第23曲 買い物は終わる
木で造られた狭い空間の奥に人間が一人に人外が一人。手前にいるのは人外で、奥にいるのが人間。二人は木製のテーブルを境界に分かたられている。両者の間には重苦しい空気が流れており、人間の青年はその空気に萎縮している。
手前の人外、メイビスは椅子に掛け、目の前の人間の青年、そしてリーベと向き合っていた。
「では、お聞きしましょうか」
メイビスはゆっくりと、されど濃密な重圧を含んだ声で青年に語り掛けた。その声に青年はビクリとその身体を震わせる。それもそのはず、メイビスの重圧にこの程度で済んでいること自体奇跡に等しく、それはメイビスが湧き上がる怒りを抑え込めているからなのだから。場の空気は時間を増すごとに重くなり、緊張感は上がるばかりである。そして、メイビスは口を開いた。
「リーベの“公然猥褻罪”について」
「ブハッ!!」
この空気の中盛大に吹き出したリーベはメイビスにより往復ビンタをされ、甲高い音が部屋中に響き渡った。
後にリーベは、「あんな緊張感の中、公然猥褻罪は腹筋殺りに来てるっスよ」と供述していた。
◆
メイビス達は今、衛兵の詰所にやって来ていた。あの後、捕まったリーベの保護者と事情を話し、リーベを連行していた青年に詰所まで案内してもらえたのだ。尚、眷属一行も連れて来ており、別室にて待機している。問題を起こさないようキツく言って置いたし、ジルバもいるので大丈夫だろう。
そして今まさにリーベ連行までの経緯を聞いているところである。
「さて、再度お聞きしますが何故リーベが連行されていたのでしょうか。お教え願えますか?」
最後の一文に衛兵の青年が耐えられるまで抑えた重圧を含ませる。その重圧に青年は小さく呻き、涙目になりながらも辿々しい声で答えた。
「じ、自分は街の警備を担当しており、この市場の巡回をしておりました」
青年はその時の様子を事細かに話し始めた。
◆
薄い雲が漂い、太陽が空に燦々と輝くそんな良い天気の中、青年、エルリック・ハースロイドは何時ものように仕事である市場の巡回をしていた。
「お!衛兵さん。今日も見回りかい?」
「精が出るねぇ」
「どうだい、うちの商品買ってかねぇかい?」
様々な店の人達がエルリックに声を掛け、それに対し「はい、そうですよ」「あはは、仕事ですから」「また今度ですね」などと愛想のある顔で他愛無く返していく。
市場の見回りをしていると何時もこんなふうに挨拶をしてくれる店主達が大勢いる。これを聞く度にこの国は平和であると実感出来るので、エルリックは見回りの時間が好きだった。足を進めるとまた声が聞こえてくる。
「お!衛兵の兄ちゃんじゃねぇか!見回り頑張れよ!」
豪快な振る舞いでそう言う魚屋の店主。
「あら、衛兵さん。うちのお肉また買ってってね」
穏やかな声の優しそうな肉屋の女主人。
「衛兵さんの野菜、取ってあっからなー!」
手を振りながら楽しげに笑う八百屋の主人。
「どうも、こんにちは」
他国から訪れた旅人。
「頑張るんっスよ青年」
葉っぱを身体に貼り付けただけのほぼ裸の少女。
…………………………ん?
「待ちたまえ ガール」
「なんスか ボーイ」
エルリックは裸同然の少女の肩を掴んだ。その装いは如何に心の広いフリギア王国といえど認められない。しかし、相手は子供。何かしらの事情があるやも知れない。例えば、虐待などであればこの子の両親に事情を聞かなければならない。
「お嬢ちゃん、服はどうしたのかな?」
「今まさに身に付けてるじゃないっスか」
「残念ながら人はその薄型装甲を服とは呼ばないんだ」
どうやら彼女はこれを服だと言い張る、いや、実際に服だと思っているらしい。何処かの民族なのかとも思ったが、話し方からして違うと判断出来る。
「もういいっスか?早く店行かないと売り切れちゃうかも知れないんで」
「ん?何か買いに行くのかい?」
どうやら彼女は何かを買いに行く途中だったようで、急いでいたらしい。売り切れるかも知れないというなら行かせてあげたいが、この格好のまま行かせるわけにはいかない。となれば、自分がついて行くべきだろう。
「よし、ならお兄さんがついて行ってあげよう。そんな格好じゃ悪い大人に連れ去られちゃうかも知れないからね」
本音を言えば、彼女をこのまま詰所まで連行して行ってもいいのだが、如何せん彼女は子供なのでそれは憚られる。なら買い物に付き合い心を解してからでも問題ないだろう。
「お、それは助かるっスねー。丁度大人が欲しかったところなんスよ」
彼女も同意を示しているので、早速目的の店に向かおう、と思ったがどうやらすぐそこの店らしい。
「あそこなんスけど」
彼女はすっと手を挙げ、一方向を指差した。そこにはピンク色の派手な看板に、ボンテージを着る鞭を持った美女と裸で四つん這いになる中年男性の絵が描かれた店があった。
