第3曲 魔法とコボルト
小鳥の鳴き声がはっきり聞こえる程、森は静寂に包まれていた。
立派な木々が不規則に地面から突き出しており、地面からはみ出た木の根が歩みを妨げる。そんな森の中を二つの影が奥へ奥へと進んでいた。
メイビスとノアは二人並んで、枝を掻き分けながら歩いていた。
あれから、命令を出した後、眷属達は散り散りになり、森の中に消えた。それはそれは速かった。
あれ、こいつら木ノ葉隠れの里出身かな?と思うくらいの身のこなしだった。
しかし、ノアだけは残した。
これから、あることを手伝ってもらうのに彼女が適任だったからだ。
え、何をやるかって?それはあとのお楽しみということで。
そして、ノアを残したのにはもう一つ理由がある。
これこそ真の目的、この為に彼女を残したと言っても過言ではない。
それを理解してもらう為には、少し俺の自論を聞いてもらわなければならない。
俺は元の世界で常々思っていたことがある。
女という生物は歳を重ねるに連れ、性格、顔、肌、何もかもが歪んでいく。成人ともなると、まったくの別物だ。だから、俺は思った。
ちっちゃい女の子ってかわいくね?
未完成であるが故に美しい。未成熟であるが故に愛おしい。
そう感じるのは当然ではないだろうか。
というかこれこそ真理ではないだろうか。
彼女達こそ愛すべき存在なのだ。
しかし、無慈悲で非道な世界はそれを許さない。
法律という枷で俺のような思考の持ち主を縛ってきた。時には、勇敢に立ち向かい、法律という枷から解放されようとした同志もいた。そんな彼らも皆、独房に放り込まれ、帰らぬ人となった。
その為、同志達は別の方法で欲求を満たしてきた。その多くが二次元への逃亡だった。
俺はキャラクターに理想を詰め込むことで欲求を満たしていた。
しかし、ここは異世界だ。
法律も何も無い。ということはいくらでもちっちゃい女の子達を愛すことが出来るのだ。
さて、もう分かるだろう。
何故、俺が童女のノアを連れてきたか。
そう、そういうことである。
まぁ、こういった理由でノアを残しておいたのだ。
そして、俺達はあることをするのに最適な場所を探し、森を散策していた。
隣で、無機質な目でけだるげに歩くノアをメイビスは凝視する。その目付きは変態のそれだった。
「メイビス様…どうかした?」
「うーうん、なぁーんでもないよ」
テンションがおかしいせいか、歌のお兄さんみたいな口調になった。
ノアは不思議そうに小さく首を傾げる。
やめて、その動作可愛い過ぎておじちゃん理性吹き飛んじゃうから。
暫く、当てもなく道なりに歩いていると、開けた場所に出た。
木が一本も生えておらず、地面が短い雑草で覆われている。よく見てみると雑草の中に小さな虫がいたりした。そんな円形の場所が半径百メートル程続いている。
ふむ、ここが良さそうだ。
「ノア、あの辺りに三体程頼む」
開けた場所の円の真ん中辺りを指差す。
ノアは指先を目で追い、位置を確認し、こくりと頷く。
「ん…分かった」
メイビスの指示した所に向かって、隠れた両手を伸ばす。袖口から勢い良く白い糸が発射され、指定された位置で人形編んでいく。そして、あっという間に三体の糸人形が完成した。
《創造糸》
ノアの保有するスキルの一つで、望んだ形のものを編むことでそれを再現するものである。
どうやらスキルの使用は可能のようだ。
実は、彼女にはスキルの使用が可能か検証するのと、的を作ってもらう為に付いてきてもらったのだ。
ここまで来れば俺が何をするが分かるだろう。
分からない馬鹿は放っておくね。
魔法が使えるかどうかを試す。
それこそが俺のやろうとしていた「あること」だ。
AROにおいて、魔法は下位~神位まである。魔法も種類があり、属性魔法、系統魔法、状態魔法、回復魔法と分かれている。
