クリスマスの夜に
「翠先生、こんな感じで大丈夫でしょうか?」
部屋の飾りつけを終えた俺は、翠先生を振り返った。
「大丈夫大丈夫、そんな、気を遣うことないよ」
「気を遣うことないことないですよ!」
俺が気を遣うのには訳があった。
今日は、灯里の誕生日の時には、来られなかった、翠先生のお母さんが、やってくるのだ。
ついでに、俺の両親も来るが、それはどうでもいい。
翠先生のお母さんが我が家に来るのは初めてなのだから、気を遣うのは当然だ。
「だって、私と二人暮らしで全然気にしてなかったお母さんなんだから、大丈夫だよ」
だからと言って、今、家事を任されている俺としては、やはり気を遣うわけで……。
そんな俺たちの会話を遮るようにインターホンが鳴った。
「はーい!」と、言いながら翠先生が玄関に向かって歩いていく。
灯里がそれを真似して「はーい」と言いながらとてとてと玄関に向かって歩いて行った。
俺も、もう少し飾りつけをしようと用意したオーナメントを床に置いて、灯里の後をついて歩いて行った。
「翠さん、おひさしぶり!」
やってきたのは俺の両親だった。
「あら、灯里ちゃん!」
「おお!灯里ちゃん、もう立てるのかい?」
「灯里、こんにちはできる?」
そう言われた灯里は、翠先生が「こんにちは」と言うのに合わせて、少しひざを曲げて、頭をぺこりと下げ、また、膝を伸ばして、得意げに微笑んだ。
若干独特ではあるが、今の灯里の精いっぱいのこんにちはの挨拶だ。
両親には、初孫のこんにちはが、とても愛おしかったらしく、玄関に入った時点ですでに灯里にメロメロになっていた。
「あれ?明、いたの?」
俺の存在を忘れるほどに。
「灯里ちゃん、じいじだよ!」
「じーじ!」
灯里は俺の父親に向かって言った。
「灯里ちゃん、ばあばですよ!」
「ばーば!」
灯里に呼んでもらえて俺の両親はご満悦だ。
「ママ!」
「灯里、じーじとばーばが大好きだからすぐ言えるようになったね!お義父さん、お義母さん、お茶、置いときますね」
翠先生が、俺の両親のところに来たところで、再びインターホンが鳴った。
もしかしたら、翠先生のお母さんかもしれない!
俺が「はーい」と言いながら玄関に向かうと、再び灯里が俺についてきた。
「まーちゃ!」
「灯里ちゃん、こんにちは!」
「ゆーちゃ!」
「灯里ちゃん、こんにちは!」
雅之と有希ちゃんの二人に言われて、灯里は、また、こんにちはのお辞儀をした。
すでに灯里にメロメロの二人は、灯里と手をつなぐと、リビングに消えていった。
翠先生と話していた両親が、雅之と有希ちゃんに気づいたらしく、皆で会話を始めた。
灯里は、ちゃっかり有希ちゃんの膝の上に座っている。
再び、インターホンが鳴った。
今度こそ、翠先生のお母さんだ!
今日のメンバーの中で、唯一俺のことを空気以上に扱ってくれる、翠先生のお母さんだ!