看板には『SM専門店・アダルトレディ』と書かれている。
「いやーこの見た目じゃ入れなくて苦労してたから助かるっスよー」
「君、ちょっと来なさい」
そして、そのまま詰所まで連行して行こうとし、メイビス達に声を掛けられた。
◆
「以上がリーベさんが連行まで到った詳細ですね」
「何やってんのお前?」
経緯を聞いたメイビスは不動明王のような威圧を発しながら、リーベの顔を掴み、空中まで持ち上げていた。俗に言うアイアンクローである。
「いや…………調教道具が………欲しくて……………………あっダメ。潰れちゃう」
「潰れた方がいいな」
メイビスの握力によってリーベの頭がミシミシと不吉な音を立てながら圧縮されて行く。とは言え流石に手加減はされている為、精々意識が飛ぶ程度だろう。
この後、暫くリーベにアイアンクローの刑を執行し続けた。
アイアンクローを受け続けたリーベは解放された途端に頭を押さえ、呻きながら倒れた。
衛兵の証言によると今回は完全に此方の不手際のようなので、無駄に重圧感を与えてしまい衛兵には悪いことをしてしまった。
「この度はうちの者が御迷惑を御掛けしました」
「いえいえ、今回は厳重注意ということで処理させて頂くので、そんな畏まらないでください」
「ありがとうございます。全く、大事に至らなくて良かったです」
衛兵の言葉にメイビスも安堵する。もしこのままリーベ逮捕などという事態になれば大変なことになっていた。主にこの国が。
「いやー丸ぅーく収まって良かったっスねぇ」
「ははははは、元凶が何を言っているのかな?」
もう一度アイアンクローを決めてやろうかと思ったが、それを察してかリーベはすぐさま衛兵の後ろに避難した。そこから引きずり出して無理矢理決めてやろうかとも思ったが、これ以上はリーベが可哀想なので辞めておく。そして何よりおつかいからそのままここまで来たのでもう疲れた。メイビスは溜息をつき、席から立ち上がった。
「帰るぞ」
「はいっス」
するとリーベもすぐに顔を出し、メイビスの後について行く。そして、衛兵に一礼するとそのまま部屋を出た。
◆
その後、メイビスは眷属達と共に詰所を後にした。待機中の眷属達の様子をジルバに聞こうと思い、ジルバに視線を向けたが、異常な衰弱が確認されたのでそっと目を逸らした。
本来ならばまだすることはあったが、リーベの件で思いの外時間を食ってしまったので今回は館へと帰還することにした。幸い、トラベラー市場でのやるべき事は済ませた。それに先にやるべき事も多い。
「メイビス様」
ふと、後方から声を掛けられ、それがリーベのものであると気付いた。また何か余計なことでもするのかと訝しげな表情で振り返ると、面食らった。そこには穏やかに微笑むリーベの姿があった。
「今日は楽しかったっスよ」
優しくそう言うリーベの声に身体が硬直するのが他人事のように思えた。只、その言葉はメイビスの心の奥底に響いたことだけが分かった。すると、眷属達が全員此方を向いていることに気付いた。
「今日はとっても楽しかったですー」
朗らかに微笑むカオス。
「ちょー楽しかったぜ!」
満面の笑みで話すメデューサ。
「またこようね!」
歯を見せながら笑うファナ。
「良い日だった……」
小さく微笑みながら言うホルン。
「フフ、面白い一日だったよ」
不敵に笑うテレサ。
「充実した一日になりました」
何時ものように真剣に言い放つオルフェウス。
「む」
突然背中に衝撃を感じたと思い、振り向くとそこにはノアが抱き着いていた。
「楽しかったよ………メイビス様」
滅多に見せない笑顔でそう言うノア。
「メイビス様」
すると、リーベが目の前に静かに佇み、此方を見ていた。それは眷属達も同じで全員が此方を見ており、まるでリーベが代表のように眷属達から一歩前に出ていた。
「今日はありがとうございましたっス」
何の邪気も企みもないまっさらな笑顔でそう言うリーベを見て、メイビスは己の涙腺が反応したことに気付いた。帽子を深く被り、目元を隠す。恐らく目が潤んでいるだろうと思いながら。
「そうか」
たった一言、その一言が今のメイビスの限界だった。されどその一言には、眷属達への深い愛情が感じ取られるものだった。その証拠に、眷属達は皆嬉しそうに笑っていた。
「素直じゃない男だ」
『そんなところも魅力的なのよネェ』
そう呟く二人も顔に笑みが浮かんでいることに気付いてはいなかった。一人は杖なので表情は見えなかったが。
そうして、和やかな雰囲気でメイビス達の買い物は終わりを迎えた。皆が笑顔を浮かべながら。
「はっ!何かオチを迎えた気がする!」
カオスに閉じ込められたパンドラを置いて。
その後、忘れられたことにいじけるパンドラの姿が館にて確認された。
今回のキーワード
「公然猥褻罪」




