やはり故郷は存在しないようで
俺たちは食器を片付けて、再びリビングのテーブルに向かい合わせになるように座る。
「あーあ、ヒロトみたいな人と一緒に暮らせれば楽しいんだろうな」
その何気ない一言で俺は動揺してしまう。他意はないのは分かっている。理解しているが、どうしても期待してしまう。違う違う、彼女はそういう意味で言ったわけではない……。俺はこの世界にずっといるわけじゃないし、もしそうであったとしてもダメだろう。
「そういえば、ヒロトって結局ドコから来たの?」
「俺、は……日本って知ってるか?」
「ニホン? ……聞いたこと無いねェ。俗称か何かかな」
「いいや、正式名称」
ユアは首を傾げて悩むが、一向に答えは出ないのか難しい顔をしたままだった。恐らく、ありもしない国の名前を聞かれても分からないだろう。申し訳ないことをした。
「ごめん、やっぱり知らないよね」
「うん。でもどうにか探さないとヒロト帰れないままなんでしょ?」
その通りである。何とかして帰る道を探さないといけない。でもそれにユアを巻き込んでしまうのは違うと思う。だから俺は、やっぱり明日になったらこの家を出よう。この家を出て、どうにかして、金を稼いで世界回っていれば、いつか帰れる日が来るかもしれない。怖いのは嫌だし力もないが、そこは何とかして。異世界だし、やっぱ冒険者ギルドとかあるでしょう。魔法使いとかホイホイなれるようだし。無かったらどうしよう。
「私、明日街で地図買ってくるよ。ヒロトの街探さないとだもんね!」
「いや、いいよ。多分地図にも載ってないんだ」
「……なんで?」
ユアはポカンと口を開いて間抜けな顔をした。何を言っているのかが分からないのだろう。でもそれでも無いものは無い。無駄に金を使わせるのは心苦しい。
「信じられないような話をしてもいい?」
「それが事実ならね」
ユアは少し神妙な顔つきで答えた。俺が真面目な話をすると知って、ユアも真面目に聞いてくれるらしい。俺は出来るだけ難しくなりすぎないように、でも分からないところは分からないとハッキリ言って、自分の話を始めた。
ユアに話したのは、俺が異世界から来たであろうという事、魔法を知らなかったことを話した。信じてもらえなくても仕方が無い内容なはずなのに、ユアは真面目に聞いていてくれた。だから、俺も茶化さずに真剣に話すことが出来た。
「……そうだったんだ」
俺の話を聞き終えた後、ユアが始めに言ったのはそんな一言だった。顔は暗いわけではなく、どこかスッキリした雰囲気を持っている。
「信じてくれるのか?」
「うん。だってヒロト、変な格好してたし、魔法に驚くなんて変だなって思ってた」
そんなあっさり信じてしまって良かったのかと思うが、本人が良いというなら突っ込んではいけないだろう。
それよりも。俺はそんなに変な格好だっただろうか。短パン半そで、特に変わったところは無いはず。……いやこれ部屋着じゃん。でもジャージの短パン、上は真ん中に柄の入ったシャツで外に出ても問題ないはず。コンビニ程度であれば行ける筈だ。
「体見回して、可笑しいところに気づいてないんだね。そっか、それが異世界のお洒落なんだね」
「断じて違います。部屋着です」
俺は間髪入れずに訂正した。これは至って普通な部屋着なのであって、流行のファッションとかそういうのでは一切無い。この服装でデパートやらに行くものだと思われていたら流石にヤバイので、誤解がないようにしなければ。
「そうなんだ……。でもなんか、そういう服って羨ましいな。この世界でも流行れば良いのに」
そう言うユアの視線はシャツの柄に行っていた。こういう服が無い、という事はこの世界は服にプリントが出来ないんだろうか。もし魔法で出来るなら、割と手軽なんじゃないだろうか。
「こうやって服に絵をプリントするのって、魔法で出来ないのか?」
「ぷり……? んっとね、魔法ってのはそんなに便利じゃなくて、一々儀式して魔方陣を物に定着させてから、記号を用いて発動するのが主流なんだ。それで、物を物に定着させる場合、まずその定着させる物……甲ね、甲に魔方陣を刻んでから、今度は定着させたい物……乙ね、乙に魔方陣を刻んで、魔方陣の刻まれた甲と乙を合わせてくっ付ける儀式を行わないといけないの。それが意外と大変なんだ」
ユアは手を使って説明してくれた。左手に魔方陣を描くフリをして、今度は右手に描くフリをして、そして最後は両手をくっ付ける。物同士に一度マーキングしないといけないらしい。
「なるほどね。一度にはくっつけられないのか」
「それも出来るんだけど、時間が経つと剥がれちゃうんだ。だから儀式を使って剥がれない細工をしないといけないんだよね」
魔法というのも、そう簡単なものではないらしい。魔法使いというのもとても大変な職業のようだ。俺が見た火の玉も、推測だが、ユアが持っていた物に火の玉が発動する魔方陣を刻んで、記号とやらを唱えて発動したものなのだろう。ちょっとした呪文となえれば発動、何てお手軽なものじゃないのは残念だ。
「あ、そうだ。ヒロトはこれからどうするの?」
とうとうこの話題が出てしまった。正直に言えばこの家で生活したい。ヒモにならない程度に働いて、ユアと一緒に過ごせれば楽しいだろう。だけど俺は絶対に帰る。必ず。だから……。俺は腹をくくって話すことにした。
「俺は明日ここを出て、どうやったら帰れるか、そして俺がこの世界に来た意味を探そうと思う」
「ええっ……! で、でもほら、ヒロト帰れるか分からないんだよ? だから、ここで一緒に生活しても……」
「俺は世界を旅して、少しでも何か分かるならそれがいい」
俺は力強く、そして自分に言い聞かせるように言った。嘘偽りは無い。だからなのか、ユアは少し俯きがちになって口を閉じた。俺の本気が伝わっているのか、何も言い返しては来ない。しかしまだ何か伝えたいのか、ユアの目はあっちこっちを動いて落ち着きが無かった。少しだけ、その肩が震えているようにも見える。
「……分かった。でも明日はダメ。だってヒロト、今まで戦ったこと無いんだよね? 基礎知識と体力をつけてからにしないとね! だから鍛えるまではここにいて。私が色々教えてあげるよ!」
それは願っても無いことだった。俺は気絶する前、熊のような化け物に襲われていてなす術が無かったからだ。そこをユアに助けられている。つまりユアはああいった経験が豊富なはずなのだ。そんな人から教えて貰えるなら、早急にここを出る必要もないだろう。いや、しかし。
「食費とか……」
「出世払いで良いんだよ!」
ユアはさっきまでの暗い表情とは違い、今まで見てきた明るい笑顔でそう言った。俺はそれに易々と流されていく。出世払いって、何の出世だろうか……?
その後、俺たちは自分達の生活の違いや食文化の違いなど、色んなことを語り合った。寝る時は、リビングに横になれる程度のソファーがあったのでそれを借りた。日本で使っていたソファーと違いフカフカで大きく、寝るのには十分すぎるソファーだった。寝心地が良く、俺はすんなりと寝てしまったのだった。