イメージは異世界よりも外国って感じだ
朝飯から大体一時間程。時間が分かるのはリビングの壁にかかっている時計のおかげだ。しかし、この時計は日本で見ていた時計とは違い、二四時間表示のアナログ時計である。上半分が午前、下半分が午後になっていて、二時間で一刻と数えるため一日は十二刻で数えられる。夏目漱石が書いていた時代の小説で出てくるような旧式の時計だ。かといって振り子時計のように大きいわけでもなく、一般家庭や学校で見かけるように薄く小さいものである。そしてこの世界、四六時中ではなく二六時中と言うらしい。時代を感じるようだ……。
などとどうでも良いことを考えながら、俺は現在洗面台の上にある鏡と睨めっこしている。鏡に写る俺の姿は結構酷い有様だ。元々、癖が着くとなかなか治ってくれない俺の髪の毛だったが、めちゃくちゃに跳ねている。それはもうボサボサと言えるほどにだ。以前であればワックスで何とかしてきたが、今この場にそんなものあるわけが無い。俺はそれでも抵抗しようとして水をつける。だが跳ねる。何て意地悪い髪の毛だろう。既に俺の頭はベチャベチャである。
「ちょっと、その頭は何!」
偶々通りかかったのか、ユアは盛大に吹き出して俺を笑う。水も滴るいい男となった俺を見て笑うなんて、全くユアは見る目が無いな。……強がりではない。
「直らないんだ……」
「じゃーもう諦めるんだ! そんなにべっしょべしょにして直らないなら諦めるしかない!」
「うぐ……」
ユアの言うとおりである。ユアから渡されたタオルで髪の毛を拭いて、俺は忌々しげにバスルームを後にした。二度も俺に恥をかかせるなんて、このバスルーム意外とできる奴なんじゃないか……?
リビングへ戻ると、ユアは既に準備が出来ているようでソファーに座って本を読んでいた。髪の毛は朝とは違って下げており、服はラフなものから少しお洒落しているように見える。……それでもローブには拘るようで、シルエットとしては出会ったときと大差はない。違うのは髪飾りをつけているところだ。白い花の髪飾りがユアの可愛さを引き立たせている。
そんな中、俺は昨日から着っぱなしのこの服である。隣を歩くのが申し訳なくなってくる。
「ん、準備できた? それじゃ行こっか!」
俺に気づいたユアは花柄のしおりを挟んで本を閉じた。髪飾りといい、しおりといい、実は花が好きなんじゃないか?
「リヴァンイの街へ出発だ!」
ユアは念入りに戸締りをして家を出た。人気が無いため、結構泥棒に狙われるらしいと言うのは後から聞いた話だ。
リヴァンイの街までは歩いて十五分ほどである。舗装されている訳ではないが、目に見えた道が作られているので辿っていけば着くらしい。最初の方は意外と急な下り坂で驚いたが、あの景色を考えれば納得だ。雨の日なんかは滑りやすいらしい。
リヴァンイの街は安全性を考えてか、五・六メートル程の石造りの壁に覆われている。その周りを川で囲んでおり、馬車に乗ってやって来た人なんかは一々橋を下ろして貰わないと通れないらしい。人だけであれば脇の橋から入れるようになっていて、検問を受けると言う。通過証を見せれば簡単に通れるそうだ。
「でも俺、そんなの持ってないぞ?」
「初めての人もささっと発行してくれるから大丈夫だよ!」
ユアは楽しそうに言って、関所の木製のドアを開ける。関所の中は結構質素な作りで、カウンターとは逆のほうに三人掛けのソファーが何列か並んでいる。カウンターは広い割に、受付員の人数は少なかった。ユア曰く、大御所がやって来たらこのカウンターが埋まって忙しなく動くそうだ。今は時間帯もあって少ないらしい。
「通過証を見せていただけますか? はい。大丈夫です。お連れの方は?」
「こっちは初めてなんです」
「畏まりました。ではこちらの紙に氏名、生年月日、職業を記入してください」
――やばい。俺は渡された紙を見て硬直した。紙には四つに分けられた記入欄が書かれている。いや、問題はそこではない。もちろん、こういった書類は記入する場所が文字で指定されている。しかし、俺は肝心のその文字が読めない。全くだ。クネクネした良く分からない文字が綴られている様に見える。