これら全てを合わせると、魔法は全部で七百を超える。
これをはっきりさせておかないとこれから先、戦闘があっても何も出来ない。この体がメイビス・クライハートのものならば、魔法が使用出来るはずである。
しかし、体はメイビスでもステータスは雑魚かもしれない。
その場合は眷属に守ってもらうヒモ生活が始まることだろう。
まぁ、ぐだぐだ考えても始まらないし、とっととやるか。
確かAROでは対象にカーソルをセットし、魔法を唱えることが発動条件だったはずだ。
メイビスは魔法の発動を頭の中でイメージする。カーソルを糸人形にセットし、繰り出す魔法を思い浮かべ、MPと代償に唱える。
そして、放つ。
《火球》
指先に頭くらいの大きさの炎の球が現れ、糸人形の一体に向かって放たれる。火球は見事に当たり、中央の糸人形は燃え上がっている。
「成功だ」
これで証明された。
俺は魔法が使える。使えるんだ、魔法が。
魔法を自分が使えるという事実で、興奮と歓喜が頭の中を埋め尽くす。
初めて魔法を使った喜びは何ものにも代え難いものだった。
これはやばい。やみつきになる。
「次だ」
こうなるともう歯止めが効かない。
メイビスは興奮の止まぬまま、次の魔法を試す。
さっきのは下位の火属性魔法だったが、今度は上位の魔法を使用しよう。
先程と同じように、メイビスは糸人形にカーソルを合わせ、イメージする。
さっきの火球よりもさらに大きく、激しく。
頭の中でイメージを固め、唱える。
《煉獄業火》
予想通り魔法は発動した。
しかし、それはあまりにも強大なものだった。
発動させた火柱は糸人形を二体とも消し炭にし、空高くそびえ立つ塔のように燃え上がっている、半径百メートルはあるこの場所の半分を占める程の広さで。
魔法が消える頃には、目の前は焦土と化していた。
黒く染まった大地からは黒煙が立ち込めている。
「……ワォ」
メイビスは顔を引き攣らせ、唖然とする。
先程までの興奮が止み、失態感が胸を締めつける。
思っていたよりも威力が大きい。本来この魔法は範囲系の魔法だからここまでの火力は出ないはずだ。それに範囲ももっと狭いはずなのだが。
そこでメイビスは思い出した。
メイビスのスキルの中に、魔法の威力や範囲を増加させる《魔法能力増加》というものがあったはずだ。
恐らく、それが原因だろう。
まさかここまで効果があるとは。
なんてこった。
「メイビス様………まだ………作る?」
衝撃を受けていたメイビスの元にノアが駆け寄ってきた。彼女のリアクションを見るにメイビスにとってこれくらい出来て当然なのだろう。
「いや、もういい」
ある程度、魔法の使い方はわかったし、これ以上やると火の七日間みたいなことになりそうだからやめておこう。
それに体に少し倦怠感を覚える。MPを消費したからだろう。これから先何が起こるか分からないし、出来るだけ温存しておきたい。
「なら……これから何する?」
ふむ、確かに。
思っていたよりも早く終わってしまった。
上手く魔法が発動せず、ノアに励まされながら一所懸命に努力し、ようやく魔法が発動する。
みたいなスポコン展開を予想していたが大きく外れてしまった。まぁ、死神の時点で期待するのが間違いだった。
メイビスは両腕を組み、目を瞑り思案する。
うーむ、このまま森の探索でもするか、ここで眷属達の帰還を待つか。
頭を抱え悩んでいると、ノアがローブの裾を引っ張り、こちらの顔を見上げていた。
何か言うことでもあるのかな。
まさか俺の視線がキモいとかそういう苦情だろうか。
そんなこと言われたらハートがブロークンしちゃう。
「メイビス様」
「は、はい」
本当に暴言が吐かれるのではないかと身構えてしまい、自然と口調が強ばる。
しかし、彼女の口から放たれた言葉は予想を裏切るものだった。
「なでなでして」
…はい?
