救世主
離乳食開始から2カ月以上がたった。
最初はひとさじのおかゆから始まったのだが、だんだんと、種類や量を増やして、今では、だいぶ食べられるものが増えてきた。
幸いなことに、今のところ、灯里にはアレルギーはなさそうだ。
『パパのごはんおいしい!』と、灯里が毎日言ってくれるので、俺もがぜんやる気だ。
『パパ、なんか熱い!』
夏だからな!と、思ったが、灯里が泣き出したので、翠先生が様子を見に来た。
「灯里の抱っこ代わるよ、って、明くん、なんか熱くない?」
「夏ですから!」
「そういう問題かなぁ?」
どうやら俺のやる気があふれ出てしまっていたらしい。
「私、今日休もうかな?」
翠先生が突然言い出した。
「翠先生、体調が悪いんですか?」
「いや、そうじゃないけど」
反射的におでこに手を置こうとした俺の手をひらりとかわしながら翠先生が言った。
「体調が悪いんでなければ、後から俺が、黒川と米田さんから呪いのメールが届くので、出勤してください!」
俺が言うと、翠先生は、「そっかぁ」と、不服そうにしたが、「今日は、私が灯里の離乳食作るね!」と、俺が洗濯している間に離乳食を作って食べさせてくれた。
翠先生も、灯里と一緒に過ごしたかったのか、と、一人で納得しながら、俺は、洗濯をすると、翠先生を送り出した。
翠先生が出て行ったあと、俺は、おんぶを嫌がった灯里をベビーベッドに寝かせ、いつもの家事に戻った。
皆、熱いと言っていたが、何だか俺は寒い気がする。
クーラー利かせすぎたか?
だが、クーラーの設定温度は28℃だし、灯里は寒がるどころか布団を蹴飛ばしている。
俺でも寒いくらいだから、灯里にもよくないかもしれない。
俺は、クーラーの電源を切ると、洗い物に戻った。
何だか、洗い物をしているせいか、すごく寒いし、ふらふらする。
と、思っているうちに、意識が遠のいて、俺は倒れた。
『パパ?』
灯里の心配そうな『声』が遠く聞こえる。
俺、死ぬんだろうか?
灯里を残して死ぬなんて……。
目を覚ますと俺は自分のベッドの中にいた。
確か俺はキッチンで洗い物をしながら倒れたはずだ。
何でベッドに?
ていうか、灯里は?
何がどうして?
起き上がった俺は、バタンとベッドに倒れた。
ふらふらして起き上がれない……。
やっぱり、俺、死ぬんだろうか……。
扉が開く音がしてそちらを見た。
え?
「荘太?」
「大丈夫か?」
荘太以外はいないのか、荘太は素で話しかけてきた。
「何で荘太、マスクしてるんだ?俺、ヤバい病気なのか?死ぬのか?」
「いや、ただの夏風邪だ」
そう言うと、荘太は手に持っていたお盆をサイドテーブルに置いた。
「食べたらお盆ごと廊下に出しておいてくれ。あと、着替えとタオルは置いておいたから、汗かいたらこまめに着替えて、着替えた物はそこの籠に入れてくれ」
「看病とかしてくれないのか?」
「笹岡の看病をして俺までうつったら、誰が灯里の面倒を見るんだ?」
「灯里の面倒は俺が……!」
起き上がろうとした俺はふらついてベッドに手をついた。
「その体調で灯里の面倒を見られても迷惑だし、灯里にうつしたりしたら、俺が許さない」
荘太に睨まれて俺には謝ることしかできなかった。
「あ、で、でも、荘太は幼稚園は?」
「今日から夏休みだ」
そういえばそんな季節だった!
荘太はそのまま部屋から出て行った。
俺はのそりと起き上がると、サイドテーブルに置かれた食事に手を付けた。
「うまっ!」
思わず声に出てしまった。
事実、荘太が作ってくれた食事はうまかった。
しかも、何だか胃に優しそうだ。
荘太の用意してくれた食事を食べながら、俺はふと考えた。
もしも、荘太の幼稚園が夏休みに入っていなくて、誰も来なかったら……。
俺は、まだキッチンで倒れたままだったし、灯里も翠先生が帰ってくるまでずっと放置されていただろう。
窓の外を見ると、太陽がさんさんと輝いていた。
熱が上がり切ったのか、もう、寒気は引いている。
あれ?俺、自分が寒いからって、クーラーを切って……。
荘太が来なかったら、灯里が放置されているだけでなく、熱中症になってしまうところだった!
猛反省しながら食事を終えて、お盆を入り口まで持ってくると、ちょうど壮太がやってきたところだった。
今度はマスクだけでなく手袋までしている。
俺、どれだけ病原菌扱いなんだ!
「なあ、荘太、俺、倒れる前に、灯里の部屋のクーラー切ったみたいなんだけど……」
「家に入ったら空気がよどんでたから、すぐに換気して灯里の適温にしておいた」
荘太、さすがすぎる!
「ありがとうな、もう、起き上がれるようになったから」
「まだ寝てろ。灯里にうつしたら許さないと言ったはずだ」
はい、そうでした。