「どうしたの?」
「それが……」
心配そうに覗き込んできたユアに、俺はそのことを伝えた。思案した結果、結局書類はユアに代筆してもらうことになった。まさか、言葉が通じて文字が読めないとは思わなかった。
「生年月日はどうしよっか?」
「……この世界って一年三六五日の十二ヶ月で合ってる?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、今から十七年前の九月一日でお願いします」
「りょーかい」
どうやら歳の数えは日本とは変わらないらしい。良かった、これが違ったらこの書類出せなくなるところだった。
え、別に正しい生年月日を書く必要は無いのか? ……しっかり覚えているなら違っても問題ないって、そりゃ無いよユアさん。
名前と生年月日を埋めたら、次は職業の欄である。俺は日本では学生だったけど……この世界ではただの無職だ。中卒無職だ。その肩書きは結構クるものがある。この世界は学校に通える方が珍しいらしく、ユアは無慈悲にも無職と記入したらしい。早く何か手に職を付けたい。
「終わったね。ていうか、ヒロトって十八歳だったんだね」
「いや、俺は十七だぞ?」
「でも生まれたのが十七年前の九月なら……そっか数えが違うんだ! この世界では生まれた瞬間に1歳、年を越したら二歳って数えていくんだ。次の年からはみんな年明けに年齢が増えていくんだよ」
衝撃の真実だ。この世界、ちょくちょく古い感じがする。生活様式は西洋風ではあるが、それほど遅れた感じでもないのに不思議だ。いや元の世界と比べてしまうのがいけない。この世界にはこの世界の歴史があるんだから違って当然だろう。一々考えてもホームシックになるだけだ。
俺たちは駄弁りながら受付に書類を提出する。受付員は軽く全体に目を通して紙をテーブルの上に置いた。どうやら問題ないらしい。物凄く簡単に審査が進められているが、この街の警備はこんなもので大丈夫なのだろうか。
「受理しました。ではこちらの通過証をお持ち下さい」
そう言われて渡されたのはユアの持っているものとそっくりのカードである。大体名詞サイズだろう。持ち運びに便利な大きさだ。質感もプラスチックのようで馴染み深い。ユアのものとそっくりと言ったが、一つ違うとすれば顔写真がついていないことだ。
「写真はここを出て右に曲がったところに専門の施設がありますので、通過証を提示して撮影してください。もし撮影しなかった場合、この通過証は仮のものなので使えなくなりますのでご了承ください」
面倒くさいが仕方が無い。俺は通過証を手に持って関所を抜けた。関所の外は既に商店街となっているようで活気溢れている。早く街を歩いてみたいが、まずは写真を撮らないといけない。
がっかりしている俺の気持ちを察したのか、ユアは俺の肩に手を軽く乗せて俺をなだめている様だった。その慰めはちょっと悲しくなるのでやめてほしいが、ユアの心遣いには酷く癒されたので何も言わないことにする。
俺はユアの無言の慰めを受けながら右を向いた。そこには二階建てのちょっとお洒落なお店が建っている。写真立ての並ぶ出窓の奥はカーテンで見えない。ドアの上や店の前の看板の文字は読めないが、その写真立てでここが写真館だという事が分かる。案外、文字が読めなくてもやっていけそうだ。
俺たちは写真館へと向かって行った。
関所にて
「何か、変な服の人だったなぁ……書類も彼女さんに書かせてたし」
受付員の男は提出された書類を眺めながら一人呟いた。服装以外は特に怪しげの無い男であったし、見るからに馬鹿っぽいという事でこの男は何の疑いも無く書類を受理したのである。
だが男は考えた。――もしあれが演技であったならば。自分はとんでもない奴を通してしまったのではないか? 男は杞憂であることを願ってその書類をファイルへ片付けた。