あまりの超展開に思考が追い付かず、メイビスの脳内機能がフリーズする。
なでなで?
それってあの我が子が良いことをした時にやるアレ?
頭に手を置いてなでなでするアレ?
「メイビス様……今からやること無い。だから………糸人形作ったの………褒めて」
あーはいはい、そういう事ね。
頑張って俺の為に糸人形作って役に立てたから褒めて欲しい。でも、忙しい時に言ったら迷惑になっちゃう。だからタイミングを見計らってお願いしに来た訳か。
うん、なるほどなるほど。
おい神よ、聞いているか。
もしお前が存在して俺をこの世界に転生させたのなら言わせてもらう。
クソありがとうございましたアァァァァァ!!!
メイビスは心の中で叫んだ、天まで届けという願いを込めて。だがしかし、神への理不尽の恨みは忘れない。感謝するのはこの一瞬だけだ。
さて、ノアをなでなですることになった俺だがさしあたって落ち着け。取り乱してはいけない、クールにいこう。急いては事を仕損じるという諺を忘れてはいけない。
一旦ノアの様子を伺おう。それからやるべきだ。
メイビスはノアをチラリと見る。
ノアは物欲しそうな目でこちらを伺っている。
あ、天使だ…。
一瞬意識を持ってかれた。ここまでされてはもはややるしかない。
主人として、男として。
メイビスは覚悟を決め、ノアの頭に右手を伸ばす。
同志達よ、裏切る俺を許さなくて良い。だが、語り継いで欲しい。俺という男の成し遂げた伝説を。
そして、遂に手がノアの頭に触れ──
「ウゴクナ!」
──ようとしたところで邪魔が入った。
濁ったような、低くドスが効いた声が割り込んでくる。
ノアの頭に触れる寸前のところでメイビスの手は止まらざるを得なかった。
その時、メイビスの心境は穏やかではなかった。いいところで止められてしまい、苛立ちが全身を駆け巡る。
どこのどいつだ。俺とノアたんのラブラブタイムを邪魔するふてぇ野郎は。
メイビスは声の発された方角を振り向きざまに睨みつける。この世のありとあらゆる罵倒の言葉をかけるつもりで準備していたが、いざ、振り向くと声を出せなかった。
それは、人間のように二本の足で立っていた。しかし、人間ではないことは火を見るより明らかだった。
全身が灰色の獣毛で覆われており、膨らみのある尻尾が生えている。口と鼻が前に突き出していて、牙が剥き出しになっている。
そして、右手に持っている、木の柄の先に紐で扇形に削られた鋭い刃の石を括り付けた石斧で武装している。
それを一言で表すなら犬人間だ。
メイビスはその種族を知っていた。
AROに存在するモンスターに酷似していたからだ。
AROでその種族の名は、コボルトとされていた。
犬と人間を足したようなモンスターで非常に賢く、縄張り意識が強いという特性を持っている。
序盤に出てくるモンスターでレベルは低く、特に目立ったスキルも無い。
そんなコボルトが今、目の前にいた。それも一匹や二匹ではない。確実に十匹はいる。
それから、コボルトは囮を出してから別働隊で奇襲をかけるという戦法をよく用いる。恐らくまだ隠れている別働隊もいるはずだ。
一瞬驚きはしたが、予測していた事態ではある。
武装を見るに明らかにこちらを敵対視している。恐らく、ここは彼等の縄張りなのだろう。勝手に侵入されて怒っているのなら話し合いで丸く収めよう。
「ふむ、もし縄張りに踏み込まれて怒っているのならすぐに立ち去」
「ダマレ!カッテニシャベルナ!」
発言を禁止された。
向こうの様子を見るに、縄張りに踏み込まれただけというには些か敵対心が強い。怒りというより憎しみに近い。一体何をそんなに怒っているんだ。
「シツモンニコタエロ、サッキノマホウヲツカッタノハオマエカ?」
そう問われ、先程の魔法練習のことを思い出した。恐らく煉獄業火の火柱を見たのだろう。それは分かったが何故そんなことを聞く。彼等に何の関係があるんだ。疑問はあるが、答えるしかないだろう。
「ああ、それがどうした?」
コボルト達に、やはり、というような確信の空気が流れだす。それと同時に激しい憎悪の空気も。
「ヤハリキサマガアノヤカタノシュジンカ!」
はっきりとした憎しみを込めた言葉が耳に届いた。先程の発言で彼等が自分を違う人物と勘違いしていることは分かった。
しかし、 あの館?主人?一体誰と勘違いしてるんだ?
