ご招待(後編)
中山家の別荘に招待されたその日、俺たちは、別荘に泊まることになった。
荘太には別荘にも荘太の自室があるらしく、俺たち一家で一部屋、そして、雅之たちで一部屋あてがわれた。
荘太と別々の部屋で散々ぐずっていた灯里が泣き止み、俺たちも眠りにつきかけていたころ、小さくドアをノックする音が聞こえた。
荘太も灯里が恋しくてやってきたのだろうか。
だが、夜這いは許さんぞ!
そう思いながらそろりとドアを開けると、そこには、本宅に戻っていたはずの執事長の高柳さんがいた。
「まだ起きていらっしゃるのでしたら、少しお夜食などご用意しますので、お話しいたしませんか?」
「はい!食べたいです!」
俺の後ろで元気に翠先生が手を挙げた。
『ママ!一緒にいて!』
その声に目が覚めたのか、灯里が翠先生の服を掴んだ。
「灯里も一緒に行こうね!」
灯里が泣き出すと一大事と判断した翠先生が、とっさに灯里を抱っこしたためか、灯里は再び落ち着いて寝息を立て始めた。
案内された部屋には、雅之と有希ちゃんもいた。
テーブルの上には、軽食やらお菓子やらが載っている。
ぐうっと、大きくおなかが鳴る音がした。
俺が思わず翠先生の方を見ると翠先生はぶんぶんと首を横に振った。
「明君なんじゃないの?」
「俺じゃないですって!」
「私めでございます!」
そう言われて振り返ると執事長の高柳さんが盛大におなかが鳴ったとは思えないほど凜として立っていた。
これは、聞き流すべきだろうか?
それとも、一緒に軽食をとることを勧めるべきだろうか?
「恐れ入ります」
そこに、高柳さん(息子)が姿を現した。
「執事長、後は私めに任せて、一旦奥へ……」
「いえ、そのようなわけには……!」
そう言った執事長の方の高柳さんのおなかが再び鳴った。
静かになった部屋に俺たちは取り残された。
執事長の高柳さんは、奥さんと息子に半ば引きずられるように奥へと引っ込んでいった。
目の前にある軽食やお菓子に手を付けていいとは思うのだが、中山家の屋敷の人が一人もいないため、何となく手が出しづらい。
「皆さま、どうぞ召し上がってくださいね。腕によりをかけて作ったのですから」
高柳さんたちとは違う声に顔を上げると、コック帽をかぶった男性が目の前にいた。
「じゃあ、いっただきまーす!」
すかさず翠先生が肉が挟まれたサンドイッチに手を伸ばした。
そこは、軽いお菓子じゃなくて軽めにがっつり行くんですね……。
俺たちもそれに倣って、菓子や軽食に手を伸ばした。
「うん、おいしい!」
翠先生は、皿に乗っていたサンドイッチを完食すると、満足げに顔を上げた。
そして、きょろきょろと視線を動かした後、料理人を見た。
「本当においしい」
「お気に召していただいたようで……」
「本当に、荘ちゃんが作ってくれるのと同じ味だわ」
少しほころびかけた料理人の表情が凍り付いた。
「お料理することが、そんなにダメなんですか?」
ふと、有希ちゃんが首を傾げた。
荘太ほどのおぼっちゃまになると、何かと制約が厳しいのかもしれない。
「ダメというか、その……」
料理人は何だか歯切れが悪そうだ。
「その点については私の方から説明を……!」
突然大きな声がして、部屋の入り口を見ると、執事長の高柳さんが、立っていた。
「あれは、4年前の冬でした」
急に、昔の話になったぞ?
「われらが天使、荘太様ががこの屋敷に舞い降りたのは!」
荘太がNICUから退院したところから話が始まった!
「荘太様が退院なさる頃には、亮太様にずいぶんと手がかかるようになっておりまして、静香様は亮太様につきっきりでいらっしゃいました」
『その頃って、わがまま言いたくなっちゃうのよねぇ』
灯里いつの間にか起きてる!
ていうか、灯里も現在進行形で手がかかる時期だぞ!
「必然的に、荘太様は、我々使用人と、志乃様といる時間が多くなりますが、あの頃から荘太様は、大変聡明でなおかつ天使のようにお可愛らしく、我々使用人も、志乃様もそれはもうメロメロになっておりました」
そりゃあ、猫かぶりモードの荘太には、皆メロメロになるだろうなぁ。
「ですが、静香様は、その様子を見て、荘太様が志乃様にばかり懐いていると感じられてしまったのです。荘太様は、静香様にも志乃様にも同じように笑顔を見せていらっしゃったのに、その事実にはお気づきになられなかったのです」
「それで、荘ちゃんに暴力を?」
翠先生の問いに、執事長は首を横に振った。
「いえ、最初のころは、負けじと亮太様の教育に熱心になられるだけでした。荘太様に対しては、亮太様のライバルと言った認識でした」
「それだけなら、あんなことにはならなかったのでは?」
今度は雅之が口を開いた。あんなこと、と言うのは、意識をなくすほど殴られた件のことだろう。
「早産児でお生まれになったとは言え、1年以上年上の荘太様の方が何かとできることが多いものです。その上、静香様の愛を一心に受けて育たれた亮太様は、多少、その、ワガママにお育ちになっておりました」
『いるよねー!ままを独り占めだからって、世界の中心が自分みたいになっちゃう子!』
灯里も、十分世界の中心が自分だぞと言いたいところだったが、灯里も、翠先生が仕事に出てしまってさみしい思いをしてるんだった。
「そして、志乃様は昔から躾に厳しいお方でしたので、ワガママな亮太様を諫める場面が少なからずありました。それがさらに、静香様の闘争心に火を付けてしまったのです」
そして、荘太の母親は、荘太のばあちゃんがいないところで、荘太のあら探しをしては、折檻するようになったという。
「我々もすぐその事実に気付きまして、なるべく志乃様の不在時には、荘太様を静香様に近づけないようにするなど陰ながら支えておりました」
そんなある日、事件が起きたという。
「ある日、志乃様がご不在の際に、荘太様に静香様が手を上げられたときに、使用人の一人が、間に割って入って、荘太様の代わりに殴られました」
きっと、その使用人さんは荘太が殴られるのを黙ってみていられなかったのだろう。
「そして、その使用人は翌日にクビになりました」
「え?」
「嘘?」
荘太をかばっただけなのに?