「はーい!」と、俺が玄関に向かうと、灯里もついてきた。
「ごめんね、予定してた電車に乗れなくて!あら!灯里ちゃん、こんにちは!」
灯里が、こんにちはのお辞儀をすると、お義母さんも笑顔になった。
「こんにちは、灯里ちゃんのおばあちゃんよ!」
「ばーちゃ!」
灯里に呼ばれて、お義母さんはさらに笑顔になると、灯里とともにリビングへと向かった。
リビングの扉を開けると、お義母さんは「あ!」と言った。
きっと、俺の飾りつけに感動して……。
「雅之君、その隣の子、だれ?」
あ、お義母さんは、有希ちゃんと初対面だったか。
「そういえば、灯里ちゃんは、明くんのことは何て呼んでるの?」
お義母さんが素朴な疑問を口にしたのは、夕食を食べ終わったころだった。
言われてみると、今日は父ちゃんと呼ぶ気分ではなかったらしく、一度も呼ばれていない。
「あ、明くん、そろそろクリスマスケーキ食べたいな!」
なぜか動揺する翠先生。
「そうだね、兄貴のケーキ食べたいな!」
「お手伝い必要ですか?」
なぜか、雅之や有希ちゃんも、話題をそらそうと必死だ。
「いや、灯里は、調子いいときは俺のこと、父ちゃんって……」
「え?」
「えっ?」
「えっ??」
翠先生、雅之、有希ちゃんが、驚いたように言って、俺もつられて「え?」と言い返した。
「えっと、うん、ケーキ食べよう!」
翠先生に言われて、俺は、ケーキを冷蔵庫から出した。
灯里も食べれるように、易しい味付けのケーキだ。
テーブルにケーキを持っていこうと、歩き出した直後、俺は、自分が床に置いたオーナメントに滑って、ケーキと一緒に転んでしまった。
「あ!」
「ケーキが!」
皆、俺よりもケーキの心配ですか……。
だが、確かに、ケーキは見るも無残に大破していた。
ケーキまみれになった俺は、着替えて前進洗ってくるように言われて風呂場に押し込まれた。
俺がさっぱりして戻ってきたころには、ケーキは片付いていたが、室内にはどんよりとした空気が立ち込めていた。
「あの、もう一回ケーキを作りますので……」
そう言いかけた時、インターホンが鳴った。
もう、来るべき人は、全員そろったはずだが。
「はーい!」
灯里の条件反射のような可愛い出迎えに、どんよりした空気がわずかに和らいだ。
灯里とともに、翠先生も玄関へと向かった。
「とーちゃ!」
灯里に呼ばれて、俺が向かうと、そこには荘太と荘太のばあちゃんがいた。
「急に出かけなければならなくなってしまって、荘太さんも連れて行こうかと思ったのですが、どうしても、灯里さんにクリスマスプレゼントを渡したいと……」
「一人くらい増えても大丈夫ですから、荘ちゃん、しばらく預かっておきましょうか?」
翠先生に言われると、荘太のばあちゃんは、申し訳なさそうに、「それでは、お言葉に甘えて……」と言いながら、執事の高柳さんを呼んだ。
「本家のシェフにケーキを作らせましたので、よろしければ皆さんで……」
「喜んで!」
翠先生をはじめ皆の顔が輝いたのは言うまでもない。
「よし、今度はそーっとケーキ様をテーブルに運ぶわよ!」
そう言われて、雅之が、もらったケーキを慎重にテーブルに運んでいる。
俺は、人数分の皿とフォークを持ってきていた。
灯里はと言うと、荘太が着た瞬間から荘太にべったりだ。
灯里は何かを荘太に言おうとしている。
「と、とー、そ、そーちゃ!」
「灯里ちゃん、やっと荘ちゃんって言えたね!」
灯里の声に反応して翠先生が言った。
「サ行は発音が難しいですもんね」
そうか、サ行が言えなかったから、今まで、荘太のことを呼べなかったのか。
「今までは、荘ちゃんじゃなくてとうちゃんに……あっ!」
テーブルにケーキを置き終えた雅之がそう言うと、口をつぐんだ。
ん?
今まで、父ちゃんって、呼んでいると思っていたのは、もしかして、荘ちゃんって呼びたくて呼べなかったやつなのか?
いや、そんなはずない!
俺は、灯里のもとへと駆け寄った。
「灯里!パパの子とも呼んでくれ!」
そう言いながら、灯里にほおずりしていると、ご機嫌で遊んでいた灯里がおもちゃを置いて叫んだ。
「パパ!イヤ!」
それが、灯里の記念すべき最初の二語文であった。




