二十一首目から二十三首目
二十一首目、素性法師
『今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな』
また難しい歌が出てきました。
『有明の月』これの解釈が酷く難しいです。
『長月』は九月なので、秋、つまり危機や死を連想させる物です。
『長月の 有明の月』とあるので、『有明の月』は季節を排除して捉えるのが自然でしょう。
二つの特徴があるのですが、『朝に太陽と一緒に登っている月』と『十六日以降なので、欠けて行く月』
この場合は『太陽と一緒に登る月』が正解でしょうか。
なので、『勇み足で今変えようと言ったばかりに、女性の君主になっても、秋で危機を感じる状況を望むことになった』と言った解釈でしょうか。
二十二首目、文屋康秀
『吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を あらしといふらむ』
この歌の最も注目すべき場所は『山風』です、『奥宮』が山の上に作った『処女隔離所』ですので、そこから朝廷の事を『山』と表します。
朝廷に吹く風が嵐である、と言うのがこの歌の解釈です。
しおれる草木は人を表しています。
どうもこの歌は『ノアの箱舟』と関係が有るようです。
むべは『無辺』で『寄る辺が無い』と天の釣り船を関連付け。
『山』は『八女』。
風も『風邪』の方が正しい当て字だと思われます。
二十三首目、大江千里
『月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど』
『秋』は冬に向かう事から日本の危機を表します、『月』を見て日本の危機を感じ悲しく思っていると言うのがこの歌です。
『月』に関しては解釈が難しいかと思います。
天照大御神と月詠の命は、前者が女性で後者が男性を表します。
ですが、太陽は男で月が女という解釈の変更が試みられています。
ですので、女性が『月』にされてしまって悲しいのか、男性の君主・『月』を見ている今の治世が悲しいのかで、意味が同じでも解釈の方法が違うと言った事が起こります。