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順徳天皇 託された想い
百人一首の解説書や解説サイトは多数あれど、その全ての情報が嘘である。
嘆かわしいので彼らが残した想いを解説していく事とする。
最も注意すべき点は『小倉百人一首』の『小倉』にはあまり意味が無い事だ。
では作成者の名前を取って、『藤原定家百人一首』と言えばよいのかと言うとこれも違う。
百人一首の作成を命じた天皇の名を取り、『順徳天皇百人一首』と呼ぶべきだろう。
百首目の作者、順徳院とは順徳天皇の事である。
引退した天皇には後の住居の名を取り院が付くので覚えておくと良い、多くの天皇が院号で書かれている事が分かるだろう。
さて、では解説に移ろう。
『百敷や 古き軒端の 忍ぶにも なほあまりある 昔なりけり』
『百敷』は百人一首の事を表す、『古き軒端』は昔の朝廷の事を表している。
そして、『忍ぶ』隠そうとしてもなお余りある、『昔なりけり』と昔の日本、昔の朝廷は素晴らしかったと言っているのだ。
つまり百人一首編纂を藤原定家に命じた理由は、後世に本当の歴史を残す為だ。