腕の見せ所?
キッチンに立った俺は、思わず笑みを浮かべた。
灯里に歯が生えてきた。
と言うことは、離乳食開始はそろそろだ!
と言うことは、俺の腕の見せ所がやってきたということだ!
今まで、散々翠先生や荘太にダメ出しをされて生きてきたが、そんな日々ともおさらばだ!
美味しい離乳食で、灯里の胃袋を掴んでやる!
「ただいまー!」
夜勤明けの翠先生が帰ってきた。
「あ、なんかいい匂い!」
「あ、それは、灯里用で」
「へ?灯里用?」
翠先生が怪訝そうな顔をした。
翠先生のごはんよりも前に灯里の離乳食を準備したのがまずかっただろうか?
「灯里にこれを食べさせるの?」
「……そのつもりでしたが」
「材料と、どうやって作ったか、教えてもらっていい?」
翠先生が、俺のレシピに興味津々だ!
と、思った俺がバカでした。
「初めての離乳食なのに、色々入れすぎ!」
「いろいろな味がした方が美味しいかと」
「味付けも大人と同じ何てまだ早い!」
「パパの味を知ってほしくて……」
「そもそも、具材がすりつぶされてない!」
「歯ごたえも大事かと……」
「まだ歯が1本しか生えてないのに、歯ごたえもくそもあったもんじゃないでしょう?」
「おっしゃる通りです……」
「それに、これ、隠し味にはちみつとか、絶対ダメな食材だから!」
「美味しくなるかと……」
「これ読んで、離乳食の勉強しなおし!今日は灯里はミルクにします!」
俺の初めての離乳食チャレンジは、大失敗に終わってしまった。
うなだれている俺の肩を翠先生がポンとたたいた。
「反省しているってことは、改善が見込めるってことよ!」
だから、ワン吉はまだましよ、と、翠先生は笑顔で言うと、「着替えてくるね」と、自室に向かった。
その時だった。
インターホンが鳴った。
たまたま玄関に近いところにいた翠先生が扉を開けた。
「あれ?荘ちゃん?」
確か、まだ、荘太の母親は帰ってこないから、ゴールデンウィークの間はと使用人たちにせがまれて、荘太は中山家にいたはず……。
「帰国が早まると行けないからと、早めに戻ってきました!」
くそ!灯里と翠先生と3人で団欒する予定が!
「あと、料理人から、離乳食の作り方教わってきたので、チャレンジしてみてもいいですか?」
「もちろん!」
荘太も俺みたいに失敗して、翠先生にしこたま怒られてしまえば良い!
「荘ちゃん、すごーい!完璧!!」
はい、そんなはずはありませんでした。
料理人に教わって、そんな大失敗をやらかすわけないですよね。
「明君、見てた?荘ちゃんに教わると良いよ!」
あ、はい、見てませんでした……。
『どうせ見てなかっただろ、灯里の口に入る物だからな、あとからみっちり教えてやる』
頼んでもないのにみっちり教えて頂けるようです。
「ついでなので、皆さんの分のお食事もご用意しますね!」
「わー!荘ちゃんの手料理とか幸せ!」
そう言った翠先生は、俺の方にくるりと振り返った。
「あ、明君の昼食は、それね」
それ、と、翠先生が指さしたのは俺が作った出来損ないの離乳食だった。
荘太が『何だそれ?』と、『声』でつぶやいた。
『それね、私の離乳食のつもりだったんだって』
黙っていた俺の代わりに灯里が応えた。
『いや、常識的に考えて、あり得ないだろ』
当然だが荘太にまで一蹴された。
「じゃあ、良い感じの温度になったから、灯里ちゃん、そろそろ食べてみようか?」
そう言うと、荘太は手際よく、灯里の首に手を回した。
「そ、それ、密着しすぎだろ?」
『食事用のスタイを付けてるんだから仕方ないだろ』
荘太は俺に『声』で毒づいたあと、翠先生の方を見て、「僕、食べさせ方も教わってきたから、やってみてもいい?」と、猫かぶりモードで言った。
「もちろんよ!バッチリ撮影しとくわ!」
そう言った翠先生の手にはいつの間にかカメラが握りしめられていた。
「俺も、灯里に……」
「明君は心配だからダメ!」
そんな!
