だった。だから今こうして窓から空を眺めていた小百合自身もまた、ジャージだった。

 そして三原小巻は小百合と同じ三年三組の生徒で、相当仲の良い友達の一人だ。

 だから今日も一緒に帰る筈だった…のだが。


(あのヤロー! 待っててくれるって約束したじゃないか~裏切ったな~)


 小百合は思わずさっきまでとは違って両の手を窓枠に掛けては、体を前のめりに窓ガラス一杯まで近づけると、食い入る様に下の小巻の後姿を覗き込んだ。

 小巻はテクテクと一人校門の方へと向かって歩いて行く。


(誰かと先に帰っちゃう…というのでもないのか…)


 ここからでは小巻の顔の表情までは分からないので、どういうつもりで約束を破って帰るのか、小百合には到底分からない事だったが、それでも一つだけは思い当たる事はあった。


(また忘れたのかな?)


 そう、三原小巻はいつも陽気でニコニコとしているのだが、その分忘れっぽいのだ。

 ちょっとした用件でも大事な事でも直ぐに忘れる。

 だから普通の人なら悩む様な問題が発生しても、それすらも直ぐに忘れてニコニコと笑い出すのだ。


(きっとそうだ。そうに違いない)


 そう思うと小百合は窓枠に掛けていた手を下ろして、数歩ゆっくりと後ず去った。


(それならば怒ってはいけない。諦めなければいけない)


 そう自分に言い聞かせると小百合は、一時的に熱くなった自分の中の怒りを素早く押さえ込んだ。

 そしてそれからは何事もなかったかの様に再び廊下を歩き出す。

 日直だった小百合は、放課後職員室に呼ばれていたのだ。


    ─────────────────────────────────────



 職員室に呼ばれた小百合の仕事は、明日使うプリント数枚のホチキス留めだった。

 担任の先生の机の隣に椅子が用意されると、小百合はそこに座り、隣で順番に並べたプリントを先生が差し出すのを待ってはそれを受け取り、そして一組ずつホチキスで留めて行った。

 淡々と進められて行く作業は、自分のクラスの人数三十人分。

 相手が先生では到底話をしながらという訳にもいかないので、作業は黙々と進められた。

 先生の方も枚数を数え、順番に並べるという作業上、間違いがあってはいけないと、全神経をそちらに注いでいたのだろう。話しかけて来る事はなかった。


「お前はいい生徒だよな。一之谷」


 そんな中後ろから中年男性の声がした。

 振り返らずとも小百合はその声が誰のものかは直ぐに気づく。社会科の五百淵先生の声だ。


「ありがとうございます」


 だから振り返らずにそのまま会釈だけしてそう答える小百合。

 小百合は、五百淵先生の事は好きだった。

 ただしこの場合の『好き』というのは、恋愛を指すものではない。

 先生として尊敬をしてるのだ。

 五百淵先生は、大柄で無骨な五十代前半位の男の先生で、表情はいつも無表情。もしかすると職員同士だけの時ならば笑う事もあるのかも知れないが、少なくとも生徒の前では笑う事などはない先生だった。いつも無表情で、淡々と社会科の授業を進めていた。そんな先生だから取り立てて親しい生徒もいなかったし、寧ろ自分の方から生徒との間に境界線を引いている様にさえ、小百合には見えていた。

 そしてそこが良かったのだ。

 誰をえこひいきする事もなく、いつも冷静に、平等に生徒を見ている様に思えたのだ。

 それは小百合の中の教師とはこうあるべきだという考えと合致していた。


「見てる人はちゃんと見ているからな。頑張れよ」


 五百淵先生は小百合の言葉に後ろから静かにそれだけを言うと、スタッスタッとスリッパの音だけを残してその背後から歩き去って行った。

 だから小百合は、放課後残って先生の手伝いをさせられるのは本当は凄く嫌なのだけれど、今は少しだけ、嬉しい気持ちになっていた。



             つづく



読んで頂いて有難うございます。

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