「もう二度とこの屋敷に近づけぬよう、あらゆるところに手を回されたようで、その者は、それ以来音信不通になりました」
そ、そんな!
「そして、その者がクビになると同時に、別の使用人が雇われたのですが、その者は、荘太様にだけキツく当たりました」
「その一件の後、荘太様が使用人たちに言ったんです」
黙っていた料理人が口を開いた。
その声は、泣きそうに震えていた。
「これ以上荘太様のせいで使用人がいなくなるのを見たくないから、荘太様が静香様と仲良くなったら万事解決するのだから、これからは、何があっても一切手出ししないで欲しいと」
料理人はポロポロと涙をこぼし始めた。
「だから私は、志乃様が不在の時に、静香様と亮太様の分しかお料理を用意していないことに気付いていながら、何もできませんでした」
料理人は涙を流しながら話し続けた。
「その事実に気付いて、荘太様に料理を持って行った者が翌日クビになり、私どもはすっかり怯えてしまっていました」
部屋にいる使用人たちの表情は一様に暗い。
「そんなある日の夜中のことでした。翌日の仕込みをしていると、小さな足音が聞こえました」
そこまで言うと、料理人は顔を押さえて座り込んだ。
そして、嗚咽混じりに言った。
「そこには……痩せ細った……荘太様が……」
そのまま料理人は泣き崩れた。
『私、ミルクが30分遅いだけでもおなかが空いて泣きたくなるのに、何日もおなかが空いたままなんて、悲しすぎるよ!』
灯里の泣きそうな気配を察知したのか、翠先生が灯里の背中をなだめるように叩きながら言った。
「その一端を担ってしまった責任を感じると、今思い出しても辛いんですね……」
涙を拭った料理人は、再び立ち上がった。
「荘太様に、何かお作りしましょうかと申し上げたのですが、荘太様が勝手に厨房のものを食べたことにすれば、誰もクビにならないから、料理するところを見せてくれるだけで良いとおっしゃって、最初の方は、すぐ食べられるものを召し上がっておられましたが、次第に見よう見まねでお料理されるようになりまして、そうしましたら、私どもと同じ味が出せるではありませんか!」
料理人は、さっきまで泣いていたとは思えないほど、目を輝かせて話している。
「荘太様はこの才能を生かして、是非料理人に……!」
そこまで言ったところで、メイド長の高柳さんが、料理人に強烈な張り手を食らわせていた。
「こんなに色々勝手なことしちゃってるけど、この屋敷に静香さん派のスパイとかいたらひとたまりもないんじゃない?」
「以前は、静香様の手の者が、静香様不在時に屋敷に残ることもありましたが、決まって、残ったものが静香様がお戻りになる頃には辞表を提出しておりましたので、最近は、荘太様が不在にしていることもありまして、静香様のおつきのものは全員お連れになられております」
「まさか、いじめ……うっ!」
思わず口走った俺の横腹を翠先生が肘鉄した。
「いえ、我々も、いくら荘太様がひどい扱いを受けたとしても、その報復などは致しませんよ」
執事長がとんでもないと言わんばかりの勢いで答えた。
「確かに、どの者も、静香様のおつきの使用人はみな、荘太様には厳しい態度をとっていたのですが、荘太様は、使用人全員の顔を把握しておられまして、静香様のおつきの使用人が残っていると知ると、積極的に話しかけられまして、静香様や亮太様の普段のご様子をお聞きになるのです」
『荘ちゃんは、いつも、荘ちゃんのお母さんや弟君のことを気にかけていたみたいだもんね、妬いちゃうわ』
灯里、家族愛にまでやきもちを焼かなくてもいいぞ。
「普段から荘太様に厳しい対応をしている彼らにとっては、あのような不当な扱いを受けているにもかかわらず、お二人の様子を目を輝かせて聞かれる荘太様のご様子を見ると、良心の呵責があるようでして、戻ってきた静香様の言いつけ通りに荘太様に今まで通りの対応をすることができないと判断して、皆、辞表を提出するのです」
荘太の猫かぶりと腹黒さのなせる業だな。
「荘太様の自然と出てくる天使のほほえみと、元からの性格の良さがなせる業です!」
執事長の言葉に、その場にいた使用人全員がうなずいていた。
いや、全員、猫かぶりモードの荘太に騙されすぎだろ!
『パパ、ワイルドな荘ちゃんも、王子様な荘ちゃんも、どっちも荘ちゃんなのよ』
ここにも騙されてる人がいた!