ひとまず弁明しようと口を開く。
「待て、誤解が」
「モンドウムヨウ!」
「コロサレタドウホウタチノウラミ、イマハラシテクレル!」
そう言い、コボルト達は武器を構える。メイビスの言葉も遮られ、もはや戦闘を回避出来ない状況になってしまった。
どうしたものかとメイビスは頭を抱える。
メイビスとしては出来るだけ戦闘は避けたい。
今の話を聞いているとコボルトを殺戮している連中がいるということだ。
そいつらの情報を得る為にも話し合いに持っていきたいが、この状況では無理だ。
となれば目的を彼等の鎮圧に移行しよう。
メイビスはちらりとノアを見る。
無表情のままだが、少しだけ赤みを帯びた頬が、餅のようにぷっくり膨らんでいる。なでなでを邪魔されて不機嫌なのが伝わってくる。
あらやだ、リスみたい。
今すぐ抱き締めたくなる衝動に駆られるが、何とか理性で抑え込む。
そして、メイビスはノアに聞こえるように、これから行うことを伝える。ノアも首を縦に振り、了承の合図を出す。それを確認し、メイビスは行動を開始する。
「貴様等が私と戦いたいのはよく分かった。いいだろう、そこまで言うのなら我が力、思い知らせてくれる」
もちろん、そんなつもりは毛頭無い。
メイビスはわざとらしく両腕を広げ、コボルト達を挑発する。
それを見たコボルト達は一瞬戸惑うも覚悟を決め、集団でかかってくる。
ウオォォォ!という掛け声と共に、地響きが大地を小さく揺らす。
そして、集団の一匹が石斧を持った右手を振り上げた。それを合図に、森の左右から新たなコボルトの集団が現れた。ざっと見て左右にそれぞれ五人といったところだ。
コボルト達は奇襲を仕掛けてきた。
普通ならこれで彼等は優位になるのだろう。この戦略は相手の意表を突けば戦況を優位に運んでくれる。もしかしたら見事勝利を収めるかもしれない。
しかし、メイビスはこれを待っていた。コボルト達の視線が自分に注目するこの瞬間を。
すかさずメイビスは魔法を唱えた。
《閃光》
メイビスを中心に放たれた眩い光が、コボルト達の視界を支配する。
目を抑え、呻き、膝をつく者がコボルト達の中で続出する。
先程唱えたのは相手の視界を潰す状態魔法だ。
少なくとも回復に一分はかかる。そして、一分もあれば十分である。
メイビスが魔法を唱えると共に、ノアは動き始めていた。普段の気だるげな動きはもうそこには無い。あるのは神速とも呼べる素早い動きだ。
《束縛糸》
動きを止めたコボルト達を、糸が次々に縛っていく。
ノアはスキルを発動させ、コボルト達を糸で括り付けていく。
光が止む頃には全てのコボルトが拘束されていた。流石は眷属最速の異名を持つノアだ。仕事が早い。
ノアは全員を縛り付け、メイビスの横に並ぶ。
褒めてあげるべきことが増えてしまった。これは後で念入りによしよししてあげねば、ムフフ。
気を取り直し、メイビスは捕縛され、一箇所に纏められたコボルト達を見やる。これで漸く話を聞く体勢が整った。
「さて、話し合おうか、コボルトよ」
微笑みながらそう言うメイビスは、彼等にどう映っていたのだろうか。
評価お願いします。