「はい、灯里ちゃん、あーん……」
荘太が灯里に薄めたお粥を乗せたスプーンを差し出す。
『あー……』
灯里が、荘太の口をマネするように口を開くと、スプーンがその中に入った。
『ん』
灯里の口が閉じられと、荘太はその口からスプーンを優しく引き抜いた。
スプーンの上に載せられていたお粥は、灯里の口に入ったようだ。
あれ?これ、灯里の初あーんが、荘太に奪われたってことか?
「お、俺も、灯里にあーんを……!」
「初めての離乳食だから今日はひとさじだけ!」
「灯里ちゃん、ゴックンできたね!」
『できた!できた!荘ちゃんの手作りおいしい!』
俺の離乳食は大失敗に終わったが、荘太の離乳食は大成功だったようだ。
俺は密かに下唇をかみしめた。
翌日、俺は再びキッチンに立った。
翠先生からもらった本も熟読したし、認めたくはないが、荘太にみっちり指導された。
今日の俺は、昨日の俺とは一味違う!
そして、今日こそは、灯里にあーんするんだ!
そのためには、荘太にも、翠先生にも遅れを取ってはならない!
俺は灯里を抱きかかえると、椅子に座らせた。
「ただいまー!」
翠先生が帰ってきた。
だが、既に灯里は座っているし、出来たての離乳食も準備万端だ!
「あ、今日は上手にできたんだね!」
「そうです!ほら、灯里、あーん!」
「あ、ちょっと、明君……」
『あー』
翠先生が何か言おうとしたが、俺は灯里の口にお粥を乗せたスプーンを……。
『熱い!痛い!!!パパ嫌い!』
スプーンを口に入れた瞬間、灯里が泣き出した!
しまった!冷ましてなかった!
「灯里?大丈夫?」
「どうした灯里?」
翠先生が駆け寄ると同時に、うちに来たらしい荘太が駆け寄ってきた。
「あ、お粥、冷ましてなくて……」
「いいから、水!」
荘太に言われて、立ち上がった拍子にお粥が手にかかった。
「熱っ!」
「そんなに熱い物を灯里に?」
荘太が信じられないという口振りで言った。
「私が水は持ってくるから、明君は早くそれ冷やして!」
翠先生は、立ち上がると、俺の手を引っ張って流しへと向かった。
俺の手を冷やすよう指示した翠先生は、水を持って灯里の元に戻った。
『うぅ……もう……パパ嫌い……』
灯里に嫌われた!!
ショックを受けている俺を尻目に、翠先生は荘太にいたずらっぽい笑みを見せた。
「荘ちゃん、動揺のあまり素になってたね」
「……あ!」
確かに、さっきから『声』でなく、普通の声で俺に悪態をついていた気がする。
「すみません、思わず動揺してしまって、乱暴な言葉遣いを……」
「素の荘ちゃんも、ワイルドな感じでかっこ良かったよ!」
『ママにはパパがいるでしょ!』
灯里が不機嫌そうにうなると、「灯里から取り上げたりしないって」と、また、翠先生はいたずらっぽく笑った。
「あ……」
不意に荘太が顔を上げた。
「荘ちゃん、どうしたの?」
「慌てて入ってきてしまったので、靴もそろえてないし、鍵も閉めていなかったです」
『荘ちゃん行かないで!』
立ち上がろうとした荘太の袖を灯里がしっかり掴んだのを見て、翠先生が笑って言った。
「良いよ、明く………あ、私が行くから!」
そう言うと、翠先生は玄関の方へと駆けていった。
翠先生、一瞬俺をこき使おうとしましたね……。
「明君どう?……そんなにひどくなさそうだね。」
玄関から戻ってきた翠先生は、俺の様子を見に来てくれた。
そして、そのまま笑顔で言い放った。
「しばらく、明君一人の時に離乳食作るの、禁止ね!」
「え!でも!俺、次からは……」
すると、翠先生は真顔になった。
「家でまでストレス増やさないで……」
「……はい」
あまりの迫力にそう返事するしかなかった。




