十八首目から二十首目
十八首目、藤原敏行朝臣
『住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ』
この歌も解釈が非常に難しいです。
『よる』が『寄る』なのか『夜』なのか、『夢』が『幻想』なのか『希望』なのか。
『夢のかよひ路 人目よくらむ』を希望の方で解釈すると、『望みをかなえる為に人目を避ける』と言う意味になります。
このため『よる』も『寄る』の方で使っていて、目くらましの為に『夜』で『夢』になったのではないでしょうか。
十九首目、伊勢
『難波潟 短かき蘆の 節の間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや』
この歌は『難波潟』が正しく理解できれば分かるだろう。
『あまの釣り船』が朝廷の事であったように『難波』は『難波朝廷』の事だ。
つまり、朝廷の運営が難しく、自分の生きている時代では、『蘆の節』ぐらいの短い期間ですら、女性が君主になった状態を見る事が叶わないのか、と嘆いた歌である。
二十首目、元良親王
『わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ』
『親王』が歌った歌が出てきましたね。
十九首目と関連して解釈しましょう。
『難波』で逢う事が難しい、でも、『身を尽くして』逢えるようにしたい、そんな決意の歌です。
天皇の親族がこの歌を詠んでいる意味は非常に重い。