二十四首目から二十六首目
二十四首目、菅家
『このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉のにしき 神のまにまに』
菅原道真の事です。
この男、天女の息子だと言う伝承が残ってますが、天女って要するに奥宮関連です。
『にしき』は『故郷に錦を飾る』で、紅葉は相変わらず血を表します。
『急な事だったので手土産、手下、仲間を用意できなかったが、血に染まった錦は誉であると思っているので、自分の命を自由に使ってくれ』と言った感じの歌になります。
二十五首目、三条右大臣
『名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな』
『逢坂山』は『蓬莱』の事を『さねかづら』は『臺與』が『壱与』とも書く事、『壱』を『さね』と読む事を知っていると意味が分かる。
『蓬莱の臺與』に逢いたいと言う意味の歌になります。
二十六首目、貞信公
『小倉山 峰の紅葉ば 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ』
藤原忠平、平将門が仕えていた人物。
この歌は非常に解釈に困ります。
唐の滅亡、菅原道真の左遷、そして平将門の反乱。
どうも唐が滅亡したにもかかわらず、女性の君主が立たない事に不満を覚えていた勢力が居て、争いになる予兆が有る中、この歌が歌われたようです。
『小倉山 峰の紅葉ば』血を流す者で、武士の事。
『みゆき』は『行幸』ですが、帝が話し合いに行くのを待てと言う意味か、本来女性の君主に使われていた言葉なのかが不明です。
『心あらば』『待たなむ』は止める為の言葉なのか、『待ちわびる』から武装蜂起を促す目的なのか。
『敦盛』も絡んでくるのですが、私には武装蜂起を促している様に見えます。