魔王
周囲に広がって分散した光はやがて一点へと収束する。そして光が完全に消滅し、巨大なクリスタルがあった場所には人が一人うつ伏せに倒れていた。抱えていた白ウサギはその人物のもとに駆けていく。
暗がりではっきりとは確認できないが正確には人のようなモノと言った方が良いのかもしれない。
突然、人型をとったそれから青白いオーラのような光が浮かび上がる。
「キャァァァァ…………」
咄嗟の悲鳴。
なぜなら、それには虎のような牙があった。牛のような角があった。コウモリのような翼
があった。
皮膚は黒い。目は無くおまけに本来鼻があるべき位置には小さな穴が二つ開いている。
この感情はただの恐怖ではない。生物の本能からくる危険信号にも似た何かだ。
吐き気。
熱いものが喉の奥から込み上げる。
「オェェェェ……」
逃げなくては。
両足に力を込める。が、立ち上がることができない。
腰が抜けている?
文字通りの白紙が脳内を支配する。這いつくばり匍匐前進のようにして化け物から距離を取ろうとするが思うように進めない。呼吸ばかりが激しくなっていく。
「ゴホッゴホッ」
背後で咳き込む声。
反射的に後ろを振り返る。
しかし化け物は例のクリスタルのあった場所から少しも動いていなかった。それどころかうつ伏せに倒れた状態からまったく変わっていない。
すると、あることに気づく。
動かなかったのではなく動けなかったのだと。
先ほどは恐怖に支配されていて気にも止めなかったが、その化け物は明らかに満身創痍だった。
体からは左右の脚、左腕、右の翼が欠損している。特に左脇腹のあたりはひどい。肉がえぐれていて、赤黒い内臓とも呼べないようなものがこぼれ落ちている。加えて咳はどうやら吐血によるものだったらしい。肩で呼吸をしていておそらく長くはないだろう。
「怪我をしているのですか?」
逃げなくてはいけないということは分かっている。足はガクガクと音を立て、肌は常に泡立ちまるで死と直面しているかのような感覚。
自分でも訳が分からない。別に返事を期待したわけではない。言葉が通じるとは思っていないしましてや意思疎通ができるなんて考えてすらいない。
ただ、ほっとけなかったのかもしれない。
幼少期に母を亡くし父は兵役に就いてしまった。村の人たちは優しくしてくれたけど心の奥ではいつも一人だった。ひとりぼっちだった。
先の見えない真っ暗闇に置いていかれるような不安。両親は遠ざかる。笑顔で遠ざかる。その背中に手を伸ばしても届かないほどに。
彼のそんな姿が幼かった自分と重なったのだろう。幸い私には伯父さん、叔母さん、いとこのロウリー、それに村のみんながいた。
だけれど、彼には誰もいない。
そんな気持ちが自然と声帯を震わせた。
「他人の心配とは結構なことだな」
男の低い声が洞窟内に響き渡る。
「さっさと失せろ。そしてギルフォードを呼んでこい、早く俺を殺さないと大変なことになる」
血を吐き捨てながら続ける。
「と言ってもこのザマではそこらの役人でも容易に殺せるだろうがな」
自嘲めいた笑い。
彼のもとに駆け寄りボロボロのスカートの裾を破く。
「ごめんなさい、こんな布しかないけど傷を塞ぎます。私の家はここから近い、です。そこまではちょっと我慢して」
彼は私の腕を払いのける。
「触るな、人間が! 俺はこの程度問題ない。この俺を誰だと思っている、ベースティアだぞ」
ベースティア。聞き覚えがあるような気がする。でもそんなことは……
「今は関係ないわ。ほら、傷を見せて」
思っていたよりもひどい。蛆虫まで湧いている。
「ちょっと痛むかもだけど……って聞いてる?」
返事が無い。
「これ死んでないわよね?」
胸に耳をあてると鼓動が聞こえた。
どうやら気を失ってしまったようだ。口では強がっていたが相当無理をしていたらしい。
傷を縛るとベースティアの一本しかないうでを肩に担ぐ。体は3メートル近くあるようだ。しかし片腕と胴体だけならばなんとか持ち上げられそうだ。
魔王を背負うとアリスは洞窟の出口に足を進めた。